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廊下の窓から見える夕陽を眺めながら、ミヨリは黙々と立ちつくす。
放課後になると、千紗と一緒に帰ろうとしたのだが、文芸部員の千紗は借りていた本を返さなくてはいけないらしくて、部室に向かっていった。
うちの文芸部は、かなりゆるい部活なので好きなときに顔を出せばいいそうだ。部室には多様なジャンルの本がそろっていて、ルールさえ守れば貸し出し自由だとか。
千沙も文芸部なので、部活の範囲内で創作活動をやっているらしい。
今日は借りていた本を返却したら、すぐに帰ると言っていた。なのでミヨリは文芸部の部室の近くで千紗が来るまでボーッとしながら時間を潰す。
「宮本さん? もしかして藤森さんを待っているんですか?」
どことなく硬さのある、生真面目そうな声が聞こえてきた。
退屈そうにしているミヨリに話しかけてきたのは、ミヨリと千紗の担任教師である桜葉静江だ。
短めに切りそろえた髪に、大人びた綺麗な目鼻立ち。着用している眼鏡が理知的な雰囲気に磨きをかけていた。
白のワイシャツに、黒いジャケットとスカートといった教師らしい真面目な服装をしている。
まだ二十代で教員のなかでは若い方だけど、実年齢よりも貫禄があるように見えてしまうのは、静江がしっかりした性格の持ち主だからだろう。
静江は千紗が所属している文芸部の顧問でもある。もしかしたら部室に用事があるのかもしれない。
「はい、そうです。桜葉先生」
淡々とした声で返事をすると、静江のほうに向き直る。
静江は指先を使って眼鏡のレンズを下から少しだけ押しあげると、鋭い目をミヨリに向けてきた。
しばらく黙ったまま見つめてから、おもむろに口を開いてくる。
「そういえば宮本さん。あなたはネットで話題になっているそうですね。最近はクラスの生徒たちだけでなく、学校の生徒全員があなたの存在にザワついています」
どうやらミヨリがバズったことは、静江の耳にも届いていたようだ。クラスメイトたちの反応を見れば、静江がそのことにたどり着くのはそんなに難しいことではない。
ミヨリの存在そのものが同じ教室にいる生徒たちだけでなく、学校全体の空気を乱しつつある。教員の立場からすれば、あまり心証はよくないだろう。
特に静江は真面目で厳しい教師なので、ミヨリのことを快く思ってはいないはずだ。
「いくらあなたがネットで話題になっていても、わたしはあなたを特別扱いはしませんよ。あなたがわたしの教え子であることには変わりないんですからね」
「はい。わたしとしても、他の生徒たちと同じように扱ってもらえると助かります」
どんなに配信でバズったとしても、学校ではあくまで一介の生徒に過ぎない。クラスメイトたちから怖がられたり、先輩から敬語で挨拶されてしまう現状がいろいろとおかしいのだ。
「……まぁ宮本さんは学業の成績がとても優秀ですし、授業態度も良いので、校内で問題行動を起こすとは思っていませんけど」
それでもやはり、ミヨリが原因で他の生徒たちが浮き足立っているのは心労につながっているのだろう。静江は小さな吐息をこぼした。
軽く雑談を交わしたので、これで話は済んだはずだ。
そう思っていたのだが……なぜか静江はこの場から立ち去ろうとしない。
眉間をギュッと寄せて唇をきつく結びながら、ジーッとミヨリのことを見つめてくる。というかこれは睨まれているのでは?
明らかに様子がおかしい。どうしたんだろう?
なにか気に障るようなことでもやってしまっただろうか?
「桜葉先生、どうかしたんですか?」
「どうかとは? わたしは別にどうもしていませんが?」
「そうなんですか? そのわりには……」
ダンジョンにいるお腹を空かせたオークみたいにブチキレてませんか、という失礼極まりない発言をうっかりかましそうになったが、そこに慌ただしい足音が割って入ってきた。
「おまたせ、ミヨリちゃん!」
部室での用事を済ませた千紗が、小走りにならない程度に急ぎながらやって来る。
「あっ……桜葉先生」
明るい笑顔を振りまいていた千紗だったが、静江に気づくとつぶらな瞳を見開いていた。
空気が張りつめているのを感じ取ったようで、千紗は焦りだすと、やたらとキョロキョロしてミヨリと静江の間で視線を行き来させる。
それから両手をギュッと握って拳をつくると、意を決したように声を発する。
「あ、あのね、ミヨリちゃん……!」
「藤森さん。余計なことは言わないように」
静江が冷たい目で見てくると、千紗は「うぅ……」と唸って言いよどむ。
「ごめんね、ミヨリちゃん」
千紗は眉尻を下げると、ミヨリの腕に軽く触れながら謝ってきた。
どうして謝られたのか、まったく理由がわからない。だけど追及するのは千紗を困らせてしまいそうなのでやめておく。
オホン、と静江はわざとらしく咳払いをすると、鋭かった眼差しをやわらげる。
「ダンジョンにもぐるのは、とても危険なことです。あまり他人に勧められるものではありませんが、打ち込める何かがあるのはいいことです。無茶をしない範囲でがんばるといいでしょう。わたしも教師として、あなたを応援していますよ」
静江は頬をゆるめて微笑みかけると、声援を送ってくれる。
応援してもらえるのは、ミヨリとしてもありがたい。がんばろうという前向きな心持ちになれる。
「二人とも気をつけて下校するように。特に宮本さんは有名人なんですから注意しなさい」
教師としてミヨリと千紗のことを気づかって、忠告してくる。
静江は厳しいところもあるけど、生徒想いの良い先生だ。上級生になるほど慕われている。それはちゃんと生徒と向き合って、信頼されているからだろう。
「それでは、わたしはこれで」
静江は素っ気ない口調で別れの挨拶をすると、悠然と廊下を歩いていった。
「はい、さようなら先生」
遠のいていく静江の背中に、そう声をかける。
隣にいる千紗は、まだ「うぅ」と唸って悩ましげな面持ちをしていた。




