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「に……げ……」
少女が唇を震わせて、何かを伝えようとしてくる。
きれいな顔が汗ばんでいて、窮地に追い詰めれた獣のような切羽詰まった表情を浮かべている。
「えっと、よく聞き取れなかったけど、なんて言ったのかな?」
ミヨリは小首をかしげながら、聞き返した。
すると少女はカッと目を見開き、ミヨリを睨みつけてくる。
「今すぐ逃げろ……! わたしから離れるんだ!」
耳が痛くなるほどの叫び声。
少女が発する警告だった。
「不覚にも、呪われた魔剣を手に取ってしまった……! さっきから肉体の制御が効かない! 今のわたしは、そばにいる相手が誰であろうと襲ってしまう……!」
どうやらこの少女は、魔剣に触れてしまって肉体を支配されているらしい。
それでさっきから苦しそうなのか。
「っ……! 何をしている! 早く逃げ……!」
少女は逃げるように急かしてくるが、それを言い終える前に身体が勝手に動き出していた。
少女の意思に反して、呪われた魔剣が手足を操り、ミヨリに斬りかかる。
「くっ……!」
少女は全身に力を込めて抗おうとするが、もはや肉体は言うことを効かず銀の刃が振るわれる。
ミノタウルスを仕留めた強烈な斬撃だ。直撃すればただでは済まない。
その魔剣の一撃を……ミヨリは後ろに下がって軽々とかわしてみせた。
「え……? あ? は……?」
少女がポカンとなっている。自分の攻撃がよけられたことに驚愕していた。
魔剣は操られた人間の身体能力が高ければ高いほど厄介なものになる。魔剣を手にした者が強ければ、それだけ解除が困難になるからだ。
この探索者の少女は、自分の身体能力の高さに自信があった。ミヨリでは斬撃をよけられないと思っていたようだ。
だが、ミヨリは意図もたやすく少女の斬撃をよけてみせた。
「いま、わたしの攻撃をよけ……うおっ!」
少女が疑問を投げかけようとしたが、それに先んじて魔剣が身体を操ってくる。
さっきよりも速く、鋭く、立て続けに斬りかかる。
しかし繰り出される斬撃がミヨリに触れることはない。ミヨリは表情一つ変えずに、素早い身のこなしで銀の刃をよけていく。
「な、なんだこれ? どうなって……?」
どれだけ剣を振るっても当たらないことに少女は困惑する。まるで幻影を斬りつけているような不思議な気分だった。
そして少女が振り抜いた剣の先端が近くに浮かぶドローンカメラをかすめて、損傷を与えた。
「あっ、もったいない」
高そうなドローンが不安定に上下に揺れるのを見て、ミヨリは呑気につぶやいた。
まるで危機感のないミヨリに少女の混乱はますます深くなるが、魔剣に支配された身体は攻撃の手をゆるめず、正面からミヨリに突っ込んでいく。
ミヨリは足を止める。もうよけるのはやめにする。
「なっ……! なにを止まって……」
少女の顔がこわばる。それをミヨリは無表情で見つめる。
そのときだった。ミヨリの足元。そこにある黒い影から細長いモノが生えてくる。
影によって形作られた触手が三本。ミヨリの足元から伸びてきて、振り下ろされた魔剣にからみつくと、その動きを止めてみせた。
「……え? は?」
一体なにが起きているのか?
目の前の光景が理解の範疇を超えていて、少女は頭のなかが真っ白になる。
「危ない人には、ジッとしててもらわないとね」
ミヨリは薄笑いを浮かべると、魔剣に支配された少女にやさしく語りかける。
ゾッとして少女は震えあがった。
ミヨリの足元にある影から、更に触手が生えてくる。何本もの触手が飛び出してきて、少女の身体に巻きついてきた。
「うひゃああああああ!」
あまりの恐怖に少女は絶叫。目尻に涙がにじむ。
逃げようにも身体が動かない。魔剣の呪いではない。影の触手の力が凄まじくて、少女の全身を拘束して自由を奪っている。
「暴れちゃダメだよ。動かないでね」
ミヨリの足元にある影が動き出す。ひとりでに影の面積が大きくなっていく。拡張したミヨリの影は、身動きの取れない少女の足元まで伸びてきた。
ズボッ。
その音を聞いて、少女は目を見張る。
自由を奪われた少女は唯一動かすことのできる両目で、恐る恐る足元を見下ろした。
そこには……伸びてきた影のなかに沈んでいく自分の足があった。
拡張したミヨリの影のなかに、少女の身体が沈んでいる。膝の辺りまで影のなかに呑み込まれていて、目線の高さが小柄なミヨリと同じくらいになっていた。
「ひ、ひやああああああ! な、なんだこれ! なんだこれ! なんだこれぇぇぇぇっ! ひやああああああああぁぁぁぁぁぁ!」
別の生き物に捕食されるような恐怖に少女が泣き叫ぶ。
そんな同業者の悲鳴に構うことなく、ミヨリは魔剣にからみつている影の触手に力を込めた。
ピキッと魔剣の表面に亀裂が走る。
亀裂は段々と増えていくと、バキンと一際大きな音を鳴らした。
魔剣が折れる。それによって少女の肉体を操っていた呪いが解除される。
少女の手元から折れた魔剣の柄が地面に落ちていった。
これで操られていた同業者の少女も、正常な状態に戻ったはずだ。ミヨリは胸を撫でおろす。
「もう大丈夫だね。……ん?」
なのに助けたはずの少女は動かなかった。
白目を剥いて、口からブクブクと泡を吹くと、立ったまま気絶していた。
「…………」
もしかして、これはまずいのでは? ちょっとだけミヨリは焦る。
とりあえず拡張させていた影を足元に戻すと、少女の身体に巻きつけていた触手も引っ込める。
拘束を解くと、少女はバタンとうつ伏せに倒れた。割と強めに地面に身体を打ちつける。
それでも目覚める気配がない。完全に意識を失っている。
同業者をこのまま放置しておくわけにはいかない。放っておけばモンスターが近づいてくる可能性がある。
仕方ない。一緒に連れて帰ろう。
ミヨリは少女の首根っこをつかむと、ズルズルと引きずりながら地上を目指す。
半壊している少女のドローンカメラは後ろから勝手に追跡してきているので、回収しなくても大丈夫だろう。
帰り道では何体かのモンスターが襲ってきたが、蹴散らしながら進んでいき、短時間でダンジョンの出入り口であるゲートまで到着する。
ダンジョンを脱出すると、ゲートの前にいる受付の人に少女の身柄を預けた。
何があったのか事情を説明したが、どういうわけかまるで信じてもらえない。むしろこっちがおかしいみたいな扱いをされてしまう。
「幻覚見てたんじゃない?」と適当な感じであしらわれる。
ここで食い下がったら面倒なことになりそうだ。早く帰ってゲームしたいし。
ミヨリは考えた末に、「幻覚見てました」と答えておいた。
あの少女のことは、受付さんに任せておけば問題ないはずだ。
本日のダンジョン探索を終えて、家路につく。
帰宅したら「おかえり~、ミヨリ」と母が迎えてくれた。
用意されていた夕飯をいただいてお風呂を済ませると、自室に戻って気分転換にダンジョンナイトというゲームをプレイする。
ひととおりゲームで遊ぶと、ベッドに寝転がった。
なんだか妙なことがあったけど、今日も配信は振るわなかった。
いつになったら視聴者が増えるのだろう。もしかしたらそんな日は永遠に来ないのかもしれない。
人気のある配信者たちみたいに、自分の配信もたくさんの人に見てもらいたいのに。
そういえば助けたあの女の子も配信者っぽかったけど、視聴者はどれくらいいるのかな?
そんなことを考えながら、スマホの充電が切れているのも気づかずにミヨリは眠りにつく。
:何者だよ! あのやべぇ女の子!
:こわっ! てか強えええええええ!
:ムラサメちゃんが荷物扱いされてるwwww
:ついにミヨリちゃんのヤバさが世界を震撼させるときが来たんだね……!
その頃ネットでは若手トップラクスの探索者であり人気配信者でもあるムラサメちゃんを助けたけど、泡を吹かせて気絶させた謎の少女について議論が沸騰していた。
切り抜き動画が拡散されまくり、それらの動画が百万再生を超えて、SNSもその話題で持ちきりだ。
そんなことなど夢にも思わず、ミヨリは静かな寝息を立てていた。




