8話 鍵の在処
朝が来た。
けれど、リクトにとっては“夜”の続きのようだった。
目を覚ました彼は、静かに立ち上がる。
クレアはまだ眠っていた。カリナは、火の番をしていた。
「……眠れなかったの?」
「うん。夢の中で、誰かが……また“名前”を呼んでいた気がする」
カリナはふと、小首をかしげる。
「その人が、君の“お姉さん”とかだったりして」
リクトは少しだけ笑った。
「……それならいいな」
ただ、その笑みはすぐに消えた。
「夢の中で、その人が、こう言った。“鍵は地の底にある”って」
「地の底……?」
カリナの表情が、徐々に険しくなる。
「それって、もしかして……」
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彼らは、森の奥へ進んでいた。
クレアが地図を手にしている。
カリナは、その背中を押すように隣を歩いている。
リクトはというと──少しだけ先を行っていた。
“何かに導かれるように”。
「森のこの先に、“転写殻”の跡がある。地面が崩れて、封印されたって記録が残ってる」
「クレア、そこって……」
「“地の底”に降りるための唯一の道。私の部隊も、かつてそこを調査したけど、半数が帰ってこなかった場所」
彼女の声は冷静だった。だが、歩みは止めない。
リクトはふと、立ち止まって言った。
「たぶん、僕たちは“そこ”に行かなきゃいけない」
クレアが目を見開く。
「……なぜ?」
「“名前”をくれた人が、そこで待っている気がするから」
静寂があった。
だが次の瞬間、カリナが背を伸ばして言った。
「じゃあ、行こうよ。私たちは、リクトの旅に付き合うって決めたじゃん」
クレアは溜息をつき、肩をすくめた。
「……こういうの、よくないわ。三人とも突っ走りタイプってことよね」
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谷底に近づいたとき、空気が変わった。
風が重くなり、木々の葉の色が抜けていく。
「異界化……?」
クレアが剣を抜く。
リクトの足元に、黒い“蔦”のようなものがからみつこうとしていた。
「下がって!」
だが、リクトは一歩踏み出した。
次の瞬間、黒い蔦が彼の足に触れた瞬間──
《認証完了──コア反応あり》
《アクセス、承認》
足元の地面が割れた。
三人は光の渦に包まれ、気づけば“階層のない”地下空間に立っていた。
「ここが……地の底?」
周囲は真っ白だった。
だが、リクトはまっすぐ前を向いていた。
「──あそこに、“鍵”がある」
彼が指したその先に、黒鉄の扉がひとつ。
そして、その扉を見つめていた存在が、ゆっくりと振り返った。
それは──
「……リコル?」
クレアがつぶやく。
だが、それは正確ではなかった。
そこに立っていたのは、リコルに“似た姿”をした、仮面の少女。
彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「ようやく来たね。リクト──“鍵を継ぐ者”」
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「あなたは……誰?」
リクトが問いかける。
少女は、無表情で、ただ首をかしげた。
「私は、リコルの“影”。彼女が残した観測者の残滓」
「……リコルは、死んだの?」
「存在を“名前”に変えた。それが、あなた」
リクトは、言葉を失った。
クレアも、カリナも何も言えずにいた。
「君は、リコルの“想い”でできてる。だから、この鍵を開けることができる」
彼女が一歩近づく。
「だけど、その扉を開けた瞬間──」
彼女の声が、少しだけ震えた。
「君は、君じゃなくなるかもしれない」
静寂が落ちた。
だが、リクトは言った。
「それでも、進むよ」
クレアが顔を上げた。
「リクト……」
彼は、まっすぐに前を向いていた。
「僕がここにいるのは、誰かが“名前”をくれたからだ。だったら、その理由を見届けたい」
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そして、扉に手をかけた瞬間。
光が爆ぜた。
黒鉄の扉が開かれ、その奥にあったのは──
“真の転写核”。
そして、そこに眠る、“起動しなかったもう一人のリクト”。
鏡のように、彼を見つめ返す存在だった。
そして世界は、再び“分岐”を始めた──