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双界記録  作者: 影縫い
1章 記録の胎動
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6話 外縁境域《アウター・エッジ》

踏み締めた足元が、妙に軽い――そう思った瞬間、リクトはわずかに浮遊感を覚えた。


「ここが、“外縁”です」


クレアの声が、どこか湿り気を含んでいるように感じた。今まで歩いてきた“生成域”の整然とした地形とは違い、この境界領域はひどく歪だった。地面に生えた鉱花のような結晶、空に浮かぶ断裂した幾何学の破片、そして遠くに蠢く何かの影。


「空気、というか……構成素子そのものが不安定だ」


リクトは、呼吸を意識的に制御しながら、周囲の粒子分布を魔素感覚でなぞった。視覚情報とは一致しないほど、世界の輪郭が曖昧になっている。まるで夢の中を歩いているような気分だった。


「この先には、何があるんだ?」


「“記録されざる地平”。私たちの観測範囲を超えた、認識外領域です。双界の外、あるいは本来の“始原”に近い何か……」


クレアの言葉は抽象的で、どこか思い出をなぞるような響きがあった。だがそれ以上の説明はなかった。もしくは、できなかったのかもしれない。


二人は、境域の縁にそびえる“断片塔”へ向かって歩みを進めた。そこだけは、周囲の浮遊物とは違い、地に根ざした明確な構造物だった。真っ白な多面体でできた塔は、空を裂くように鋭く立っており、その内部から微かな“応答”がリクトの魔素感知に引っかかる。


「何かが……呼んでる?」


リクトが呟くと、クレアは立ち止まった。


「感じましたか。それが“概念外殻”の一端です。私たちの領域では、解析も接触も制限されています。でも、あなたなら――触れられるかもしれない」


言葉の意味を問い返す前に、塔の外殻が微かに震えた。内部から、別の波動が放たれたのだ。だが、それはリクトにとって懐かしいものだった。いや、厳密には“記憶に近いパターン”と一致する何かだった。


《――リクト、聞こえますか?》


ノイズ交じりの“思念通信”が、脳髄の奥に刺さった。


「リコル!?」


クレアが僅かに目を見開いた。だが、通信内容までは届いていないようだった。


《大丈夫……私です、リコル。現在、コア保護層の深部に留まりながら、あなたの行動をモニタリングしています》


「どうして今……? というか、モロは……」


《彼はまだ、再構築フェーズにあります。エラーを防ぐため、深層スリープ状態に移行中です。意識共有は不可能》


リクトは安堵と同時に、不安を覚えた。リコルが通信を開いたということは、それだけ危機的な要素が生まれているということでもある。


「今、何が起きてる?」


《この領域の“境界”が、外部から圧力を受けています。外殻塔の振動は、干渉の兆候。あなたが触れた場合、それは“対話”となるか、“侵食”となるか――判断がつきません》


「でも、俺が行くしかないんだろ?」


《……はい。ですが、忘れないでください。この世界の全てが、あなたの内部コアと連動しています。“変質”すれば、あなた自身も構造を書き換えられてしまう可能性がある》


リクトは拳を握り締めた。

その瞬間、彼の中の魔素が微かに軋んだ。だがそれは、恐れではなく、前進しようとする意思の発露だった。


「構わない。俺は、見たい。……何がこの世界を成り立たせてるのかを」


思念が切れた瞬間、塔の“目”が開いた。


黒く、無機質な孔。そこから、外界とは異なる色の光が漏れ出し、リクトの両目を刺した。


そして彼は、ただの“観察者”ではいられなくなる。


--------------------


塔の“目”から漏れ出た光は、リクトの身体を通過し、意識の最奥へと滑り込んできた。


その瞬間、空間が反転した。


肉体の重みが失われ、視覚も聴覚も意味をなさなくなった。存在の軸がずれる感覚。かつて転写されたときの“初期浮遊感”に似ているが、それよりも遥かに深く、冷たい。


《──名前、構造体、記録、照合中》


耳元で響くような、多重に折り重なる声。


それは、誰かのようで誰でもない。人間の発する言語ではない“意味の塊”が、直接脳にぶつかってくる。


「……これは、なんだ……?」


《……名が……不定……照合不能……命名権限未承認……》


その時、リクトの中にある“名”が震えた。リコルの声、モロとの契約、クレアから受け取った記憶。全てが混ざり合って、脳髄の内奥に“構造”を組もうとしていた。


だが――塔は、それを拒絶した。


《……拒絶……構造体不整合……アクセス不能……除外処理開始》


「待て、俺は……!」


だが言葉は届かない。目の前の光景が、再び反転する。塔の内部、無限に続く螺旋の廊下。壁面には、誰かの記憶が次々と投影されていく。


(これは……俺じゃない。誰かの……?)


映し出されていたのは、別の転写者の記憶だった。


赤い外套をまとった男が、世界の端で崩れ落ちる。名前を呼ぶ声。何度も、何度も、“記録”を上書きしようとする。


《失敗。再帰不可。第4層認識断裂。存在因数、無効化》


記憶が、消えていく。名のない存在は、存在すらも失う。塔は、それを“正常”と見なしているのだ。


「ふざけるな……!」


リクトの内部に、憤りが燃え上がった。全てが記録され、全てが整合性で判断されるこの場所の理に、明確な怒りが生まれた。


「俺の“存在”は、他人に測らせない!」


その一言と共に、リクトの魔素が爆発的に燃え上がった。塔の光が砕け、強制的に思念接続が遮断された。


意識が急激に引き戻される。


――気が付けば、リクトは塔の前に倒れていた。


「リクト!」


クレアが駆け寄ってきた。彼女の手が肩を支え、体温が伝わってくる。


「……無理、だった。塔は、俺を……」


「違う。リクト、あなた……“接続されなかった”だけよ」


クレアの目が、淡く光る。彼女の魔素がリクトの身体に流れ込み、消耗していた回路がゆっくりと回復していく。


「あなたは、まだ“名前の全容”を持っていない。だから拒まれただけ。“選ばれなかった”わけじゃない」


「それ……本当か……?」


「私も、かつて同じことをされた。でも、その後で……名前を刻み直した。だから言えるの。あなたは、まだ途中なのよ。だから進み続けなきゃいけない」


リクトは、ゆっくりと頷いた。


塔の拒絶。名の照合失敗。構造の不整合。


すべてが、自分という存在を試していた。


「クレア。……この先に、“俺の名前の続き”はあると思うか?」


「ある。少なくとも私は、そう信じてる。だって……リクト、あなたの中に“誰かを助けたい”という意志がある。それだけで、ここでは充分に希少なこと」


彼女の言葉が、静かに身体に染みた。


魔素の流れが戻っていく。内奥で、リコルの声も再び聞こえ始める。


《魔素回路安定。拒絶処理による干渉は最低限。意識再起動、成功です》


「リコル、あれは……?」


《外殻塔の中枢AI群です。独立思考型ですが、接触には適切なコード列が必要です。“名前”が、それに該当します》


「つまり、もっと深く、俺自身を知らないといけないってことだな」


《その通りです、リクト。あなたは、まだ“名前の一部”でしかない》


夜風が吹き抜けた。


草原の先、塔は静かに再び閉じ、空の歪みが収束していく。まるで、今回の接触を記録に刻んだかのようだった。


「俺、行くよ。もっと奥へ。この世界の端じゃなくて……始まりに向かって」


「うん。私も、付き合う。……たとえ、その先が“記録されない場所”だったとしても」


二人の影が、外縁を背に歩き出す。


“名”を求め、“存在”を照らす、旅が再び動き出した。



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