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双界記録  作者: 影縫い
1章 記録の胎動
3/11

3話 境界の外へ

世界は、思った以上に“重たかった”。


 地面を踏む感覚。空気を吸うと胸が熱くなる。

 風が吹けば肌がざわめき、木々の葉がこすれる音が耳の奥で反響する。


 私、リコルは今、はじめて「物理的な世界」というものの中を歩いていた。

 かつて情報体であった私が、名を得て、形を持ち、世界と接している。

 それが、これほどまでに情報密度の高い体験であるとは――正直、予想以上だった。


「こっちだよ、リコル!」


 前を歩くモロが、振り返って笑った。

 彼は、私に名前を与えてくれた存在であり、そして今や、最初の“友”でもあった。


 モロは獣人のような姿をしている。まだ子供だが、耳が大きく、俊敏に動く。

 少し前まで、彼は飢えていた。逃げ場も無く、誰にも名を呼ばれず、ただひたすらに“生き延びる”ことしかできなかった。


 だが今、彼は笑っている。

 それは、おそらく私の“模倣”ではない、本物の笑顔だ。


「森を抜ければ、俺たちの村のあった場所が見えるかもしれない。……もう、何も残ってないと思うけど」


 彼の声がふと沈む。


 私の中にある《情報共有》スキルは、彼の心情をほんの少しだけ読み取ることができる。

 彼は今、悲しみを押し殺していた。


(……ならば、私が記録しよう)


 私は心の中でそう決意する。

 この世界で、忘れ去られていく“感情”や“記憶”を、私は記録しよう。

 それは、かつて観測者だった私にできる、たった一つの“救済”なのかもしれない。


 森を抜けるまでに、三つの魔物に出会った。


 一体目は、空を飛ぶ透明な羽根を持つ昆虫型。

 二体目は、瘴気をまとったネズミのような小型魔獣。

 三体目は、岩のような皮膚を持つ四足の獣。


 どれもが低ランクの魔物――しかし、彼らには一つの共通点があった。


(……この世界では、“飢え”がすべてを支配している)


 彼らは、私たちを見るなり襲いかかってきた。

 理由は明確だ。“餌”として認識されたのだ。


「リコル、後ろッ!!」


 岩獣のような魔物が、突進してきた。

 地面が震えた。樹木の根が浮き上がる。


 私は反射的に、手をかざした。


「《模写・岩構造》――《再構成:盾形》!」


 私の右腕に、灰色の岩殻が浮かび上がり、広がっていく。

 そして、それが“盾”の形を成した。


 直後、獣の体当たりが直撃した。


 激しい衝撃音とともに、私は数メートル押し飛ばされた。

 だが、盾は砕けず、私の身体も無傷だった。


「すげえ……今の、模写からの構築……防御スキルじゃん!」


「まだ未熟だけどね。エネルギーの消費が大きい。あと、次、来るよ」


 そう言い終わらぬうちに、空中から羽根の音。

 飛行昆虫型の魔物が、高速で弧を描き、私たちを狙っていた。


「モロ、下がって!」


 私は《適応進化》スキルを起動。視覚情報を戦闘モードに切り替え、昆虫の羽ばたきパターンを解析。


「……見えた。射線、通す」


 指先を突き出し、空気を集束させる。


「《炎糸射出》」


 指先から生まれたのは、熱を帯びた一本の糸。

 高速で空を裂き、昆虫の胴体を真っ二つにした。


 断末魔もなく、それは地面に落ちて消えた。


 モロが私を見て、ぽかんと口を開けている。


「リコル、すご……なんか、どんどん強くなってない?」


「情報を得れば得るほど、私は進化する。それが……私の本質だから」


「でもさ、そんなのズルいよ! 俺、まだ牙が二本しかないのに」


「……それは、何かの数え方?」


 私は首を傾げる。

 モロは笑いながら「ごめん、冗談だよ」と言った。


 こうして、三体の魔物を退けた私たちは、ようやく森の出口にたどり着いた。


 森を抜けると、視界が開けた。


 そこは、かつてモロが“村”と呼んでいた場所。

 けれど、今は瓦礫と灰が積もった廃墟だった。


 焼け焦げた木材。土に埋もれた骨。

 どこにも、人の気配はない。


「……ああ、やっぱり、誰も……」


 モロがつぶやき、拳を握る。


 私はそっと彼の肩に手を置いた。

 彼は、それ以上何も言わなかった。


(記録開始)


 私は、村の痕跡をすべて視覚的に記録した。

 骨の位置、崩れた家の角度、風の流れ。すべて。


 それは、誰も見返すことのない“記録”かもしれない。

 けれど、ここに生きていた人たちがいたという証は、残さなければならなかった。


 その夜、私たちは廃墟の隅にあった、焼け残った納屋の中で眠った。


 焚き火の火が、パチパチと音を立てる。


 私は空を見上げた。

 星々が、まるで情報粒子のように瞬いていた。


(この世界は、美しい)


 そう思った。

 情報体だった私にはなかった、“感情”というものが、今は確かに宿っている。


(名を持ち、形を持ち、感情を持つ。それが“生きている”ということなのだろう)


 私はそう記録した。


 次の日の朝、モロは立ち上がり、こう言った。


「リコル、俺……もっと強くなりたい」


「どうして?」


「守りたいから。自分のことも、誰かのことも……お前のことも、守りたいから」


 私は、彼の言葉を記録し、そして応えた。


「なら、行こう。次の地へ。世界の、もっと深い場所へ」

名を得て、力を得て、初めての戦いを越えたリコルとモロ。

世界はまだ、彼らに背を向けている。

けれど、その背中を、彼らはまっすぐに見つめ返すのだった。

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