第1話 勇者、父になる。
世の中の大抵のことは、なんとかなるようにできている。
勇者ラカンは崖下に広がる黒々とした魔王の領地を見据えながら、そんなことを思う。
幼くして父を亡くした時も、たまたま伝説の勇者の剣を抜いてしまった時も、魔王軍幹部たちと死闘を繰り広げた時も、諦めさえしなければやがて道が拓けた。
だからだろうか。
今、魔王との最終決戦を前にしても、不思議と胸の内は凪いでいる。
「いよいよだな」
焚き火を囲む仲間たちを顧みると、彼らは黙って頷いた。
ラカンも彼らの輪の中に戻り、腕を組みながらまぶたを閉じる。
もしかすると、この四人で野営をするのはこれで最後になるかもしれない。
明日には魔王城に乗り込んで、囚われの姫を救出し、魔王を討伐する。
……その後は?
あまりちゃんと考えたことがなかったが、きっとそれぞれ元の生活に戻っていくのだろう。
不屈の傭兵ダルトンは、遠い国で暮らす家族を養うための新たな仕事へ。
天才魔工士キャリィは、王都の魔法工学院で発明に明け暮れる日々へ。
慈愛の聖女セリアは、教会の慈善活動でせわしなく各地を巡るのだろうか。あるいは……。
自分も、勇者としての使命を終えたら何をするか考えなければいけない。
地元に帰って再び家の農作業を手伝うか?
いや、王から支払われる多額の報奨金がある。
それを元手に王都で家を買って、母を呼び寄せてやるのはどうだろう。
定食屋でも開いて、のんびり暮らすのも悪くはない。
そんな未来に想いを馳せていると、「あの」と沈黙を破る声があった。
聖女セリアだった。
彼女が口火を切るなんて珍しい。
この四人の中では一番物静かで、事務的なやりとり以外はあまり言葉を交わさず、他の三人が雑談に興じていても話を振られるまで会話に入ってくることのなかった彼女が。
どこか緊張した面持ちで、色白な細い指を祈るように身体の前で組んでいる。
「こんな時に申し訳ないのですが、皆さんにお話ししなければいけないことがあります」
彼女は俯きがちに、焚き火の中に消え入ってしまいそうな声で言った。
一体なんの話だろうか。
込み入った話であることは想像に難くない。
だが、真面目な彼女のことだ。今話すべきだと考えたから、勇気を出して口を開いたのだ。聞かない理由などない。
「どうしたんだい、セリア。話してごらん」
ラカンがそう言うと、彼女はゆっくりと顔を上げた。
その視線はまっすぐラカンに向けられていて、青い瞳は今にも泣きそうなくらい潤んでいる。
この時ばかりは聖女というより救いを請う信者のようであった。
彼女がそこまで思い詰める事情とはなんだろうか。
力にならなければ。
仲間として、友として、あるいは一人の男として。
たとえどんな事実が告げられようと。
やがて彼女は固く組んでいた指をほどく。
そしてその手でそっと、自らの腹を守るように優しく包みこんだ。
「実は……赤ちゃんを、授かったようなのです」
「え」
さざ波ひとつなかったラカンの胸中に大波が打ち寄せた。
……心当たりなら、あった。




