第二十一話 怪我をしたモフモフ
今日は生憎な天気で、灰色に染まった空を眺めていると窓に伝う水滴に視線を落とした。
ポタポタと耳に聞こえていた水音も、気が付いたらザーッと激しくなり始める。
トントン
「はい」
軽い音が耳に聞こえてきて、扉を叩いている誰かに気が付くと返事をする。
扉が開いて顔を見せたのはレイだった。
今日は、チャコラが休暇でいないことに加えて、この天気なので鍛錬も室内にある訓練所のみで、レイも暇を持て余しているみたい。
「レイ、もしも雨が止んだら、雨上がりに外に行きたいのですが、お付き合いしてもらえますか?」
「そうですねぇ。雨上がりなら、静かでしょうし。まだ、建国祭まで時間もありますから良いですよぉ」
部屋に入ってきたレイは訓練後に湯浴みをしてきたようで、ほんのり良い香りがした。
これが、以前レイが言っていた薔薇の香りのようなものかもしれない。
天気が変わるのを知る魔法はないけれど、異国では占い師などで天気を識る者もいると聞いたことがある。
私の知らない世界が広がっていて、行ってみたい。
建国祭が無事に済んだら、あと二年。外の世界を観に行くことは許してもらえるだろうか。
私にもレイのようなお兄様や、チャコラのようなお兄様たちがいたら違ったのかもしれない。
ううん。居ないものを考えても仕方がないし、決して私は女王になるのが嫌なわけじゃない。
世界には自由を謳歌している王族もいると聞く。
もちろん、国民を第一に考えて……。
ただ、私が男だったなら……もっと見聞を広げられたのかもしれない。
強い魔力に魔法の才能はあるのに、守られてばかりでおとぎ話のお姫様だ。
「あっ……。レイ、見てください。少しだけ、青空が見えませんか?」
「んー? 本当ですねぇ。まさか、お嬢の魔法ですか? なんて」
「ふふっ。天気を自在に操る魔法も良さそうですね。魔女認定されそうですけど」
おとぎ話にある魔女は、悪いイメージしかない。
自分の好きに魔法を使って、他人に迷惑をかける存在だ。
雨を待ってる人もいる。外に出たいだけの不純な理由で、雨が止んで欲しいなど、自己中心的でしかない。
「でも、外に行きたいってどこに行くんですー? モフモフの森ですか?」
「そうですね。ただ、雨上がりの外を満喫したかったので、考えていませんでした」
「まぁ、雨上がりは虹も出るかもしれませんしねぇ。少し、幻想的な気はします」
レイも外に行くことは満更ではなさそうで良かった。
昼食を終えた頃には雨が止んでいて、私は濡れることを考慮して、いつもの長いワンピースではなく膝丈までの雨色で、小さなリボンがあしらわれたワンピースに袖を通す。
日差しが出るかもしれないと麦わら帽子を被り、いざ外の世界へ。
「お嬢ー。雨が止んだあとの地面は、歩きづらいですから転ばないでくださいよー」
「不敬ですよ、レイ。私にドジっ娘属性はありません」
「また妙な本を嗜んでますね? まぁ、気をつけてくださいよ」
間が抜けていたり、良く失敗する女の子をドジっ娘属性というようなので、私も完璧な淑女ではないけれど、転んだりはしない。
レイと共に外へ出てすぐ、大きな虹に気がついて笑顔になる。
部屋からは見られなかった景色が広がっていた。
「お嬢は運が良いですねぇ? 雨上がりに必ず虹が出るとは限りませんから」
「本当ですね! 素敵です……それでは、この気分のまま探索しましょう」
「ハイハイ。遠くにはいきませんよー。どっちに向かいます?」
いつもならモフモフの森に行くところだけれど、なぜか反対側に行くべきだと私の直感が囁く。
レイは護衛だから、必ず私は後ろを歩かないといけない。
なので、進む方向を示して歩いていく。
反対側は城下街からも離れることで人は歩いていない。
森に近づかない限り魔物も寄りつく道ではないため、雨の雫でキラキラと輝く花や草に目を細めて眺める。
「お嬢――」
「はい? きゃっ……す、すみません」
だから、レイの声と足を止めたことに気が付くのが遅くて思い切り背中に顔を打ち付けた。
「えーっと、大丈夫ですか? 俺が鎧を着ていたら、血が出ているかもしれないんですから……しっかり前も見ていてください」
「うぅ……何も言えません。それで、どうかしたのですか?」
「いや、その……。アレは、生きているかどうか分からないモフモフが――」
レイが身体で隠すようにしているのを引き剥がす勢いで覗き込む。
地に伏せた状態で雨によって流れた血や泥がついた毛が萎んでしまっている小型の魔物が視界に入った。
思わず口を押さえた瞬間、ピクッと動くのが分かりレイの静止も聞かずに駆け寄る。
「お嬢! 魔物は、瀕死ほど危険なんですから、勝手な行動はしないでください!」
「ですが! この子は、生きたいと言っています! 早く、城に連れて帰って回復を施してもらいましょう!」
「分かりましたから……それにしても、お嬢が近づいても平気そうですね。モフモフじゃないのか? いや、この形状は」
明らかにモフモフであるだろう毛皮をまとっていて、小型だ。
半径5メートルでも大丈夫ではあったもの、いざ触ろうとしたら瀕死にも関わらず目を丸くしたモフモフは甲高い鳴き声をあげる。
すかさずレイが私とモフモフの間に割って入った。攻撃の意思はないモフモフは、再び目が半分ほどに閉じ両手でレイが持ち上げても微動だにしない。
「距離は良くて、私に触れられたくないとは一体……。今は、一刻も早く城に向かうことでした! 行きますよ、レイ」
「って、お嬢! 先に歩かないでください」
「モフモフを両手で支えている現状は、前も後ろも関係ありません。急いでください」
レイに極力身体を揺らさないよう注意しつつ急かして、少ししか歩いていない道を戻る。
城に着いて直ぐに回復魔法使いを呼び出して、レイの部屋に移したモフモフの治療をしてもらった。
本当は私の部屋に連れて行こうとしたのに、レイに険しい顔で注意される始末。
「回復は施しましたが、血が思った以上に抜けていると思いますので、今日が峠かと……」
「分かりました……。有り難うございます」
「お嬢、就寝時は俺が見てますんで。部屋に来ないでくださいよ?」
淑女としてそれは弁えているので、小さく頷いた。
床に置かれた籠に入ったモフモフを寝そべるように眺める。
先ほどよりも呼吸が早くない姿にホッとした。
けれど、今日が峠と言われて眉を寄せる。
「この子は、大丈夫です。生きようと懸命に頑張っていますから」
「そうですね。それに、回復を施してもらったおかげで、少しモフモフ部分も戻った気がしますよ」
「本当ですね! 元気になったら、身体を拭いてあげたいですが……私は触れないでしょうね」
夕食をしたあともレイの部屋に入り浸りモフモフを眺めているため、私専属のメイドが扉の前で入れ替わり立っていた。
レイは護衛だけれど、さすがに王女である私が男性の部屋に二人きりは駄目みたい。
そろそろ就寝の時間を迎え、渋々部屋に戻ろうとしたときだった。
「ピピッ……キュキュ」
「お嬢! 目を覚ましたみたいですよ」
「えっ!? 本当ですか?」
回復魔法使いの話だと目を覚ましたら峠を越えたに等しいと言われた私は思わずレイの両手を握って上下に揺らす。
助かったことに喜んでいた私は、少し驚いた表情に視線を逸らす様子に気が付くことはなかった。
「ご飯とかは、どうしましょう。何を食べるのかしら」
「――そう、ですね。文献で調べましょうか」
手を離した私は視線を下に向けたまま、普段より違和感のあるレイの声にも気が付かず、手のひらを見つめる彼に首をかしげる。




