キツネのココロ
声を掛けたのは、メイドのリン。何があったのか、驚きつつも冷静に話を聞いている。
「どうしたコン?何があったんだい?」
リンがコンに声をかける。コンはトライに逃げられたとか、職も失うんじゃないかとか。
トラウマが憶測を呼び、憶測が悲壮を産む。
「コン、落ち着いて。」
優しくコンを抱擁するリン。
それでも泣き腫らし、小さな声で呪咀のような妄想を垂れ流すコン。
このままでは過呼吸か、倒れるまで泣き続けそうな彼女に、リンはポケットから小瓶に入った塩のような粉を少しだけコンに振りかける。
「ごめん、少しだけ落ち着いて……」
あっという間に息が浅くなり、全身で呼吸していたコンは瞳がゆっくり閉じてゆく。
この宿のメイドが携帯している、睡眠や鎮静作用のある粉で、宿の中で暴れた者に投げたり、眠れない者にほんの一粒与えることができる。
それだけ強力な粉を少量とはいえ使われたら、嫌でも眠りに落ちてしまうだろう。
ただでさえコンは魔法の効果を受けやすい体質をしている。
ぐったりと深い眠りについたコンを抱きかかえ、その部屋のベッドに寝かせる。
落とした紙袋は枕の隣に置き、軽くコンの頭を撫でる。
「何があったのかは分からないけど―――」
コンを見守るメイドはそうつぶやいた。
その時、扉が開き、タオル一枚のトライが部屋に入ろうとすると―――
メイドと目が合う。
少しの沈黙の後、リンが先に口を開く。
「お客様―――
トライさん―――
コンに―――
コンに一体何をしたんですか?」
リンの冷たい声は辺りを張り詰めさせるには十分なほど低いトーンだった。
「なんの話だ?俺はただ―――」
ベッドから立ち上がり、威厳のある足取りでトライに詰め寄るリン。
手には取り出した隠しナイフ。
やらなければやられる。
しかし……
今身につけているのはタオル一枚。
ハラリとタオルを解くと、鞭のように変化させたトライ。
それもかなり長い鞭に。
「止まれ、話を聞いてくれ!」
叫んだときにはメイドが腕を振れば届く距離に接近していた。
トライは大きく、そして素早く鞭を横に振り、メイドに鞭の根元が当たると、鞭はメイドに巻き付く形でメイドの動きを奪った。
突然の反撃に驚いたリンは体制を崩し、その場に倒れ込む。
手に持っていたナイフも、トライの足元に金属音を出して落ちる。
「ちょっと!誰か!メイドが!」
トライは大声で扉の外に助けを呼ぶ。
とてつもない速さで厳かなメイド―――メイド長が駆けつける。
「お客様、いかが―――」
途中まで言いかけたメイド長は、目の前に立つ全裸の男とリンが目に入る。
「長!この男がコンを!」
取り乱すリンと対照的に、落ち着いた口調でメイドの長と呼ばれた女性はこう返す。
「リン、落ち着きなさい。
そして殿方―――服をお召しになって頂けますか?」
まるで野獣をいなす様に落ち着いている。
目は一直線にリンを見ており、何かを伝えようとしているのが表情からも見て取れる。
ものの数秒だろうか、鞭に巻かれたリンが大人しくなるのを感じたトライは鞭をシャツとズボンに変え、着する。
鞭から解かれたリンはその間歯を食いしばり、何か言いたげにしていた。
そして一度収まりが付いたところで、メイド長は目をつむり考え事をしているような素振りを見せた。
10秒ほどだろうか、しばらくすると目をそっと開く。
「まずはリン。あなたは大きな勘違いをしています。」
そこからしばらく、トライ、コン、リンのここでの出来事を語る。
「―――だから、トライさんは悪くないし、コンはトライに逃げられたと勘違いしていたの。」
メイド長は続ける。
「まずは……リンはトライ様にきちんと謝ること。大切なお客様を手に掛けようとするだなんて、なんてことをするのですか。
そして、トライ様。コン様にひとこと詫びてあげてくださいな。」
状況を飲み込めないトライは、頭に?を浮かべる。
「コン様は、あなたがこの部屋にいなかった事を大変に悲しんでおられました。」
なんでこの場にいなかったメイド長にそんなことが分かるのか、そしてそれは悲しむようなことなのか。
「わ…わかりました。」
トライが困惑しつつ返事をすると小さく頷いたメイド長。
「あなたも。」
リンに促すメイド長。
リンは深々と頭を下げながらか細い声で勘違いへのお詫びをした。
メイド長はリンが頭を上げるのを見ると、小さく頷く。
そして、メイド長が謝罪を述べる。
「トライ様、とんだ御無礼を失礼いたしました。
お詫びと言ってはなんですが―――」
コンが起きるまでの間、タダで泊まっていてもいいと言う。そして今回の宿泊についても料金は返す。
襲われた以外の実害はなかったゆえ、悪いと思いながらもそれを飲む。
しばし騒ぎとなった部屋からは、メイド達が退出する。
ひと騒ぎあった後で、疲れたトライは、コンの寝ているベッドに入る。
騒がしいコンの姿を思い浮かべつつ、そっとコンの頭を撫で、眠りについたのであった。
次回から本編です。