夏祭り
朝、いつものように、きつい坂道を登っていくと、向こうから朝日を背負って秀美が登ってきた。なんだか今日は元気がないように見える。でも僕の姿を見るとホッとしたようにも見えた。僕が大きく手を降ると、秀美らしくなく小さく手を振り返してくる。
坂の頂上で立ち止まると、秀美が言った。
「いつも思っちょったけど、いちいち坂、登って来いでもええに」
秀美の言う通りだった。合気道の特訓に使う公園は、僕の後ろにあるのだ。
「トレーニングだよ、トレーニング」
そう言って僕はごまかした。
その日も秀美から一本も取れなかった。それでも確実に強くなっている気はしたし、芝生に背中が着く感覚も気持ちいいと思えた。
「頑張ったよね、ヒデキ」
秀美が僕を褒めてくれる。
「絶対強くなっちょるよ。毎朝来たもんね。えらい、えらい」
頑張ったという意識はなかった。ただ毎日、朝一番に秀美に会えるのが楽しかった。僕が必要もなく坂道を登っていたのも、早く秀美に会いたかったからだ。
特訓を終わり、二人並んで歩いていると、壁のポスターが目にとまった。
「あぁ。もうこの夏祭りの時期なんだな」
僕がそう呟くと、秀美も興味を示した。
「夏祭り……。へえ! あたし、行ったことない」
「毎年行われる大きなお祭りだよ。花火もいっぱいあがるよ」
「わ! うち、花火って見たことないがじゃ」
「まじで!?」
「海辺の田舎育ちやきね」
「よかったら……一緒に行く?」
秀美は即答した。
「ええの!? うん行く! 行きたい!」
じわぁ……と嬉しさが込み上げてくるのを隠しながら、僕は教えた。
「三日後か……。この街ではね、この夏祭りが終わると夏が終わったって感じがするんだ」
「なんかロマンチックやね」
「そ……、そうかな?」
フフッと笑うと、秀美は心から言うように、呟いた。
「楽しみ」
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
夏祭りの前の日、兄貴が言った。
「おいヒデキ。夏祭り、秀美ちゃんと行くんだよな?」
「う……、うん」
「二人きりか?」
「うん」
「そこに座れ」
正座させられた。
「お前……絶対告白しろよ?」
励ますように、兄貴に言われた。
「絶対大丈夫だって。二人きりで夏祭りに行ってくれるのって……それ、もうOKしてるみたいなもんだぞ」
「そ、そうかな……」
「当たり前だろ! ふつう、そんな気もない男と二人きりで夏祭りなんて行かんぞ? 絶対あの子、お前が告白してくれるの待ってるって」
どうなんだろう……。ふつうはそうなんだろうけど、秀美ははっきりいってふつうじゃないからな……。そう思いながらも、兄貴の言葉にその気にさせられていた。一人自分の部屋で、鏡に向かって何度も台詞を練習した。
「秀美のこと、恋愛の意味で好きなんだ! 合気道で不良グループに勝ったら付き合ってほしい!」
秀美はどう答えるのだろう。
『うん、勝ったらね』かな?
『勝ったらとかじゃなくて、今すぐいいよ』だろうか?
それとも──
『ごめん。恋愛の好きとかよくわからんし』
これが一番しっくりくるところが怖い……。
鏡の中の自分の意外にかっこいい顔を見ながら、どうしても不安は拭えなかった。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
花火があがりはじめるのは夜七時からの予定だった。
僕は公園の駐輪場に自転車を停めると、歩いて夏祭りの会場へ向かった。買ったばかりのTシャツにジーパン、足元はまっさらのスニーカー。シンプルだけど精一杯お洒落してきたつもりだ。
夕方五時に時計塔のたもとで待ち合わせだった。
秀美はまだ来ていなかった。まぁ、僕が30分も早く来たせいだ。
彼女を待つ時間もまた楽しかった。周りはお祭りに来た客で賑やかだった。子供連れ、カップル、男同士や女の子同士のグループ、前を通る色とりどりの人たちを眺めながら、秀美の姿が現れるのを待った。いつも通りの白いTシャツにショートパンツ姿が現れるのを待っていると、信じられないものを目にした。
人通りの向こうから、白に赤い金魚の模様が入った浴衣を着て、肩まで伸びた髪をツインテールにした、見たこともないほど可愛い女の子が現れて、僕に手を振った。眩しい笑顔に目がくらむかと思った。そしてその女の子は、僕の前に駆けて来ると、言った。
「お待たせ、ヒデキ」
「ひ……、秀美!?」