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彼女の部屋

 寝る前、僕の部屋に並んで立つ二本のギターを、夢見る気分で僕は眺めた。


 同じレスポールの色違いだ。


 赤い僕のは本物のギブソンで、元は兄貴が買ったものだ。25万円ぐらいしたらしい。僕のというよりは兄貴との共有物だ。

 黒い秀美のはメーカーはトーカイで、いわゆるギブソンのコピーモデル。定価八万円。でもなぜか、秀美のレスポールのほうが高級に見えてしまう。


「いいひとに貰われたなぁ……、おまえ」

 僕は黒いほうのレスポールに語りかけた。

「最高に幸せなやつだぜ」



* … * … * … * …* … * … * … * …* …



 次の日は日曜日で、朝から親父も兄貴もいなかった。親父はたぶん、新しいお母さん作りだ。兄貴はたぶん、昨夜ナンパにでも成功したのだろう。


 合気道の特訓が終わると、僕は秀美に言った。


「今日はうちに来ないほうがいいかも」


「なんで?」

 不思議そうに秀美が僕の顔を見た。

「あてのレスポールくん、弾きに行きたいんじゃけど?」


「うん。親父も兄貴もいないんだ。二人っきりだよ?」

 僕は自分が狼になるかもしれないことを匂わせるように、言った。


「それが何か?」

 秀美はただ、キョトンとした。

「何か問題でも?」


 僕は狼にならない自信がなかった。彼女を嫌な目に遭わせたくない。それで、唐突に、思いついたことを口にした。


「そうだ! 秀美の家って反対側だろ? 近いんだろ? 遊びに行ってみたいな」


 我ながら何を言い出したんだと思った。それこそ僕、彼女の部屋で狼になってしまうかもしれないじゃないか。


 しかし秀美はあっけらかんと、笑顔で答えた。


「あー、ええね。たまには家に遊びにおいでよ」







 びっくりした。高校生の女の子が住んでいるとは思えない家だった。薄暗い林に囲まれて、ツタが壁を這う、それは昭和の面影を残すボロボロの屋敷だった。


 正面から見ても大きそうだったが、中はさらに広かった。でも中も古くて、今にも床から崩れ落ちそうな印象だった。


「お母さん、帰ったき」


 靴を脱ぎながら、大きな声で秀美がそう言うと、近くの部屋から弱々しい声が答えた。


「おかえり。今日は早かったんだねぇ」


 玄関を上がってすぐのところに、八畳の部屋があった。障子の扉を横に開くと、老婆が座椅子にはまり込んでテレビを観ていた。七十歳代ぐらいの、しかし老婆としか言いようがないような、弱々しいひとだった。


 老婆は僕を見るとびっくりしたように一瞬のけぞってから、ぺこりと頭を下げた。秀美は素速く老婆の向かいに座ると、隣の座布団に座るよう、僕にうながす。そしてあかるい声で老婆に言った。


「友達連れてきた。同じクラスの山下ヒデキくん」


「ああ……」

 秀美から噂でも聞いていたようで、老婆は三回うなずいた。

「あなたが……山下さん。いつも秀美がお世話になってます」


 どんな噂を聞かされていたのだろうか。っていうか、もしかしてここが秀美の部屋なのだろうか。老婆と同じ部屋で生活してるんだろうか。大体、この老婆が『お母さん』って……どうしうこと? さまざまな疑問が僕の頭をぐるぐる回っていると、秀美が立ち上がった。


「部屋、片付けてくるきに、ヒデキはお母さんの話し相手してあげちょって?」


 笑顔でそう言うと、長い廊下を奥へ歩いていってしまった。


 僕は老婆と二人、取り残された。


「お茶……淹れましょうね」


「あ、いいですよ。お構いなく」

 老婆が立ち上がるのがしんどそうだったので、僕は本気で手を振って断った。

「その……。秀美さんの……お母さん、なんですか?」


「あの子から聞いてないですか?」

 お母さんは僕と言葉が同じだった。土佐訛りがなかった。

「あの子は私が引き取った天使なんですよ」






「なんにもない部屋じゃけんど、ギターとキーボードはあるぜよ」


 そう言って招き入れてくれた秀美の部屋は、ほんとうになんにもなかった。


 本棚に数冊の漫画本、あとは小さなテーブルとカシオの電子キーボード、そして部屋の隅にギターのハードケースが置いてあるだけで、畳の上にはベッドすらない。広さが八畳もあるせいで、そのなんにもなさが際立っていた。


「あっ。そこの襖は開けたらいかんぜよ。絶対な!」


 僕はチラリと押入れの襖を見た。念を押されると開けて見たくなるものだが、絶対に開けないようにしようと心に誓った。


 小さなテーブルにお茶とお菓子を置き、向き合って座った。


 することは特になかった。会話もなんだか出てこない。


「あっ! あてのギター、見る?」


 そう言って秀美が立ち上がり、隅に置いてあったハードケースからアコースティック・ギターを取り出した。ちょっとびっくりしてしまった。マーティンのD-45だ。ヴィンテージ物だったら100万円以上とかするやつだ。


「なんか曲、弾いてよ」


 僕がリクエストすると、彼女は鉄弦ギターでクラシックの曲を弾きはじめた。哀愁漂う、トレモロが印象的な曲だった。


 ロマンチックという言葉が、柄もなく僕の頭に浮かんだ。目を閉じると異国の風景が浮かんでくる。小さな教会が見えた。遠くには風車があり、腰まである麦の穂が金色に揺れていた。その中に秀美が笑いを浮かべて立っていた。麦わら帽子が風に乗って飛んでいく。彼女のすぐ側には崖があり、その下にはなぜか土佐の荒海が広がっている。秀美は風に飛ばされた麦わら帽子を追って、かっこいいカエルのように、高い崖の上から海へダイブした。


 目を閉じて、彼女のギターの音色に耳を傾け、そんな支離滅裂なイメージを浮かべながら、僕はさっきお母さんから聞いた話を思い出していた。



「私はあの子のほんとうの親ではないんですよ」

 初めて僕が聞く話を、短い間に秀美のお母さんは、いっぱい僕に教えてくれた。

「秀美は産まれてすぐに教会の前に捨てられていたそうです。牧師さんがそれを拾って育てていたそうです」


 僕なんかが聞いていい話なんだろうかと、お尻がムズムズするのを感じながら、お母さんの話に聞き入ってしまった。


「私……、主人に先立たれ、身寄りがなくなって、高知県の海に、死にに行ったんですよ。主人と若い頃に旅した思い出の海に身を投げようと思って」


 いきなり重い話を聞かされ、僕は言葉どころか声も出せなかった。ただ聞いていた。お母さんは僕の顔をまっすぐ見ると、思い出し笑いをするように、楽しそうな顔で、言った。


「そこで天使に出会ったんです」



 お母さんの話をまとめるとこうだ。

 高い崖の上から岩に打ちつける荒海を見下ろしながら、両手を合わせてお母さんは立っていた。

 そこへ背後から声をかけてくる女の子がいたそうだ。


「そこから飛び降りする人、多いがよ。わかっちゅー? 掃除する者がどれだけ大変か?」


 振り向くと、麦わら帽子を被った、色の黒い女子高生が、不機嫌そうな顔をして立っていたそうだ。


「まぁ、掃除はちゃんとするき、早う飛び降りなよ」


 お母さんはこんなところで人に会うとは思わず、びっくりして聞いた。

「あの……。あなたは? 近くに住んでるの?」


「ちっくと歩いたところに教会がある。そこに住んじゅーよ。掃除するがはうちの仕事や。しゃんしゃんくるめたいき、早うして」


「しゃんしゃん……くるめき……?」


「『サッサと片付けたいから早くして』ってこと。おばちゃん飛び込まんのやったら、代わりにうちがしたろっか?」


「え……」


 止める暇もなく、少女は被っていた麦わら帽子を風に飛ばし、高い崖の上から飛び降りた。

 悲鳴をあげながら、お母さんが見送る先に、空を飛ぶように綺麗な姿勢で、秀美は頭から海にダイブしていった。




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