彼女のギター
僕は中古一万円以内で買えるいいギターを探しまくった。
ネットオークションで何度か入札したが、どれも一万円を超えてしまい、落札することは出来なかった。それでも諦めず、頑張った。
秀美はあまり長い時間は遊びに来なくなった。カフェでのバイトの出勤を増やしてもらったらしい。でもバイト帰りには大抵僕の家に寄って、成果を聞いてきた。
「どう? ええのあった? ごめんね。自分で探せたらええがやけんど」
あまり申し訳なさそうにではなく、上から目線で言われるとちょっとカチンときたけど、
「ごめん。なかなか安く終了するのがなくて……。運がよければ激安にありつけることもあるんだけど」
そう言って謝った。なんだか僕のほうが申し訳なさそうだった。
自分のノートパソコンで、今追っている商品を五つ、秀美にも見てもらった。キラキラした目をして「うん、これ、好き」と、僕が勝手に選んだギターの画像を見つめるその横顔に戦意が高揚した。
彼女が自分のギターを買ってしまったら、もう僕のところへは遊びに来てくれないかもしれない。そう思いながらもこうして僕が頑張って彼女のギターを探しているのは、これが理由なんだとわかった。
ギターを見つめる秀美のキラキラした目を、もっとキラキラさせてみたいんだ。ただ、彼女の喜ぶことをしたい。そういう思いが強かったのだった。
そんな思いを原動力に、僕は寝る間も惜しんで秀美のギターを探した。
しかし、それは意外なところから見つかったのだった。
「えー!? 本当に!?」
僕は思わず声をあげてしまった。
「ああ。一万円でいいって言ってるよ」
兄貴はそう言いながら、ニヤニヤ笑った。
「ギター弾けるようになりたくて買ったけど、全然うまくならないからやめるんだとさ」
兄貴の友達が定価八万円のトーカイのレスポールモデルを譲ってくれることになったのだ。一万円で。
兄貴にも相談しておいてよかった。秀美の好感度が上がるのが僕じゃなくて兄貴なのが癪だけど……まぁ、仕方がない。
「ありがとう、お兄さん!」
僕のベッドに座っていた秀美が喜びのあまり立ち上がり、兄貴に抱きつきそうになって、止まった。
「ヒデキも! ありがとう!」
そう言って、僕のほうにも笑顔を向けた。僕になら抱きついてくれてもよかったのに。
ギターの受け渡しが明日に決まり、秀美はニコニコしながら帰っていった。
秀美がいなくなると、兄貴はニヤニヤ顔をマックスにして、僕に聞いてきた。
「なぁ、もう秀美ちゃんと、ヤッた?」
「な……、何を?」
「決まってんだろ。それともまだか?」
「そっ……! そういう関係じゃないから!」
彼女の名誉のために、慌てて否定した。
「大体付き合ってもないから! 僕らただの友達だから!」
「お前なぁ……。好きでもない男の部屋に、こんなにしょっちゅう遊びに来ると思うか?」
兄貴の顔からニヤニヤが消えた。
「サッサとヤッちまえ。あの子もきっと待ってるぞ」
そ……、そうなのかな。
秀美は、僕とそういう関係になりたいのかな。
そうじゃなかったら、こんなに遊びになんか来ないよな、確かに……。
彼女のギターを手に入れたら、彼女の気持ちもわかるだろう。そんな気がした。
最近の秀美は、短かった髪がだんだんと伸びて、男らしくすらあったその姿に、僕は女の子を凄く感じるようになっていた。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
次の日、秀美は朝から僕の部屋にいた。もちろん朝早く、やって来たのだ。泊まったなんてことじゃない。
ギターに出会えるのを待ちきれなかったと言って、ワクワクしている気持ちを朝から僕に語って聞かせた。
そのうち話題が途切れると、秀美が言った。
「そうや。ヒデキ、絵がうまかったよね? なんか描いてみしてよ」
「うまいってことはないけど……。描いたのがスケッチブックにあるよ」
そう言って机の本立てからスケッチブックを取り出し見せると、秀美はとても興味深そうにそれを開いて眺めた。
中には美術の授業で描くような真面目な写生画とかではなく、漫画のキャラが描いてある。それは単なる趣味で、漫画家をめざすような画力は僕にはなかった。
それでも秀美は称賛の声を漏らした。
「うまいねや……。凄いねや。うち、絵がうまいひとってげに尊敬するんちやね」
「秀美も漫画とか描くの?」
「漫画家になるがが夢やったんちや。絵が下手すぎて中学生の時、早々に諦めたけどね」
意外な夢だった。
てっきりギタリストになるんだと思ってた。
それだけに、俄然興味をもってしまった。彼女がどんな絵を描くのか。
「何か描いてみてよ。僕の描いた絵の隣にでも」
僕がそう言って鉛筆を渡そうとすると、なんだか苦手な虫でも渡されそうになったみたいに拒絶する。
「無理無理! 絶対無理やき! こっ恥ずかしい!」
もしかして本当に、とてつもなく下手なのだろうか?
この、なんでもできるスーパーな娘が? いやでも、漫画家になりたかったくらいだから……いや早々に諦めたということはやっぱり相当下手……?
さらに興味を掻き立てられて、僕は無理やりにでも彼女の絵を見てみたくなった。
無理やり鉛筆を持たせようとして、秀美をベッドに押し倒してしまった。
「あ……」
「う……」
僕に覆い被さられた恰好で、秀美が目を潤ませた。頬がうっすらと紅くなる。
僕はすぐに退けばいいものを、そのまま上から秀美の顔を、至近距離で見つめてしまった。なんだかとても自然にそうなってしまったので。
まつ毛が長かった。鼻がツンと高くて上向きだ。
唇が何も塗っていないのにピンク色で、吸い寄せられるようないい匂いがした。
「わかった!」
唐突に秀美が声を出した。
「描く! 描くから退け」
僕を押し退けて立ち上がると、僕の勉強机でシャカシャカと絵を描き出した。すぐに完成させると、僕に見せてきた。
「これは……何を描いたの?」
「ヒデキじゃ」
スケッチブックには不思議な感じの宇宙人が描かれていた。地球人にはあるはずの鼻がなく、後ろ脚で立つ犬みたいに身体のラインが細くてぶよぶよしてる。かなりシンプルに描き殴った遮光器土偶のようにも見えた。
はっきり言うと、ド下手くそだった。
「下手やろ……?」
上目遣いにそう聞く彼女に、遠慮なく答えた。
「うん、ひどい」
「忌憚のない感想をありがとう」
僕の言葉で、彼女の中の何かが燃え上がったようだった。
「そうや! あてが君にギターを教えるき、君はあてに絵を教えてよ! それでおあいこじゃ」
それは願ってもないことだと思った。僕に絵を教わりに、彼女がこれからも遊びに来てくれるということだと思った。
僕には他人に教えるような絵の才能はないけど、秀美にだったら小学生に九九を教えるようなものだと思った。
そう思っているとチャイムが鳴った。
兄貴の友達はチャラチャラした人だった。ギターのソフトケースを背負い、兄貴と一緒に僕の部屋に入ってきた。
「女の子にモテたくて始めたけどさー、あまりに才能なくて、全然うまくなんなくて……かえって女の子に笑われちまったから、ギターに八つ当たりして、はっきりいってボロボロだけど……いいかな?」
そう言いながらその人がソフトケースを開け、ギターが現れた途端、秀美が甲高い声をあげた。
「かっこえい! あれと一緒だ!」
あの楽器店で彼女が一目惚れしたギブソンのレスポールと見た目はまったく一緒の、黒いレスポールモデルだった。
その人が言った通り、見た目は傷だらけで、でも演奏にはまったく支障がなさそうだ。秀美は嬉しそうに受け取ると、アンプに繋ぎ、早速弾きはじめた。
「うお!」
「うまっ!」
兄貴と兄貴の友達が度肝を抜かれていた。
自分が褒められたわけでもないのに僕は鼻が高くなった。
「この子、凄い……」
秀美はギターを褒めた。
「気に入りました! 買います!」
僕も凄くいいと思った。黒いレスポールモデルは音も見た目も、秀美によく似合っていた。
「じゃ、これ、ヒデキの部屋に置かしてね」
秀美が初耳なことを言い出した。
「えっ?」
「だってあてアンプ持っちょらんき、あての部屋に置いちょったってしゃあないやか。アンプを買うまでここに置かせちょいて。えいろう?」
願ってもないことだった。
これからも彼女は毎日のようにここへ遊びに来てくれるのだ!