そして僕は『ざまぁ』した
夏休みが終わり、学校が始まると、みんなが変わっていた。
正しくは変わっていたのは秀美だった。僕は毎日一緒にいたので気づかなかったが、みんなの目にはその変化が一目瞭然だったようだ。
「誰、あれ!?」
「あんな可愛い娘、いた!?」
「え、原田秀美さん? そんな人、クラスにいたっけ!?」
「あ……! 高知から転校して来てた……あの子!?」
「あれが……!?」
僕はずっと側にいたから気づかなかった。彼女は夏休み前よりずっと綺麗になっていた。
髪が伸びただけじゃない。花が開くように、いつの間にか秀美は、美少女というものに変身していたのだった。
元々高身長でスタイルはよく、顔立ちも整っていたが、男みたいだったのが女の子らしくなっただけで、みんなを驚かせる力はじゅうぶんにあった。
中身は夏休み前と変わらず、積極的にみんなと関わろうとはしなかったけど、みんなのほうから彼女に話しかけるようになった。
秀美のほうは『来るものは拒まず』で、ニコニコしていたけれど、戸惑ってはいるようだった。
「なー、ヒデキ。なんかみんながあてのこと噂しちゅーみたいで、怖いんやけど……なんでなんやろ」
授業の合間、僕の席へ来て、耳元でそう言った。
僕は何と答えたらいいかわからなかったので、ただ笑いながら言ってあげた。
「みんなきっと秀美のほんとうの姿がわかったんだよ」
よかった。これで彼女には女友達が増えるだろう。
そのぶん、僕と遊んでくれなくなるかもな、と考えるとちょっと寂しくなったけど、彼女のことを考えれば悪いことのはずがなかった。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
その時がやって来た。
体育の授業に、合気道の実戦が行われる時が。
僕は道着の帯をギュッと締めると、顔を上げた。
基本的には先生が対戦相手を組み合わせるが、戦いたい相手がいればそれを指名することも出来る。僕が戦いたい相手は随分前から決まっていた。
島田昭彦。僕をいじめているグループのボス的存在だ。
他のメンバーは島田よりずっと弱そうだ。確実に勝ちたいならそいつらのうちの誰かを指名してもよかった。
しかし僕は島田と戦いたかった。
一番強いやつと戦って、勝ちたかったのだ。
そして勝てる自信もあった。
僕がどもることもなく、対戦してほしいことを島田にハキハキと告げると、笑われた。
「勘弁しろや。弱い者いじめは趣味じゃねーんだよ」
どの口がそんなことを言うんだ。
いつも弱い者を痛めつけて自分の強さを誇示しているくせに。
僕は島田を挑発した。
「僕に負けるのが怖いのか?」
効果てきめんだったようだ。島田はかわいい口髭の生えた顔を歪ませて、僕の挑戦を受けることになった。
マットの上で、僕と島田は対峙した。
島田のほうが10センチぐらい背が高い。見た目も島田のほうが10倍ぐらい怖そうだ。でも僕は臆さなかった。
壁際に並んで座るみんなに混じって、秀美が僕を見ていた。
拳を僕のほうに突き出して、その口が『頑張るぜよ、ヒデキ!』と動いたのを見た。僕はサムズ・アップで返した。
これに勝てたら告白する──そう決めていた。
先生の合図とともに戦いは始まった。
結果から言おう。僕は、負けた。
明らかに舐めてかかっている島田には隙があった。何度か島田の腕をとって投げることは出来かけた。
しかし体格差と運動神経の差は歴然だった。
激しい戦いの末、僕は島田に投げられた。
マットに背中がついた瞬間、泣きたくなった。でも泣かずに立ち上がると、挑戦を受けてくれた島田に一礼し、男らしく引き下がった。
秀美のほうは見られなかった。せっかく毎朝、特訓に付き合ってくれなのに、申し訳なかった。
去っていく僕を見送る島田の顔が、僕を男だと認めてくれているようだった。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
「ヒーデキっ」
昼休み、秀美がノートを手にして、僕のところへやって来た。
僕がやはり彼女の顔を見られずに、口の中でモゴモゴ謝っていると、秀美が僕の机にノートを置き、それを開いてみせた。
「ヒデキと島田くんの戦い、絵に描いてみたぜよ」
おそるおそる、見てみた。
僕は秀美に合気道とギターを教わる代わりに、彼女に絵を教えていた。
相当うまくなった。でも、そこに描かれた『僕』は、人間というよりは犬みたいだった。
犬のような『僕』が、でっかいカマキリのおばけみたいな『島田』と戦っている絵は、しかし秀美の目を通して描かれた、あの戦いの一場面だった。
『僕』の目が燃えていた。『島田』の表情が怯えていた。
それはどう見ても犬がカマキリのおばけを圧倒しているような絵だった。
「かっこよかったぜよ! 結果は結果じゃ。頑張ったことに意味はあったがじゃ!」
初めて顔をあげて、秀美の顔を見た。
まっすぐ僕を見つめて、笑ってくれていた。
秀美は絵が上手くならなかった。人にはそれぞれ向き不向きというものがあるということだろう。なんでも出来るスーパーな秀美でも、不向きな絵に関しては、やはり相当うまくなっても小学生レベルだった。
僕も、合気道は向いていなかったんだ。向いてることを頑張るしかない。
でも、向いてないことでも、頑張ることに意味はある。僕が頑張ったから、今、秀美が目の前で笑ってくれている。
僕に向いていることが何なのかわからないけれど、秀美といればそれが見つかるような気がして、初めて僕も、秀美と顔を突き合わせて、笑った。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
文化祭で、僕は秀美とバンドを組んだ。ベースとドラムはコンピューターの打ち込みに担当してもらって、秀美がギターボーカル、僕がギターとコーラスも担当した。
秀美はさすがになんでも出来る。歌も相当うまかった。おまけに英語が聞いてた通りのネイティブ並みで、洋楽ロックを披露するとみんなが拍手喝采をしてくれた。
秀美が主役だったのは間違いない。全面的に認める。でも、彼女にロックを教えたのも、エレキギターの弾き方を教えたのも、この僕だ。
秀美は自分で作った黒いビニールレザーのコスチュームに身を包み、赤い悪魔の羽根をつけた背中をパタパタと動かして、ギターで速弾きをキメながら熱唱した。
僕のコスチュームも作ってくれた。なぜかサムライの羽織袴みたいな恰好で、まぁ、なかなかシブかった。
観客の視線は秀美が独り占めしていた。まぁ、そうだろう。美少女が微妙にエロい恰好をして、凄まじいギターを弾きながら圧倒するほどのボーカルを聴かせているのだ。僕なんか視界の外で当たり前だ。
でもそれで満足だった。みんなに秀美を見てほしかった。
みんなが秀美に夢中になるのを感じるたびに、僕は心の中で『ざまぁ!』と喜びの声をあげられるのだった。
ステージが終わり、教室に二人で戻ると、大拍手が待っていた。
「よかったよ! 二人とも!」
「うちのクラスからスター誕生だね!」
島田が前に出てきて、僕の前に立つと、フレンドリーな笑顔を浮かべ、握手を求めてきた。
「よかったよ、山下くん」
いつの間にか『くん付け』になっていた。
「凄くよかった! 俺、ギターなんか弾けねーから、尊敬するよ!」