転校生
柴野いずみ様の『ざまぁ企画』参加作品です
女の子にモテたいと思って中学の時からギターを始めた。高2になった今、クラスでのぼくのポストは女子からキャーキャーいわれるモテモテアーティスト男子……ではなく、『知る人ぞ知るギターオタク』である。
音楽室の道具室でナイロン弦のアコースティック・ギターなんか見つけた女子がいた日にはもう、こんな黄色い声が音楽室中に充満するんだ。
「ギター見つけたよー! キャーキャー! 弾いて、高梨くん!」
僕の名前は山下ヒデキ。高梨なんて名前じゃない。
高梨はチャラチャラしたバスケ部の人気者男子。僕じゃない。
女子にせがまれて高梨は仕方なさそうなフリをしながら立ち上がると、言うんだ。
「俺、ギター、下手だぜ? いいの?」
知ってる。前にレスポール持ってきて教室で弾いてたもんな。あの時、思ったわ。『これなら俺のほうが上手いな、たぶん』って。
高梨は女子たちに取り囲まれて、メスの視線を集めながらギターを弾くんだ。下手くそなギターだ。クラシック・ギターでチョーキングとかしてる。もう本当、見せかけだけの、カッコつけてるだけの下手くそなギターだ。本物じゃない。イミテーションだ。
背も僕よりちょっと低いし、顔だって僕のほうがちょっとイケてるはず。違うのはピアスしてるし、オシャレで飾ってるし、それに性格のチャラさぐらいだろ。
──なんて、わかってる。
女の子が好きなのは積極的で、面白いことが言えて、スポーツが出来て、そしていじめられてないやつだ。それは僕のことじゃない。
僕も頑張れば、女の子とだって付き合えるようになるんだろう。でも、僕には『意気地』ってやつがない。
チヤホヤされて得意顔になってる高梨を横目に見ながら、僕は何もできない。ただ惨めったらしく高梨のことを心の中で貶すことができるぐらいだ。
あの中に割って入って、『俺もじつはギター、弾けるんだぜ』なんてドヤ顔でアピールできたとしても、女の子たちは白けた目で一瞬だけ僕を見て、無視して高梨にギターを弾かせ続けるだろう。
元々諦めてるんだ。だから最初から試合が終了してるんだ、先生。
僕は高梨と女子の群れの楽しそうなじゃれ合いを見えてないフリして気にしながら、ただ教科書の隅っこに絵を描いているだけの、ただのモブだった。
唯一よかったのは、あの女子の群れの中に、僕の好きな娘がいなかったことだ。
まぁ、そんな女の子、今のところ存在してもなかったんだけど。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
「今日、転校生が来るんだって」
「えー? いきなり初耳ー」
朝のHR前、そんな会話をキャッチしながら、僕はいつものように教科書の隅っこに絵を描いていた。
「男子? 女子?」
「女子らしいよ」
「おおー! 可愛いかな!?」
僕もちょっと期待した。誰も気づいてないけど僕は内心でワクワクしていた。可愛い娘で、僕と付き合ってくれて、チューとかしちゃって……。
妄想を膨らませていると教室の扉が開いた。
先生が入ってきて、その後に背の高い女子が続いて入ってきた。
「突然ですがー、転校生を紹介しまーす」
礼が済むなり先生が言った。
「ハラダヒデミさんです。高知の高校から転校してこられました。みんな、仲良くするようになー」
キツネ目が印象的だった。
ハラダヒデミさんは先生が黒板に大きく『原田秀美』と書いた文字をバックに、なんだか仕方なさそうにぺこりとすると、自己紹介をした。
「原田秀美です。高知から来ました。よろしゅうお願いするきに」
みんなが固まった。
高知弁なのだろうか? なんか坂本龍馬みたいだった。
先生がフォローする。
「原田さんは高知訛りがキツいけど、おまえら、言葉が違うからっていじめたりするなよー? まぁ、先生は信じてるけどなー」
ちなみにこの文章は僕の記憶に基づいて書いているものなので、原田さんの高知弁がおかしかったとしても、それは僕が高知弁のネイティブスピーカーじゃないからだ。了承してほしい。
はっきり言って田舎臭い子だった。肌は自然児って感じで日に焼けて黒いし、何よりやっぱり言葉が変。男の子みたいに短い髪で、それが黒じゃなくてうっすら茶色いのが、ギャルというよりは、東南アジアの子みたいだった。
顔立ちは整っているけど、あんまり女の子を感じなかった。僕の妄想は彼女を見た瞬間、すっかり頭から消え去った。
転校してきてから何日か経っても、原田さんはクラスに馴染めないでいた。それでいて本人は平気な顔で過ごしている。
男子も女子も、原田さんには関わらないようにしているようだった。僕にもなんとなくわかる。みんな、自分らとはなんだか異質なものを感じ取っているのだろう。
言葉が変だし、キツネみたいに目つきが悪くて、近寄り難い雰囲気があった。べつに無愛想ということはないんだが、原田さんのほうからも『べつにあんたらと仲良くしたくはない』みたいなオーラが出てるように感じる。
僕はといえば、やっぱり彼女で妄想するようなことはなかったけど、なんだか可哀想に思うようになっていた。っていうか、自分にちょっと立ち位置が似てるのを感じはじめていたのだ。女の子にモテたいのに、女の子にまるで興味がないみたいにしている、意気地のない僕に、共通するようなものを感じはじめていたのだ。
それは勘違いだったと、後で知ることになるのだが。
ある日の授業の合間、僕がいつものように教科書の隅っこに絵を描いていると、背後に気配を感じた。
おそるおそる振り向いてみると、そこに原田さんが立っていて、びっくりしたような顔で僕の教科書を凝視していた。
「すごい……」
原田さんが感激したように呟いた。
「絵、うまい!」
僕は恥ずかしかったので慌てて描いているものを手で隠した。すると原田さんがその手を払いのけて、僕の教科書を手に持った。
しげしげと僕が描いた絵を見ながら、感嘆したように言う。
「すげー! よく描けちゅう! あたし、絵がうまいひとって最高に尊敬しちゅうきに! あっ。ギター、うまいね? 本物みたいに描けちゅう!」
僕は僕の妄想する架空のスーパー・ロックバンドの絵をいつも教科書の隅っこに描いていたのだった。各ページに描いているのでパラパラ漫画でアクションする。べつにうまいつもりはないけど、原田さんには好評だったようだ。
食い入るようにパラパラ漫画をしながら、原田さんが僕に聞く。
「こがにうまく描けるゆうことは……もしかして、ギター、持っちゅう?」
「う……、うん」
「エレキギター?」
「うん、うん」
原田さんが笑うのを初めて見た。彼女はトチ狂ったような笑顔で、僕に言ったのだった。
「今日、帰り、キミの家に行ってもいい?」
なぜかいきなり彼女が僕の部屋に遊びに来ることになった。自転車を並べて走らせながら、僕らは初めてたくさんの会話をした。
「あっ。キミん家、こっち方面? あたしと同じ方向じゃけん、ちょうどいいきに」
彼女は僕のことを『キミ』としか呼ばなかった。たぶん名前を知られていない。
「俺、山下ヒデキだよ」
「えー? 初めて知った! あたしの名前は? 知っちゅう?」
「原田秀美さんだよね」
「おー! 自己紹介の時に覚えくれちょったんやね? ありがとう!」
「いえいえ」
「じゃ、ヒデキとヒデミやね? なんか親近感覚えちゃう!」
意外にフレンドリーな人だった。
「ところでギター弾くの?」
僕が聞くと、原田さんは楽しそうにうなずいた。
「うん。やけんどアコースティックしか弾いたことなかったきね、ずっとエレキギターが弾いてみたかったがじゃ」
聞いてもいないのに、原田さんは自分のことを喋りだした。僕はどうでもいいことのように最初は聞いていたけれど、いつの間にか耳を傾けていた。
「あたし、高知の海辺のど田舎にあるプロテスタント教会で育ったんやけど、他に子供もおらざったし、遊ぶものが自然ぐらいしかなかったき、牧師さまが不憫に思うて、ギターをプレゼントしてくれたがじゃ。それや教会のオルガンばっかり相手にして育ったき、音楽とは仲がえいがぜよ」
話を聞きながら、風景が浮かんだ。
荒海を見下ろす崖の上の小さな教会で、他人に見せるための人懐っこい目を育てる必要のなかった少女が、鋭いキツネ目になっていくのを取り囲む寂しい風景が。
それもまた僕の勘違いだったと、後で知ることになるんだけど。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
僕の家は医者だ。個人病院の2階に僕の部屋があって、防音がしっかりしているのでちょっとやそっと大きな音を出しても文句は言われない。
原田さんは僕が医者の息子だということについてはまったく興味がないみたいに、「お邪魔します」と言ってふつうに建物横の玄関から上がり、ギターのことしか頭にないみたいに僕のあとをついて階段を昇ってきた。
同級生の女の子が自分の部屋にいることに、不思議に違和感はなかった。なぜか緊張することもなく、ジュースを出すと、僕は床に座り、彼女にはベッドの上に座ってもらった。
「これだよ」と言って、僕のチェリーサンバーストのレスポールを見せると、感激したように甲高い声をあげた。
「かっこえい! 何か弾いてみして?」
「フッ……」
僕は得意顔をキメると、アンプにシールドを挿し、電源を入れた。
初めて人前でギターを弾くので緊張したが、なんとかうまく弾けた。
「すごいすごい! うちにも弾かして!」
原田さんは僕のエレキギターを抱えると、夢見るような顔で、自分の抱いたそれをキラキラと見つめた。そして弾きはじめる。
フォークギターみたいにコードをジャンジャカ弾くのかと思い込んでいたのでびっくりした。ジャズみたいな曲だった。とてもお洒落で、音が飛び回るように部屋中を虹色に染めた。
僕の千倍はうまかった。
次いでクラシックのギター曲みたいなのをさわりだけ弾くと、ひまわりみたいな笑顔を開かせた。
「すごいすごい! 夢に見たエレキギターが弾けてもうた!」
そう言う彼女に、僕はただアハハと笑い、言った。
「プロなの?」
その言葉がなぜかウケたようで、彼女がベッドの上で後ろにひっくり返った。その弾みでスカートの中が丸見えになった。ハーフパンツを穿いていた。
サッと起き上がった原田さんの頬が赤いような気がした。
「ごめんね。いきなり男子の部屋に遊びに来るらぁて、へんな女の子や思うたろ? これからはちっくとは遠慮するね」
帰りがけに、彼女はそう言った。
僕の胸の中に『残念』という文字が、でっかい穴のように、でーんと出現した。彼女と一緒にいるのは、とても楽しかったのだ。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
僕の学校の体育の授業には変わった種目がある。『合気道』だ。生徒が帰り道、変態に襲われても己の身を守れるよう、身につけておいてほしいという学長の願いから取り入れられたそうだ。
僕は憂鬱だった。ただでさえ運動が苦手なのに、合気道はその上、痛い。マットの上とはいえ、投げられるのはほんとうに痛い。その上腕とかを押さえつけられると、いつものいじめを受けているような気持ちになるのだった。
みんなの息が止まったようだった。
みんなが一点を見つめていた。
マットの上で、白い道着に身を包んだ女の子が、格闘ゲームのキャラのような動きで、3人の男子を相手に無双しているのだった。
原田さんはギターがめっちゃうまいだけじゃなくて、合気道もめっちゃ強かった。最初は女子を相手にしていたのだが、あまりにもやんわりと手を抜かなければならず物足りなさそうにしていたので、不良グループの男子3人が面白がって、彼女に闘いを挑んだのだ。
不良たちは最初は楽しそうだった。
原田さんは近寄り難いけど、顔はいいので、3人とも彼女の胸とかに積極的に、どさくさ紛れに触りに行った。しかしその手はことごとくおっぱいに触れる前に空を切り、その大きな体は宙を舞った。
男子3人に完勝しても、原田さんは勝ち誇って笑うでもなく、鋭い目をつまらなそうに伏せてくるりと後ろを向いた。
前を通って行く時、思わず僕は声をかけていた。
「す……、すごい! 強いね、原田さん」
「うち、合気道三段やきね。そればあのことちや」
それだけ言うと、スッと前を通り過ぎていった。
放課後、すぐに帰ろうとすると、不良グループに捕まってしまった。
「おい、山下ァ。おまえ、最近生意気だけど、もしかして俺らに文句でもなんのかァ?」
「は? なんのこと?」
「いいから音楽室で話し合おうぜ」
音楽室へ行くと何をされるのかはわかっていた。話し合いなんかじゃない。一方的なお説教と体罰だ。彼らはクラスでのヒエラルキーをはっきりさせるため、底辺の男子を取っ替え引っ替え呼び出しては、暴力で身の程を知らせているのだ。
一年の頃からずっとそれは続いていた。僕が選ばれるのは一月にニ回ぐらいで、そのたびに自分がどんなにダメなやつかを体に叩き込まれていた。
話し合いが終わって、僕がお腹に手を当てながらフラフラと音楽室を出ると、誰もいなかった。自転車置き場まで這うように歩き、泣くのを我慢しながら自転車を漕いだ。
「山下くん」
自転車を漕いでいると、後ろから女の子の声が僕の名前を呼んだ。振り向くと、同じく自転車を漕いで、原田さんが僕を見ていた。みっともない顔を見られたくなくて、僕は顔を前に戻した。
「何? いじめられちゅーが?」
そう聞かれたが、僕は何も答えなかった。声を出すと何かが溢れ出してしまいそうだったので。
「やり返しちゃればえいやか。ガツンと。見返しちゃりなよ! なんでせんの?」
その言葉にムッとしてしまった。自転車を止めて振り返ると、『僕はキミみたいに強くないんだ!』と言ってやろうとして、違うことを口にしていた。
「お願い、原田さん! 僕に合気道を教えて!」
原田さんは一瞬、呆然としたような顔をしたけど、すぐに優しく微笑み、言った。
「朝6時、お城の下の公園、来れる?」