神は使命を抱いて天に還り、青年の戦いは幕を閉じる
ヘレ・ソフィアが人間を愛していることは事実である。
如何に神の特性に縛られようが、そのことに嘘偽りも貴賤も存在しない。
ただ、神と言う強大な存在ゆえに人間の小さな祈りを真に理解出来ることは難しかった。
特に、彼は何故人は愛を大事にするのかを理解出来なかった。
愛が育むのは、順当に子供を産むべくための必要最低限の儀式。
そして次代へ命を繋ぐために貴重な燃料だと、あまりにも機械的な発想しかなかったのだ。
だから彼は、愛する人に愛されたいと願った弱き邪神の願いなど理解出来なかった。
いや、まだその願いは理解出来ても、誰かを愛すると言うことが全く分からない。
むしろ愛なんてものに縋るから、お前は1300年も生きたのだと馬鹿にしていたぐらいだ。
しかして繁栄をもたらす神である以上、まずは自分から人間達を愛さなければならない。
他者を愛するのならば愛を識れ。
そして彼は、愛を識るべく努力しようとした頃、偶発的に運命の分岐点を垣間見てしまう。
その分岐点こそ、ソフィア・アールミテと言う存在の生涯だった。
彼は、両親から愛を与えられなかった可哀そうな子供だ。
そして彼はマナと言う少女に出会うことで、愛を識ることなく他者へと愛情を抱いてしまった。
ヘレ・ソフィアから見ればそれはとても愚かしく、愛を識らず誰かを愛せるはずがないと彼はソフィアを嘲笑う。
現にソフィアがマナへ抱いた愛情など、ただの感情の押し付けでしかなかった。
欲に塗れていて、正に自身の保身しかない現実にヘレ・ソフィアすぐに気づく。
いくらソフィアが彼女を素晴らしいと、彼女の心は美しく清らかだと崇めても、いつだって彼の根底にあったのはマナが唯一自分を愛してくれた女だったと言う感謝と独りよがりな感情だけ。
極端な話、ソフィアが感謝するのはマナでなくともよかったのだ。
マナの普遍無意識と繋がっていたことで、マナの憎悪や本音を知っていたからこそ、ソフィアはリアムよりも彼女を理解しているとも言えた。
しかし結局それらはマナへの執着が発端であり、両者を想い合い、尊重し合うなどとは程遠い行為でしかなく。
もし、マナでない他の誰かがソフィアに手を差し伸べていたのなら、彼はその女性をマナのように生涯愛し続けただろう。
言ってしまえば、ソフィアの抱く愛など子供の小さき祈りそのものだった。
どうか独りにしないで、独りはとても怖くて寂しいものだから。
そう求め、求め続けてさらにソフィアは手を伸ばす。
例え愛されなくとも、いつかどうか自分と言う矮小で卑屈な存在に気づいてください。そして出来ることならば、あなたの愛を僅かでもいいから恵んでくださいと。
そのためならば、自身の命だろうが尊厳だろうが踏み潰してでも尽くしますと。
結局、どこまでいっても愛情など自己犠牲と自己愛を拗らせた産物でしかない。ヘレ・ソフィアは自身が手に取ったサンプルを見て、そんなことしか学べなかった。
愛とは寂寥感を拭うための布切れであること、なにをしても対価を得たいと言う利己的な本質を彼は気持ち悪いと感じたのだ。
いや、そもそも自身が人間となったらと言う分岐点を参考にしたのが拙かったとヘレ・ソフィアは反省する。
実際、ソフィアの人生を愛を識るための教本とするには最悪である。
そう彼は理解していたが、それでもと何故かソフィアの愛の形が脳裏から離れなかった。
それどころか自身が理解すべき愛情とは、そうなのだと自身の半身までもが囁いた。
なにより、ヘレ・ソフィアは忘れてなどいない。
かつて、自身の半身がこの器を取り返すためにした夥しいことを。
その勝手かつ、神にあるまじき行為をその身に刻んでいるからこそ、愛情がより悍ましく汚らしく思えた。
だが彼は、そんな縛りに囚われた自身を哀れむことなく、むしろ愚かだと嗤笑して歯噛みする。
確かにサンプルは悪かった。なら違うものを見てみよう。
愛を識るためにはしなければならないし、理解に努めようと努力した結果、彼は表面上愛情に触れることになんとか成功する。
しかし、結局は最初に辿り着いた結論へと帰結する。
愛とは独善的で、ときに平等。しかし、必ず裏に卑しい気持ちや欲があるとしか思えなかったのだ。
ゆえに人間が抱く愛情に吐き気を覚えた彼は、毒を持つ生き物を飼うようにケージ越しに人間へと愛情を与える。
ヘレ・ソフィアが与える愛情とは、他の神々と同じく平等で嘘偽りのないもの。
ただ人々がどうか安らかであれと、慈愛に満ちていたはずのものが、ああなった。
その食い違いと理解のなさに、あの蒼玉の瞳がヘレ・ソフィアを愚かだと嘲笑う。
自分のような凡俗とは違うはずなのに、神と言えど所詮はそんなことしか理解出来ないのですねと、そんな一言がヘレ・ソフィアには屈辱的だった。
さらに、彼と同一の声はこうも自分を否定する。
愛しい人の体温を夢想したことはありますか、と。
その裏に隠された嫉妬と欲情。そしてそれらを抱きながらも笑みを能面のように張り付けて、慈愛を振り撒く過酷さを全能であるあなたは知っているかと。
「私はそう言ったものは得られませんでしたよ。愛する彼女からも、誰からもね」
そう語る声が耳触りで、ヘレ・ソフィアは耳を塞いでしまった。
違う、それはお前だけの話なのだと。
私が人間に与える愛とは、様々な愛の形を見て学んだものだから正しい。
しかし、愛情を識らない哀れな妄執の塊は言う。
「だったら、直接人間達に触れてご覧なさい。どうせ怖くて指先すら触れられないでしょう?」
ああ、それは無理だとヘレ・ソフィアは言う。
だって触れてしまえば自分も愛の偏見に犯されてしまうから。なによりも、お前達が気持ち悪くて仕方ないからと逃避し続けた。
そして彼の主観は、さらに捻じ曲がっていく。
愛とはある種の汚染である。信仰も、命の系譜も繋いで、燃料にもなる正体不明の猛毒だと。
だから寄り添いたくない。いや、そもそも寄り添う必要などないではないか。
高位な存在が人間にわざわざ触れるなど、不敬極まりない。
そんな驕りだけで、彼は吐き気と自身の中にある愛情への嫌悪感をずっと堪えてきた。
裏ばかり読んで、それに耐えられなくて機械的に考えた結果、織り交じって出来た茨から注ぎこまれる猛毒はとても胸を痛めるものだった。
だが、今自身の胸に突き刺さった神殺しの鉾はその吐き気や嫌悪感を1つも残さず浄化しようとする。
「……止めなさい」
このまま、『滅殺』の術式に身を委ねていれば彼は後10秒も経たないうちにこの身を汚染した猛毒から解放されるだろう。
そして今度こそ、真っ当に学び直せる機会を得られる。
だと言うのに、彼は抵抗し続ける。
愛に触れること、真の意味を知ることに対して拒絶をただ突き通す。
そんな中、彼には2つ遠ざけたい傷があったことを思い出した。
それはソフィア・アールミテの憎悪の根源。彼が密かに知ったマナとリアムが負った心の傷だ。
自身の神性との調律を取る過程で棄てるべき過去の記憶を見たことは、ヘレ・ソフィアにとっての分岐点となっている。
そしてソフィアの生涯を見た影響は、愛を識る上での弊害だけに留まらなかった。
過去に目を向け、もう1度その瞳であの3人を覗きこんだそのとき、彼はあの3人を憐れんだ。
愛を違えて狂った3人の子供達があまりにも可哀そうだと、気づいてしまったから、もう彼らのような存在を生まない様にと決意する。
これはもはや、リアム以上に理解の及ばない矛盾と葛藤だろう。
愛に触れようとして触れた結果、それが汚れたものと勝手に思い込んだ。しかしその裏で、人間として当たり前に享受すべきものを手にすることが出来なかったあの3人を勝手に憐れんだのだ。
「止めなさい、もうそこに踏み込んではなりません……! あなたが守りたかったのは、あなたが本当にしたかったことは……ッ!」
刹那、自身の中にいる半身がそれ以上踏み込むなと己に警告してくる。
しかし、ヘレ・ソフィアはいい加減にしろと半身の警告を無視した。そして、自身の本心を暴けと胸に刺さった鉾が恐怖を拭ったことで、彼はとうとう真実へ手を伸ばす。
そもそも、愛が夥しいものだと感じたのは半身のせいでもあるだろうと。
だから今答えを知るべきだと、特性と植え付けられた恐怖が溶けていく。こうして、ヘレ・ソフィアはあらゆる呪縛から解放されていく。
次瞬、自身を縛る特性が『滅殺』の干渉能力によって剥がれ落ち、とうとうヘレ・ソフィアは自身の中に隠されていた真実を理解した。
「……私が本当に救いたかったのは、何十億もの人間でない」
そう、ヘレ・ソフィアが救いたいのはたった3人。
あのとき、旧暦と言う潰えた時代に葬った可哀そうなあの3人であり、
「結局私は、未来よりも過去を選んでしまっていたのか」
リアムを憐れんでおきながら、延々と進まぬ時計の針に苛立ちながら、自分はずっと過去にいた。
これこそ、ラインバレルの拭いきれなかった違和感。
確かにヘレ・ソフィアはソフィア・アールミテが本来あるべき姿である。
繁栄と言う特性を持ち、思考も、愛の認識もまた違う存在。だと言うのに、それが似て見えてしまうのは、彼が仮の自分の送って来た人生を准えれてしまったから。
勝手に彼らの過去を見て、勝手に憐れんで幸せになって欲しいとヘレ・ソフィアは願った。その欲が1人歩きした結果、彼らは入り混じって見えたのだ。
「そう言うことです。あなたは繁栄を司り、未来を拓く存在でありながら、その実はずっと過去に固執し続けた。俯瞰的に見るのではなく、直視したがゆえに自ら混同して、あの3人への餞として人間達に加護を与え続けた。もう、2度とソフィアやマナ、リアムと言った可哀そうな存在を生まないために」
ラインバレルもまた真実に追いついた頃、ヘレ・ソフィアは自嘲を漏らす。
自分の抱いていた不快感と、自身の真の願いにようやく気付けたと。
だが、そんな自身の本音を優先したくないと言うのが、ヘレ・ソフィアの本音だった。
なにせ自身の本音を優先してしまえば、ここで素直に生きてしまえば、今までの自分の恩恵で助かった者達を見放すことになる。そんな非情なことをヘレ・ソフィアはしたくないのだ。
「なんて、傲慢なのでしょうね……。もう、私自身がおかしく見えてくる」
白い唇を自身の鮮血で赤く染めながら、胸を貫いた温度を確と認識する。
黒い鉾は冷たく、けれども温かい。
憎悪と愛情。相反する感情が入り混じった結果、ようやく目は覚めたのだが、またこれで彼の使命と人生は振り出しに戻った。
自分は一体、この先どうすればいい?
神としての特性が剥がれて、そんな風に道を見失いかけた瞬間。
「別におかしなことではないのでは? 先程、自分でも言ってたでしょう。神の中には複数の側面を持つ者もいる……と。なら色んなものを抱えて生きていけばいいのでは?」
「は……?」
そう言って顔を上げれば、ふと灰色と蒼い瞳と視線が合う。と同時に、彼の中で2人の影が重なる。
視線が合ったのは、赤い髪の柔和な表情を浮かべた青年と、黒髪で鉄面皮の青年。
赤い髪の青年は優しく提案し、黒髪の青年はもういいだろと溜息を吐く。
対極的な態度なだが、2人は結果、自身へと手を差し伸べる。
「俺も全てを失いましたから。また一からやり直しなんですよ、全部。全ては未来に繋ぐために」
だから、もう1度やり直そうと2人は頬を緩ませる。
どちらもまだ人生は生きている限りはやり直しがきくからと、今や道を失った1人の男へ言い聞かせた。
「気持ち悪いでしょうが、少しはソフィアの俗物さを見倣ってみては? 生真面目すぎると疲れるだけですしね」
と、どこか自戒してラインバレルは視線を逸らす。そんな様がおかしくて、ヘレ・ソフィアは思わず失笑する。
「……どこまでいっても不敬者が。私の手を取って救世主となっておけば、もう少しは生き永らえたものの」
「いや、人生どこまで生きられるかなんて分からないですよ。現に俺は限界を越えに越えまくって生きた人間を1人見てますし」
「ええ、多分あなたも彼と同類でしょう気色悪い。たった1人の大事な者さえ救えない弱者だと言うのによくもまぁ……」
現実問題、『原初の災厄』は自分が手を貸さなければラインバレルが斃すことは不可能だった。
そしてカゲフミ・キクキョウを始めとした仲間やマナがいなければ、ラインバレルはリアムを打倒出来なかった。
なにより、リアムがいなければ今こうして自分に抗えなかったと言うのにと悪態をつけばラインバレルは微苦笑を浮かべる。
「ええ。結局俺は神の眷属でも、救世主でもありません。本当にただの人間ですから」
「ええ、そうですね。あなたはそこらにいる人間の1人だ」
そうヘレ・ソフィアは告げると、ラインバレルの手を握っては彼を見据える。
「ならお行きなさい、その未来とやらに。もはや救世主の座から降りかけたあなたに期待しても意味がない。私も全てやり直しですからね」
「俺も期待して、人間として地上で見守ってます。あなたが今以上に人を幸福に出来るとずっと信じてますから」
「都合のいいことで」
と、ヘレ・ソフィアも呆れては微苦笑を浮かべる。
先程までは自分を許せないと慟哭していたくせに、急な手のひら返しにも程があると。
しかしその泥臭さが、不完全さが、自身の過ちを認めて前を向いて許して未来を歩むことが人間に出来る唯一のことならば、それを見てみたいとヘレ・ソフィアは胸中で独白する。
自身の手で創った存在ではあるが、はたしてどこまで己の力で生き残ることが出来るのか、どんな未来を歩めるのか期待する。
今度は救世主と言った自身の眷属を探すためではなく、本来神としてあるべき使命を全うするために。
こうして旧暦の遺物達は1人の青年へ受け継がれ、青年が未来を辿るための道標と化す。
災厄は滅され、邪神は眠り、神は真なる使命を抱き天へと還る。
同時に、ラインバレル・ルテーシアの短く長い戦いも幕を閉じた。
はい。これで16話&5章は終了となります。
まぁ、ヘレ・ソフィアについては色々言いたいことはありますが、これらは活動報告で解説するとします。
そして次回から最終章と17話開始となり、ようやくラインバレル君は闘いから解放されます。
一体彼がこの後どうなるのか、どうか見守っていただけると幸いです。
⚔77話の内容解説(活動報告)はこちらになります!↓(※多々ネタバレが含まれますので、本編一読後に閲覧することを推奨します※)
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