青年の罪過とは如何なるものか
カゲフミの右目と視線を合わせたその瞬間、俺が過去に置き去りにした後悔が世界となって展開される。
俺は1人追憶の海に投げ出されて、必死に記憶の海を泳ぐ。
そして辿り着いたのは、今から9年前の記憶だ。
時は改暦1088年。木枯らしが吹き、冬の訪れを知らせる木枯らしが窓を叩いたときだった。
この年の春に俺達姉弟は父さんを亡くして、その半年後には母さんも『マタ』によって亡くなった。
まだこのとき俺は僅か9歳。
姉さんもまだ15歳と両者共幼く、生きていくには大人の力が必要であった。
しかし俺達には身寄りがいなかったため、姉弟で協力して生活費と両親の治療費を稼いでいたものの、結果それも無駄に終わった。
両親が他界し、俺も姉さんも精神的に参っていたが、ある日顔を俯かせるばかりだった姉さんは夕食の席で俺へ突如こう切り出した。
「ねぇ、ライ。私に恋人が出来るかも……って言ったら、怒る?」
「え? 恋人!?」
俺は思わず驚愕して、席を立ってしまう。
俺は行儀が悪いと姉さんに叱られた後、姉さんは顔を赤くしてはふい、と視線を宙に泳がせる。
「し、仕方ないでしょ……? つい最近の話なんだから」
その割には表情が暗かったようなと俺は余計なことを口にしかけたが、まずは落ち着いて姉さんの話を一通り聞こうと耳を傾けることにする。
姉さん曰く、つい数週間前に、奉公先である伯爵家当主の専属医師の跡取りであるヨセフ・マルタさんに告白されたと言う。
姉さんとヨセフさんの出会いは、奉公先の伯爵が体調不良を訴え、その際に屋敷を離れていた医者を姉さんが呼びに行ったときのこと。
ヨセフさんはその際に姉さんに一目惚れし、ここ半年はずっと姉さんにアプローチをしていたそうだ。
そして立て続けに姉さんが両親を喪ったことで、もう姉さんの辛い顔を見たくないとヨセフさんは胸の内を明かしたと言う。
もちろん、姉さんを今後一生支えるなんて告白付きで。
その告白を受けたのが今から数週間前ことで、姉さんは今までヨセフさんの申し出にどう答えるか悩んでいたのだ。
「だから俺が家族になる……って。でも、父さん達のこともあったし、もう頭の中がパンクしてて!」
ああ、だから姉さんは気落ちしたのとは別に、時々悩ましそうに俯いていたことがあったのかと俺は静かに納得する。
恐らく、姉さんからしたら今ヨセフさんと関係を持つのは不謹慎であり、父さん達に失礼だと思ったのだろう。
確かに世間の常識的にはあまりよろしくはないが、それでも俺は姉さんの背中を押した。
「いいじゃん、付き合っちゃいなよ。このチャンスを逃したら姉さんは結婚出来ないだろうし」
「それは余計なお世話! そもそも私だってまだ若いもん! あー! でも、お父さんとお母さんに申し訳ないよう……」
そう顔を赤くして項垂れる姉さんは、年頃の女の子といった感じで弟の俺から見ても愛らしかった。
ここ数年間大人を演じていた姉さんが、また歳相応の姿を見せてくれるのが俺には堪らなく嬉しかった。
その後、姉さんはヨセフさんへの返事に数日は悩み続けるも、その間もヨセフさんからの求愛は続く。
結局姉さんが折れるような形で、姉さんが俺に気持ちを打ち明けた2ヶ月後に2人は付き合い始めた。
しばらくして俺は姉さんからヨセフさんを紹介され、紹介されたその日に3人仲良く我が家で夕食を囲んだ。
ヨセフさんは物腰柔らかく、とても紳士的な人だった。
姉さんが食事の支度をしている最中は姉さんを手伝っていたし、他人である俺にさえ気遣いをしてくれる。
俺は気遣いなど必要ないと言うが、ヨセフさんは微苦笑を浮かべて「失礼」と頬を掻く。
「けれども君は将来俺の義弟になるのだし、兄としてやれることはしてやりたいんだ」
ゆえに俺がヨセフさんに抱いた第一印象は、頼りにある優しい兄と言った感じだ。
姉さんとのやり取りを見て、ヨセフさんは少々姉さんに甘いように見えた。
だが、それも姉さんを大事に想ってのゆえのことだと感じる仲睦まじさに俺は安堵する。
ヨセフさんと付き合いだして数ヶ月後、姉さんはすっかり父さん達を喪った哀しみから立ち直っていた。
俺もそんな姉さんの姿を見て安堵し、これからは姉さんの幸せを祈るばかりだったその矢先のこと。
姉さんは体調不良を訴え始め、俺はその様子を見てまさかと姉さんの体を蝕む病の正体を知る。
なんと、姉さんまでもが『マタ』を発症してしまったのだ。
俺はどうしてと疑問に思うこともあったが、『マタ』を発症した以上は呑気なことなど言っていられない。
そして事態は、最悪な方向へと向かっていく。
姉さんの体調不良を気遣って我が家に来たヨセフさんに、姉さんが自ら『マタ』を発症したことを彼に告げる。
するとヨセフさんは姉さんを化け物でも見るかのような視線を向け、恐怖と共に冷酷な一言を吐き捨てた。
「勘弁してくれよ、俺は君と心中する気はないんだ」
そう無慈悲に姉さんに別れを告げる姿を、俺は僅かに開いたドアの隙間から見ていた。
まるで姉さんを汚物かのように見ていた視線は、本当にあの優しかった彼なのかと疑ったぐらいだ。
だからどうかその言葉が嘘であって欲しいと、俺は部屋を出たヨセフさんの服の裾を掴んで彼を引き留める。
「なにか?」
「嘘、ですよね……? 優しくて姉さん思いのヨセフさんが、今苦しんでる姉さんを見捨てるなんてこと……」
俺は縋るようにヨセフさんを見上げるも、彼は知らぬと言わんばかりに俺を睥睨して腕を振り払う。
最後に「失礼」と短く残したその声と後ろ姿を、俺は未だに忘れられない。
それどころか、あのとき――初めて我が家で夕食を囲んだときのことを俺は想起した。
ヨセフさんは俺を義弟と呼んでいたのに、呆気もなく俺だけでなく姉さんも捨てた悲しみは大きかった。
腕を振り払われた瞬間、俺がヨセフさんに抱いたのは哀惜と侮蔑。そして憤怒だ。
こんな形で姉さんを裏切るなど、日頃から姉さんに向けていた愛の言葉は嘘だったのかとさえ失望もした。
だからこそ俺はヨセフを許せず、怒りで握り拳を作っていた。しかし。
湧いて出た恨み言が腹奥から出てきたのは、彼が家の外へ出た後のことだった。
あのとき、ヨセフを引き留めた際に縋ったものの答えは聞かずとも分かっていたと言うのに。
なのに、俺はヨセフを殴ることさえ出来なかった。
確かに怒りはあったはずなのに、怒りと言う炎を鎮めようとするなにかがあったのだ。
それは人を殴ってはいけないと言う倫理でも理性でもなく、ただ憎悪だけが欠落していた。
ぽっかりと空いたそれは、湧いた怒りを吸い取っては溶かして俺の中から排出すると言ったあまりにも不条理な作用を起こす。
本来なら、姉さんのことを思うならば今すぐにでもこいつに謝罪をさせろと思うのが普通だろう。
心の内では謝罪など生温い、いっそ殺せと吼えながらも、何故か彼を赦せと言う言葉が脳内を支配したのだ。
結局俺はなにも出来ず、そのまま呆然と立ち尽くしてしまう。もちろん、姉さんはそんな俺達2人のやり取りを見ていた。
やたら落ち着く胸中と矛盾して頭に昇った血の熱さで顔を歪ませていれば、今にも泣き出しそうな姉さんと視線が合う。
「ライ、もう……止めて」
そう言って姉さんは泣き崩れ、堰を切って大声を上げて泣きに泣いた。
これは姉さんの死の間際に聞いた話だが、あのとき「止めて」と制止したのは俺の表情が悪鬼に見えたからだと言う。
殺意と悲痛、絶望に哀惜。それらをぐちゃぐちゃに混ぜた表情があまりにも鬼畜めいていたと姉さんは自分自身を責める。
大事な弟には、そんな表情などさせたくない。
どうか、俺だけは笑顔でいて欲しいなどと、姉さんは息を引き取るまで何度この言葉を俺に言い聞かせたことか。
しかもヨセフは姉さんを捨てるだけでなく、姉さんが『マタ』を発症したことを街の人へと言い触らした。これが、俺達姉弟をさらなる絶望に落とすことになる。
俺らの住んでいた街は聖都・セイビアの近くに位置していたものの、田舎だった。
ゆえに『マタ』への知識もなく、さらには噂も出回るのが早い。
そんな街の特性を逆手に取って、ヨセフは『マタ』は他者へ伝染すると言う噂を流したのだ。
彼がどんな意図を以てしてこんな噂を流したか、最初は理解出来なかった。
だが、よくよく考えればそんなことをした理由など単純である。それは俺ら姉弟——いや、姉さんが色んな意味で害となり得るから。
なにせ『マタ』は不治の病であり、1度発症すればどのような手段を使っても完治することなどありえない。
世界の真実を知った今だからこそ『マタ』が蔓延した理由こそ知っているが、あの頃の俺には、街の人達にはそんな理由など知る由もないのだ。
なにより『マタ』が伝染すると言う噂は所々で囁かれており、実際街の人間はその噂が事実か懐疑的だった。
それがヨセフの言葉が導火線となって、俺らは孤立することになる。
やがて彼の嘘を信じた人達はみな、俺ら姉弟をこの街から追い出さんと動き始める。その末、俺達は聖都・セイビアまで逃げるようにして移住してきたのだ。
今回は色々ありまして、短くなってしまいました。
ここからが、ラインバレル君の罪過になってきます。
まぁ、殴って全てを解決するのは良くないことですが、それにしてもラインバレル君は色々と欠如してる箇所や矛盾した箇所が多いですねぇ。これは一体何故なのやら……というのは大分後で明かされます。
ここまでだとラインバレル君の罪とは言い難い感じがしますが、彼の本当の罪は次回明かされます。
後、ラインバレル君のお姉さんが『マタ』を発症した理由については活動項目にて解説していますのでぜひご覧ください。
⚔60話の内容解説(活動報告)はこちらになります!↓(※多々ネタバレを含みますので、本編一読後に閲覧することを推奨します)
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3176560/




