彼は断罪者への道を転げ落ち、堕ちに墜ちる
『ラジアータ』に全域に響いた悲痛な叫びを聞いた神と邪神はそれぞれ違う表情を浮かべていた。
リアムはさぞどうでもいいと相変わらず生気のない瞳で俺をただ見つめている。
しかしヘレ・ソフィアはどこか申し訳なさそうな表情を浮かべ、ただ俺を憐れむような視線を向けていた。
「……さて。本来ならば逃げなさいとあなたを逃がすところですが、我々の目的を達する以上、争いを避けられない事は理解していただけましたか?」
「お、まえぇえええええ―――ッ!」
思わず俺は慟哭を上げると同時に、今カゲフミを葬ったヘレ・ソフィアを血走った眼で見つめる。
眼球の毛細血管は千切れ、視界が赤いがそれでも構わない。ただ刻々と時計の針が進むたびに、こいつらへの憎しみが増して仕方ないのだ。
よくも俺の仲間を殺したな。よくも人間の尊厳を踏みにじったな。
返せ、返せよ。父さんを、母さんを、姉さんを。カゲフミを、カナタを、ミシャを。
俺の大事なもの全てをと、そう吼えても彼らはもう帰ってこない。
それが分かっているから、余計に自身の不甲斐なさと無力さも相まって俺自身もまた憎くて仕方ない。
脳と意識が憎悪の濁流に呑まれ、俺自身なにを憎んで目の前に並び経つ外道2人に抵抗しようとするのかも分からなくなってきた。
無意識に『業火の仮面』から呪力が放出され、毎秒ごとに上昇していく呪力。
そして『業火の仮面』から放出された呪力はリアムとヘレ・ソフィアどころか、『ラジアータ』の中心部全域を浸食し始める。と同時にリアムは上空へと飛ぶ。
「気づいたか」
恐らくリアムは、俺の呪力の特性である汚染能力が地面を浸した瞬間に察したのだろう。
奴は上空へ飛ぶと同時に自身の呪力で足場を固定し、遥か高みから俺を一瞬だけ睥睨するも、俺は宙を蹴ってリアムを追撃。
ヘレ・ソフィアにおいては、今は一旦放置という方針を決め込んだ。
なにせ、奴らは協定こそ結んでいるがそれぞれ目的が僅かに違う。
リアムは俺を殺す気でいるが、ヘレ・ソフィアは俺を殺す気がない。
だが彼がいつ神としての矜持に駆られて、人類を守る名目でリアムに手を出させまいと俺を排除することも十分ありうる。
だからこそ奴の気が変わる前にと飛翔して、俺は呪力を全身に纏わせてひたすら拳打や蹴足をリアムへと浴びせていく。
激化を辿る戦闘の中、いよいよ俺の中では自我の崩壊が始まっていった。
ミシャ達を失ったショックや今までの連戦による疲弊もあってか、余計に精神が負の領域へと足を踏み込んで行ってしまう。
理性が必死に俺の自我を保とうとするが、俺の中でリアムへの憎悪は増すばかりだ。
こいつを仕留めるまでは、なんとしてでも体を動かせ。
最悪、相打ちになってもこいつを殺すのだ――否、否、否ッ!
それだけで済ませない、ではなくそれだけでは気が済まないのだ。
こいつには、それ相応の裁きを下さなければならない。
本来世界に仇なす邪神は今までの罪過をその身を以て知り、死と言う贖いを受けるべきなのだ。
今まで幾億人と傷つけ、俺の■族や■人、■さ■を奪った償いをさせろと、俺は怨念を身に纏った颶風と化す。
だがこうして呪力を使うにつれ、俺は一体なんのために、誰のためにこうして戦うのか……それどころか、俺は仲間の名前まで嚇怒の炎に焼べられて忘却されていく。
挙句の果てには、今まで俺自身が見て見ぬふりをしていたパンドラの箱に手をかける。
俺の中にあった悪性と言う側面は、ただそれを見ぬふりをしろと訴えかける。
脳裏に警告音が響く一方で俺の善性は、全てから目を離すなと俺の脳をかき回すように『正しき人間』の在り方を説くのだ。
おかげで今や俺の脳内は憎悪と過去と現在が去来し、それらがミキサーにかけられている状態である。ゆえに様々な記憶と感情が入り乱れる。
もう、戦わなくていいのよと記憶の中にいる姉さんと両親が俺へと訴える。
俺はその言葉に対し、戦わなければいけないと猛っては温かい言葉を押し避けた。
しかし、何故俺は戦わなければならないのかと意味の分からない自問自答を繰り返す。
ただ、何も分からず自問自答を繰り返す中で理解出来ることは1つだけ。
そもそも、俺が今までしてきた選択は全て間違いだった。
仲間と言う存在を作ったことも、いやそれよりももっと前にあった前提さえもだ。
もっと早くに俺は力を求めて、覚醒しておくべきだった。
世界に蔓延る悪しきもの全てを断罪する者として力を手にしていれば、こんなことにはならなかったのだからと後悔と力への渇望が全身を濁流のように駆け巡る。
誰かは俺の判断は間違いではないと訴えていた気もするが、こんな現実に直面してどうして俺の選択が正しいと言えるのだろう?
なによりそう訴えた誰か達を、俺は毛嫌いしたこともあったではないかと目を背けていた真実が俺の意識を呑もうとする。
結局、『正しき人間』とはなんだったのか。
苛烈かつ止まない拳打をリアムに浴びせながら、俺の脳内でこの疑問だけはくっきりと浮かび上がっている。
確か父■んは『正しき人間』努力と研鑽を忘れずに邁進し、その上で姑息な真似をせず――さらには……と、なんだったか。
分からない。
もうなにが正しくて悪いのかだけでなく、俺自身が分からない。
そう、ただ悪鬼へと堕ちていくだけなのだと自覚した瞬間、俺の意識を『業火の仮面』に宿る呪力の塊が俺の意識へと介入する。
「そうさなぁ……。もうその『正しき人間』の定義などただの夢想だと言うのはよく分かったろう? 結局あれは真面目で純朴ななお前の父親が死に際に残した世迷言に過ぎん」
瞬間、パキンと何かが扉をこじ開けたかのような音が俺の中で響く。
次いでどこか重い物を引き摺るような鈍い音がした刹那、俺の中でさらに呪力が放出されて、質も向上していく。
謎の音と同時に聞こえた声は、今狂い始めた俺を愉しそうに語りかけており、後もう少しだと俺に魔の手を伸ばしていた。
俺がリアムを討つべく力を得て、断罪者として完成するべく、必要な儀式をこの精神に刻んで上書きするのだ。
「ああ、だが結局そのなんだ? 要するはお前の父親の世迷言はお前への愛情の裏返しだ。だが、お前の姉の場合はどうだろう?」
瞬間、俺の心臓はひと際大きく跳ねて、体内を駆け巡る血が動揺で逆流しかける。
そして、リアムの灰色の瞳が一瞬だけ細められた。
「お前が姉にしたこと……あの後悔が今もお前を人として留めている。だがな、もうそれからも目を逸らすなよ。お前は狂っているとあのときに気付いたくせに」
「あ、あア゛――……!」
そうとも、俺は狂っている。
俺があのとき、あいつを殺していれば全てここまで狂うことはなかった。
いや、そこまでしなくとも奴に後悔と痛みを与えた上で姉さんに謝罪させるよう出来たのであれば、きっと結末は違っていたのに。
その後悔が、あのときの誤った決断が俺を人でいさせようとする。
「お前……まさか」
リアム俺の攻撃を捌きながら、眉を顰める。なによりその灰色の瞳はどこか同情を孕んでいた。
そして乾いた唇は震え、忠告を俺に投げかける。
「止めろ。『原初の災厄』の言葉を真に受けるな、お前は人でなくなってもいいのか!?」
敵対しながらも悲痛に訴えるその様は、まだ意識が繋っているときの弱くも温かい人間としての姿と重なる。
と言うよりも、これら全ての言葉はまるで自身の過去に問い詰めているようだと今更ながらに理解する。
だが、もうそんなことはどうでもいいし、俺には関係ない。
どうやったら、こいつを屠れる?
どうやったら、この世界と言う悪の巣窟を一掃することが出来る?
無論その問いに答えるのは、俺を断罪者として生むことを望む『原初の災厄』に他ならない。
「邪神を屠りたいのなら、開放しろその後悔を。そして自身の中に射止めよ、自身の無力さと憎悪を。それを転嫁させることでお前は完成するのだ」
奴は口角を歪めながら、俺にすべきことを示す。
一瞬にして力を得るために提示された条件は、あまりにも単純。だが、それだけではまだ足りない。
これ以上になるにはどうすればいい?
そんな俺の問いかけに対し、『業火の仮面』から迸る呪力は一瞬だけ沈黙する。しかし、すぐに『原初の災厄』は「話は逸れるが」と俺へこう聞き返す。
「儂は気になっていたんだが、お前はあのミシャとカナタをどう思う?」
小娘? 淫売?
一体誰だ、そいつらは。俺がそう返せば、『原初の災厄』は言葉を継ぐ。
「お前の姉を偽ったかのような女達のことだよ。ミシャは見てくれが似ていたろう? カナタは性格がどこか似ていたとか……過去お前はそうやって2人を姉の姿と重ねていた」
ああ、そうかよ。そんな話は今関係ないだろうと、俺はくだらない話を吐き捨てる。
今はそんなことは関係ない、俺が聞きたいのは力を手に入れるための条件だけだ。
だと言うのに、奴は「いや、待て」と俺を制止する。
「力を得るためには、後1歩だけ踏み込む必要がある。なにせお前は自身の過去に後悔を重ね、そして今も後悔する自身に怒っている。それに加えて自身への嫌悪も必要となるのだよ」
嫌悪? なんだそれは? 全く理解が出来ない。
そう返せば、『原初の災厄』は呵々と小さく嗤い声を漏らす。
「話を戻そう。お前にとって家族は……特に姉は大事な存在だろう? そんな姉を装った女達を見てどう思う?」
どうもしないさ、と俺が答えればすぐさま「否」と言葉が返って来る。
「いつかお前は気持ち悪がっていたぞ。特にミシャの方はな。結局奴を妹だと思うことで気を逸らしたはいいが……さて」
前戯はここまでだ、ととうとう俺と言う空の器に油が注がれる。
「お前にとって姉は唯一無二の存在。血を分けた愛すべき人……しかし、そんな大事な存在とよく似た顔の小娘は血の繋がりによる愛情を吐き違えた。お前にとっては害悪しかなかったろう?」
そんなことはないと一瞬意識が戻されかけたが、隠された本心と欺瞞は注がれた油に火を点けられたことで引火する。
こうして俺は嫌悪と侮蔑だけを燃え盛らせて、とうとう自身の本心を暴す。
ああ、そうだ。本当に気持ち悪かったよ。ミシャは。
俺はお前の兄なんかではないのに、そんな狂った思考でよくも血の繋がりを軽んじて穢して、最低の畜生児だったさ。
「では、カナタの方はどうだろう? あれこそ闇を体現した存在だろう? 本人も口にしていたが、奴はお前に嘘を吐いてお前の好意を踏み荒らした。姉と似たその性格でな」
ああ、それも正直不愉快だったと俺はすぐにその言葉を肯定する。
だから2人とも俺のように、憎悪で断罪してやろうかと憎悪が立ち込めてくる。
本当にどいつもこいつも穢わらしいと血が湧きたって、ラ■ン■レル・■■ー■アとしての意識を全て失いかけたその刹那。
例え全てが憎くともそれ以上は踏み込むなと、矛盾した怒号がこの場に響く。
「止せッ、いや、止まれッ! お前は! お前だけは! ……俺以外はこちら側に来るなと言っているだろうがぁあああ―――ッ!」
しかし、邪神の吐く悲痛な愛憐は断罪者には届かない。
「づ、ァアアアアア――—ッ!」
そう獣染みた咆哮を上げた瞬間。俺の心臓は鼓動を止め、一瞬にして血が固まったかのように体が冷えていく。
同時に『業火の仮面』を介して会話をしていた『原初の災厄』は小さく舌打ちする。
そしてもういいと見放すかのように、冷徹に俺へこう告げた。
「こうも人としての自我を失うのが早いとはな。お前も目の前にいる邪神と同じただの獣だよ。人を捨て断罪者にも成れず、ただ堕ちて逝くだけの愚者……。しかしこうして扉が開いた以上、お前も用済み。だが――」
だが、なんだ?
そう聞き返すと同時に、虚脱感が全身を襲う。
俺は自然と宙を蹴る力もなくなって、地へ墜ちようとした瞬間に災厄は俺を憐れみ、最後の忠告をする。
「今こそ、お前にとって最大の一撃を打つ勝機だ。それこそ自身の命と引き換えに。……なぁ、まだお前はそこにいるリアムを殺したいか?」
その問いと同時に、『業火の仮面』が砕け散る。
無論俺は呪力を失い、ただ反動だけ喰らって死する運命だが、それでもまだ天が俺を見放さないのであれば答えはもちろん是だ。
憎い俺だけは必ず殺す。そう誓って、最後の一撃をリアムへと叩き込む。
「“罪業は今ここに”――“断罪せよ”——“我こそ地に墜ちて罪業を食らう破滅の使徒なり”ッ!」
刹那、『業火の仮面』から奪った呪力全てを怨念の波へと変えて、空中にいるリアムへと囲う。
リアムは抵抗する間もなく呪力に呑まれかけるが、それを許さないと訴えた灰色の瞳が細められた瞬間、奴が片腕に抱いていた大事な亡骸が俺の呪力の汚染で一気に砕け散る。
「マ、ナ……?」
まるで、大事な人の盾となるように動かないはずの亡骸は身を挺して恋人を守るが、無論その現実の先に彼が陥る末路も2人にとっては自明。
邪神は喉が裂けそうな声量で、半壊した骸を抱いて泣き喚いては呪力と涙と血の雨を地に降らせる。
そして邪神に一撃を与えた断罪者はこれでいいと確信して、さらに奴を討てと腹底から嚇怒の炎を燃やす。
「おま、えぇええええ――ッ! よくも、よくもマナをッ! お前だけはッ! お前だけはぁああアアアア――ッ!」
「黙れッ! 次はそいつではなく、お前の心臓を穿つ!」
殺意と怒りと断罪が交差した瞬間、リアムの体内に収束されていた全ての憎悪が『ラジアータ』を再度浸していく。
リアムは断罪者を一欠片もこの世に残すものかと訴え、断罪者もまた力を失ったと言うのにとうとう至ってしまった“罪業”を展開させた。
まぁた、タイトルで悩ませてくれたな!どうも、織坂一です。
にしても今回はラインバレル君の転落&暴露回でした。
彼はいよいよ断罪者としての道に至りかけますが、どうも不安定ですね。後、『原初の災厄』がこうも意識にちょいちょい絡んでくるのは例の落とし物……狂獄を越えたときに落とした鍵です。
つまり、あの鍵を狂獄に落としたままであればラインバレル君はこうなっておりません。全ては『原初の災厄』の思惑通りです。
にしてもリアム君の様子がおかしいですが、自分の愛しい人の亡骸を壊されてもう収集のつかない事態に……。
そして次回!いよいよヒロインによる主人公救出回です!
⚔56話の内容解説(活動報告)はこちらになります!↓(※多々ネタバレを含みますので、本編一読後に閲覧することを推奨します※)
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