青年が過去を追想したその瞬間に災厄は舞い降りる
「え?」
瞬間、ヴァンタールは腰に下げていた剣を抜いてそのまま俺を薙ぎ払う。
一瞬の出来事ではあったが、なんとか俺は奇跡的に剣筋を見切って避けることに成功する。だが、それが如何にこの男が俺を馬鹿にしているのかが見てとれた。
「いい加減気づけ、小僧。別に俺達は神を崇めているからと言って、清廉潔白の身じゃあない。それは俺達の異能の根源である呪力が証明しているだろう?」
「だが、そんなのは話が矛盾しているじゃないか!」
そう、この男の言葉には矛盾がある。
人間に感情はつきもので、無論憎しみもまた人間ならばあって当然の産物だ。
しかしだからと言って、憎悪を抱いているから神を仰ぐなというのはまた別問題であると俺が視線で訴えれば、ヴァンタールは一層嘲笑を深めた。
「そうだ、俺達には矛盾がある。だがお前も大事なことにまだ気づいちゃいない」
「大事なこと……?」
俺が眉を顰めた瞬間、ゼネルもまたヴァンタールの意図に気付いたのか俺を嘲笑う。
彼らが俺を嘲笑うと同時に、俺の心臓は大きく跳ねあがる。
駄目だ、この先の話を聞いてはならない。心臓だけでなく、全身の細胞が俺にそう訴えかけている。
だがここで逃げれば、それこそ俺は恥を晒すことになる――例え俺自身にとって耳にしてはならない事実があってもだ。
そんな愚鈍な選択を選んだ俺に下されたのは、前蹴り1つであった。
「がっ……!」
ヴァンタールから前蹴りを食らった俺は、そのまま後方20メートルへと飛ばされる。
往来を行きかう大勢の人間を巻き込んで、俺はそのまま地べたへ這いつくばされた。
「おい――!」
何故、無関係な人々まで巻き込んだと口にしかけて顔を上げた瞬間、ヴァンタールが俺の頭を踏み潰す。
まるで大岩に思い切り突っ込んだかのような痛みは、俺の視界どころか脳を揺らす。
視界の焦点は合わず、聴覚も音を拾うのもやっとだというのに、なぜかヴァンタールの告げる真実だけはよく聞こえた。
「理解していないようだから言っておくぞ。お前がいくら俺達に侮蔑や卑下の念を抱こうが、それは決して憎悪じゃあない。そんなことも理解出来ないから甘いといわれるんだよ、小僧」
と、俺は今まで気づかなかった現実に目を見開く。
何故こんなにも簡単で、単純なことさえ今まで気づかなかったのかと自身を恥じるももう遅い。
なにせ、この男がどうして武力行使に出たのかと言えば――理由はただ1つ。
「いい加減、上でもお前が邪魔だと話に出ていたんだ。なら利き腕の1本くらい失くせば、もう希望は抱けまい。腕1本残っているなら生活するのにも困らないだろうに」
利き腕を落として、もう2度と『聖火隊』への入隊を乞わせないようにする。
そんな残酷な不採用通知に涙が出そうになる。だが、それでもだ。
「俺が、悪いんだ……」
そう、俺が悪いのだ。
戦う力なんてないくせに、こうやって何度も無理に頼んだのだから自業自得。
ああやってゼネル達が俺を嘲笑うのも、俺に力など一切ないから。
だから、だから、だから――そう言い訳ばかりが頭を駆け巡った瞬間、剣が空気を裂く。
姉さん、父さん、母さん。本当にごめん。
俺は母さん達の仇さえ討てない、どうしようもなく不出来な息子だ。
そう諦観を抱くと同時に悲しみに暮れる中、俺は幼い頃まだ元気だった両親へこう言ったことを追想する。
「俺、強くなりたい! 悲しんでいる人達を救って、なんならもう『マタ』で苦しむ人がいなくなるように――」
そうね、と母さんは誇らしげに笑う。
父さんもそんな俺が頼もしいと、力強く頷く。そして父さんはこう言葉を継いだ。
「悲しむ人を救うのも立派だが、そんなことより■■を■■にしてくれ」
そんな父さんの声が、脳内で再生された瞬間だった。
「……全く、お前ら人間は何世紀経ってもそうなのか。塵共が粋がったところで――よっとッ!」
カンッ、と金属が床を転がる音が響き、俺だけでなく往来を立ち止まる者はみな、1人の少年へと目を向ける。
たった今、1人の少年が『聖火隊』の兵士の全力の一振りを見切った上で、回し蹴りのみで剣を折って俺とヴァンタールの間に割って入った。
あまりの技巧に、俺もまた目を見開く。
ヴァンタールも少年が俺達の間に割って入った瞬間、即座に少年と距離を置いたが、今奴が浮かべる表情はどこか恐れを現している。
俺の目に映る少年の姿は、いつしか俺が夢見たヒーローのようだった。
少年の背丈は小さいのに、身に纏う気そのものはあまりにも異質。
まるで、何世紀も生き延びて、さらには何度も人類の頂点に立ったかのような覇気はそれこそ神に近しいとさえ錯覚してしまう。
今目の前で起きた超常現象に、さすがのヴァンタールも目を見開いている。
この隙を見逃さんとばかりに、そのまま少年はヴァンタールの顎を蹴り上げて足を地から離した瞬間、さらに回し蹴りをヴァンタールの鳩尾へ叩き込む。
あまりにも流麗な蹴り技を見せて、少年はそのまま着地。そして鳩尾を抱えて体勢を崩したヴァンタール右腕を掴んでは雑巾を絞るかのように捩じる。
俺を含む民衆達は言わずもがな、ゼネル達もこの光景に呆気に取られてしまう。
本来なら、ヴァンタールを救出すべく動くのが通常と『聖火隊』のマニュアルに記されているだろう。だが、奴らも少年の覇気を感じ取ったのかその場から1歩も動けない。
すると、少年はヴァンタールの腕を捩じったまま、俺達の方へと振り向く。
「今お前らの中には、この男が害を加えたことで怪我を負った者もいるだろう! さて、お前らはこの男をどう思う? 憎いか? それとも謝罪を寄越せば許すか? ——否! お前らはこう思っているだろう!」
と突如始まった少年の演説に、この場にいる全員は静かに傾聴している。
誰もが固唾を飲み、中には少年の言葉に同感したのか、ヴァンタールを殺さんとばかりに睨む者もいる。
「お前らは今、この男を憎んでいる……そうだろう!? 憎むとまでは言わずとも、力を不用意に行使し、他者を傷付けた報いは受けろ……そう思うのは当然だ! ―—なら!」
ヴァンタールは今も尚、腕を捩じり上げられた痛みに顔を歪ませているが、彼は一向に動けないし、指1本すら動かせないといった様子だ。だからこそ、と少年は声を張り上げる。
「この男に報いを受けさせるか、お前らが決めるがいい! かつてヘレ・ソフィア神を天へ遣わした儂が許そう!」
そして、今の少年の一言でこの場の空気が一気に変わる。
少年がヘレ・ソフィア神を天へ遣わせたと言うのも気になる話だが、この一言が少年の異常性をこの場にいる全員に突き付けた。
少年はヴァンタールを審議にかけた瞬間、人々は次々に声を上げる。
「『聖火隊』の兵士だっていうのに、本当に信じられない!」
と、俺が地を転がされた瞬間に巻き込まれた少年の姉が声を上げる。
「神様の教えを尊ぶ兵士がすることじゃねぇだろ! こんなの!」
続いて、少年と同様に俺に巻き込まれたことで腕を負傷した男が不満の声を上げる。
そして、続いて続いて続いて――一気にこの場にヴァンタール達への不満の声が満ち溢れる。
中には、少年に対しそのままヴァンタールを罰せと糾弾する者さえいた。
少年は民衆の声を聞き、不気味に口端を吊り上げると、よろしいと首肯する。
「よろしい! ならば人間よ、今此奴に下す罰は――……」
瞬間、少年が掴んでは捻っていたヴァンタールの腕が燃える。
と同時に、ヴァンタールの苦痛の叫び声が上がるが、少年は不愉快と言わんばかりにヴァンタールを睨めば、そのまま人形のようにヴァンタールを床に転がす。
「が……ァッ! 熱い、熱い熱い熱い熱い痛い! 俺の腕が……ああ……ッ」
「いやいや、お前。先程そこのガキの腕を切り落とす前になんと言ったか覚えているか?」
そういって、少年はヴァンタールの顔を覗き込むが、ヴァンタールの粛清に熱くなる民衆達とは違い、冷静に少年がヴァンタールに向けた表情を俺は見てしまった。
少年は愉快そうに嗤っている。
いいぞ、その悲鳴をもっと聞かせてくれと言わんばかりに口角を歪めて歓喜の声をくすくすと漏らしていた。
「お前はこう言っていたな? 腕1本残っているなら生活するのにも困らないだろうに……と。なら、利き腕1本を失くしてもお前は困らない訳だ。今の職を失うかもしれんがな」
「た、助け……!」
ヴァンタールは少年へ許しを乞うが、もはや遅い。
暴虐という愉悦に浸った少年は、きっとヴァンタールを逃がさない。
自分が飽きるまで彼を嬲り続け、最悪殺しかけない――そうを察知した俺は、急いで体勢を起こして地を蹴って走る。
少年の横を過って、地面に這いつくばるヴァンタールの首根っこを掴み、なんとか後退させる。
俺にはそれが精一杯だったが、少年と距離を取った後にすぐ俺はヴァンタールを庇うように少年へと立ち塞がった。
「助けてくれたのには礼は言います。だけど、これはさすがにやりすぎだと思う」
「ほう」
すると少年は目を丸くし、顎に手を当てては俺をまじまじと見る。
1歩、少年が前に出た瞬間俺は怯みそうになるが、それでも下がることなんて出来ない。
例えヴァンタールになにをされようが、殺させることだけは決してしない。
と、そんな意志を瞳に宿した瞬間、少年はピタリと立ち止まる。
「ほう、ほう、ほう……。面白い奴だと思っていたが、こいつは中々……」
少年は俺を興味深そうにまじまじと見つめるが、正直俺を映すその翡翠色の瞳は見ているだけで怖気が走る。
しかし、こうしてヴァンタールを庇った以上は、もう彼を裏切ることなど出来ない。
ゆえに、俺は歯を食いしばって恐怖を押し殺す。
「俺に用があるのなら、ここではなく別の場所で話を聞きます。ですからどうかこれ以上は止めてくれませんか? お願いします」
そう言って、俺は深々と少年へと頭を下げる。
「小僧……」
地べたを這いつくばるヴァンタールは顔を上げ俺を見るが、俺は彼と視線を合わせた瞬間に「なにも言うな」と牽制はしておく。
すると、少年はあっさりと踵を返す。
そしてそのまま、この場を去ろうと人混みをかき分けて行くのを見て、俺は安堵から溜息を吐く。瞬間、俺の頭に鋭い痛みが走る。
「別の場所で話をすると言ったな? ならよろしい。後日、隣街のイシュルの西側にある外れまで来るといい。そこで今後のことを話そう」
脳内に聞こえたのは、紛れもなくあの少年の声。
俺が咄嗟に頷くと、少年は喉を鳴らして笑った。そして――
「そうさなぁ……。名乗らずにおくのも失礼だろうから、名は名乗っておこう。儂の名は『原初の災厄』」
『原初の災厄』――俺はその不快な名称を聞いて目を見開くと同時に、蛙が潰れたような不吉な音が少年の口から漏れたのを聞く。
「今や、次代の『ゴースト』の祖となったあの男と因縁がある存在……とでも言おうかね」
瞬間、俺は息が止まりそうになった。
「『ゴースト』の祖、だって……?」
一体、それはなんだ――となにも知らない俺の中で、そんな疑問が浮かぶのは当たり前である。
『ゴースト』という存在は知っているが、『ゴースト』の祖という存在など俺は1度も聞いたことがない。
俺の知る限り、『ゴースト』はこの世界に蔓延る、一種の害獣のようなものだ。
この『ゴースト』を倒せる人間はごく僅かで、呪術師か『聖火隊』の人間でなければ対処のしようがない存在。言ってしまえば、人類の上位存在である。
遥か昔から人類を甚振ってきた『ゴースト』達は、『マタ』同様にこの世に呪力が存在するゆえに生まれてしまった負の産物と言われている。
それが、『聖火隊』に所属する人間以外が持つ『ゴースト』への認識だ。
だが、そんな“祖”という存在を聞いてしまえば驚愕もするが、納得出来ない話じゃない。
ああそうかと流すどころか、むしろ『ゴースト』を束ねる存在と聞いて畏怖するぐらいだ。
ただ、俺が意識を落としそうになったのはそこじゃない。
そんなあの化け物共を束ねる存在がいたとして、その男とあの少年に因縁がある――おかしいのはそこだ。
しかし、頭痛が治まった瞬間に声は一切聞こえなくなってしまう。
「……明日、仕事終わりにイシュルに行ってみるか」
突如、身に降りかかってきた二重のトラブルへの休息は溜息1つで済ませる。
なんにせよ、俺は明日にでも彼が指定してきた場所へ向かわなければならない。こうして、不可解な邂逅を終えた後に明日の予定を立てるのであった。
滅茶苦茶大事をしていたのに、全部『原初の災厄』さんに持っていかれました。どうもこんばんは、織坂です。
多分、前作を読んでくださった方には「こいつ、戦えるんか……!?」と思うかもしれませんが、見た通りのままです。
にしても、『原初の災厄』は相変わらずの通常運転ですが、これでも丸くなった方です。
そしてラインバレル君も善人が過ぎて、今後が心配で仕方ありません。
次回、いよいよ次代『ゴースト』の祖の解説その他+締めとなります!
⚔5話の内容解説(活動報告)はこちらになります!↓(※多々ネタバレが入るので、苦手な方はブラウザバック推奨です)
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