こうして青年は断罪者として堕ちていく
昔日に葬られた記憶を思い出した瞬間、『業火の仮面』によって精神を蝕まれていた俺は現実へ意識を戻す。
そして俺が辺りを見渡せば、俺のすぐ傍には血溜まりに沈むミシャがいた。
俺はすぐさまミシャの体を起こすが、今のミシャの姿はあまりにも無惨であった。
「あ、ああ……ッ」
俺はそんな痛々しく直視出来ないミシャの姿に、思わず目を逸らしそうになる。だが、ここで瀕死のミシャから目を逸らすことなんて俺には出来ない。
結局俺は彼女が血の海に沈み、体の内側を曝け出す姿を直視してもなお、無様な醜態を晒していた。
なにせこんな状態になってしまえば、どんな方法を使っても助からないことぐらい理解している。
奇跡的に呪力で彼女を助けられる術があったとしても、俺はその術を知らない。
ゆえに動かず段々と冷たくなっていくミシャの体温を手に感じることしか出来なかった。
血が体外に大分出されたせいか、いつしかミシャを背負ったときよりも彼女を軽く感じてしまう。無惨で救いようのない悲しみに押し潰される俺はただただ涙を流す。
そっとミシャの体を崩さないように抱きしめていれば、微かに腕の中にいるミシャが動いた。
「ミシャ!?」
俺はすぐさまミシャから身を剥がして彼女の様子を見て見れば、まだミシャには僅かに息があった。
ヒューヒューと、どこか声帯が切れたかのように声が掠れて、微かに動く唇でなにを言っているのか俺には聞き取れない。
それがどうしても悲しくて、さらに涙は勝手に零れてミシャの顔面を濡らしていく。
「兄さん……」
ようやく聞き取れた言葉に、俺は思わず言葉を失ってしまう。
彼女は死と言う淵に立たされてもなお、いや死ぬ間際だからこそ過去を追想していることを知れば胸が僅かに痛む。
あれだけ彼女に現実を説いたのに、彼女は未だ俺を自身の兄だと勘違いしている。
それを知った瞬間、俺は失望による虚脱感に襲われる。
彼女は最初から、俺のことを『ラインバレル・ルテーシア』と言う存在として見ていなかったのだと。
そんな事実が、俺らを死で分かつ今になって重く圧し掛かる。
ただひたすら冷たく、胸の痛みと哀惜が意識を蝕む中で、彼女の嗚咽が失望の海に沈む俺の意識を拾いあげた。
「ごめんなさい、ラインバレル様……」
「ミ、シャ……?」
俺は今の言葉は確かに彼女が口にしたのか、思わず耳を疑ってしまう。
しかし、その疑惑を晴らすのは彼女が零す涙の数々と嗚咽交じりの謝罪。そしてミシャは死の淵に瀕してようやく己が業と現実に直面する。
「兄さんなんて、呼んでごめんなさい。……私、どうかしてました。いくら兄さんを愛しているから……って。あなたは、あなたなのに」
気付けば、俺がミシャの顔面に降らせた涙の雨は止んでいた。
俺は彼女を引き寄せて、少しだけ呼吸が楽になるように姿勢を変えてやる。一方で彼女の懺悔は続く。
「確かにあなたは兄さんにそっくりだった。でも、兄さんはミシャを叱ったりはしない……それ、は事実です。でも、あなたは兄さんよりも強くて弱い人だった……時々甘えん坊さんで、カナタ様の言う通り微笑んでいるつもりでも、苦笑していたんですよ?」
ミシャは今ようやく思い出せたと苦々しく口元を緩ませる。
そんな表情を見て、彼女が今ようやく現実を直視したことを嬉しいなんて思ってしまう。
同時に、なにも出来ない俺の姿に腹が立って仕方ないから、俺はまた本心を下手くそな笑顔でひた隠しにする。
「……はは、そりゃあしくったな。結構頑張っているつもりだったんだけど」
「知ってます」
ほら、今もそうでしょう?
とミシャは穏和に俺へと現実を突きつけてくる。と同時にこう言葉を継いだ。
「それに……さっき、『ゴースト』を殺すところを見て思い返したんです。兄さんは、あんな惨い呪力なんてものはなかったから……」
「普通それで判断するか……? 意外とミシャって酷だな」
「はい。それが、本当の“私”ですから……。兄さんを贔屓して勝手に思い出を美化して塗り替えて……所詮私も醜い存在だと言うのに……っ」
「そんなこと――……」
ある訳がないだろうと俺は口にしかけるが、俺はすぐに出かけた言葉を腹奥へと流し込む。
なにせ今、ミシャは己の罪と向き合っている。
だと言うのにまた綺麗な言葉で虚飾して、甘やかしてしまうのはまた同じことの繰り返しになってしまう。
「でも、こんな私でも私を一時的にでも救ってくれた救世主様の想いに報いたいのは事実なんです。……兄さんの次に大切に思えた人、と言う意味も込めて」
これこそが自身に出来る精一杯の謝罪であり、贖罪でもある。
許して欲しいなんて願わないが、それでも最期だからこそ言わせて欲しいとミシャの蒼瞳が訴えて、俺は小さく首肯した。
そして最期にもう2つ言いたいことがあると、彼女は必死に言葉を喉奥から搾り出す。
「……でも、勘違いはしないで下さい。あなたは私1人の救世主であって、他の人にその肩書きを渡したくありません。けれど……ごめんなさい、また我侭を言ってしまって」
「別にいいから、困ってなんかいないよ」
ミシャの幼稚な独占欲を前に、俺はまた彼女へ嘘を吐く。
なにせ今の俺は無力な自分を殺したいぐらい恨んでいて、ミシャの口にしたことなど一切許容出来ていないからだ。
俺が救世主? こんなにも無力で今も君1人救えもしない男が?
だからまた、そうやって俺を美化するのは止めてくれ。最期にそんな風に期待しないでくれ。
そのままだと、きっと君が苦しい思いをするだけだと本音を腹奥へと飲み込む。
そして最期、ミシャはこう言葉を紡いだ。
「どうか、あなたがこれからも健やかに生きれますように。私はもうそれでじゅう、ぶん……で……」
口元に描かれた優しい弧は、徐々に下がって行き、俺の手に押しかかる重さは一気に重くなる。そしてミシャは糸が切れた人形のようにかくん、と動きを止めた。
「……ああ、そうか」
ミシャの最期の一言を聞いて、俺は先程思い返した過去を再び掘り返した。
そう、あのとき――まだ『マタ』に罹ることなく、俺が将来の夢を嬉々として語ったときのこと。父さんはミシャと同じことを言っていたではないかと。
確かに父さんは俺に『正しき人間』になって欲しかったという願望を俺と姉さんに抱いていた。
なにせ父さんは過去友人に裏切られ、多額の借金を押し付けられた挙句、その友人が作り上げた悪い噂を流されたと言う。
おかげで、母さんと結婚したばかりの父さんは生まれ故郷を離れて、長きに渡って借金返済をしていたと姉さんが父さんの葬式が終わった後に全てを話してくれた。
だからどうか、自分の子供である姉さんや俺にはそうなって欲しくないと、どうか正しく清く生きて、他者を騙すなと陥れることはして欲しくなかったのだろう。
しかし、それ以上に、親として望んでいたことはただ1つ。
真っ当に生きて人を常に思いやって、見ず知らずの誰かさえも救うなんて偉業を成し遂げることを親として子供に願ったことではなかった。
ただ、健やかに無事に生きて、一生を終えてくれ。それが父さんの切なる願だった。そしてそれはミシャも同じ。
だからこそそう願われた俺は2人の無念や、想いに答えるべくそう生きるべき――と分かっていても、その願いを無情にも振り払う。
例えそれが大事な2人の願いでも、もう叶わないのだ。
もはや俺の頭の中には復讐の2文字しかなく、到底呑気に平和を享受していられる心の余裕などない。
ミシャの亡骸を瓦礫の傍に人形のように横たわらせた後、俺は合流場所である霊碑街へ向かおうとする。
「父さん、ミシャ……ごめん」
俺は最後、ミシャと記憶の中に在る父へと謝罪する。
本当なら今すぐにでも2人の願いを叶えてやりたい。だが、今の俺にはやるべきことがある。
リアムを討ち、全てを終わらせる――それが終わらなければ温かい日常なんかに戻れやしないから。
「とにかく、奴らは、皆殺しだ」
そう俺は無意識に、己の内側で嚇怒の炎を燃やす。
温かい日常へ戻る? 馬鹿を言え。
俺は必ず『ゴースト』の上位個体共を、リアムを殺すのだ。
ミシャや父さんが受けた痛みを、倍にして奴に返すまで。
そうでもしなければ気は済まないし、万が一この地獄から抜け出して生き永らえたとしても俺は一生このことを後悔する。
だからと、俺は過去のミシャと同じ愚行に出た。
確かに愚かではあるが、俺もこれだけは譲れないのだ。
父さんや母さん、姉さんにミシャを奪ったリアムを直接断罪して、諸悪の根源を全て断つと。
そのためならば、自身の精神や肉体を犠牲にしたとしても構わない。無論、俺の人生も同様に。
こうして、俺は徐々に断罪者として復讐に身を墜としていく。
父さんやミシャが復讐など望んでいないと知りながら、大事な人達の願いを踏み潰して。
俺はそんな屑で結構。
俺が成るべきは救世主ではなく、邪神を討つ断罪者だと運命に踊らされて、とうとう自我を失い始める。
俺の内側で荒波のように激しく滾る呪力は、そんな俺の末路が滑稽だと俺を嘲笑していた。
これで9話は終わりになります。
ラインバレル君はお父さんの遺言である「『正しき人間』になりなさい」との言葉に縛られて、すっかりお父さんの願いを忘れていました。
しかもあれだけミシャに勘違いは止せと叱っていた割に(その勘違いの内容が違うとは言え)、自分は2人の思いを踏みにじって断罪者に身を墜とすと言うことはもうラインバレル・ルテーシアという自我も『正しき人間』であることも捨てたと同義です。
次回から、さらに状況は激化して10話へとなります。
⚔44話の内容解説(活動報告)はこちらになります!↓(※多々ネタバレを含みますのでご注意下さい※)
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