『正しき人間』とは
父さんは、常々俺と姉さんにこんなことを説いていた。
残酷で穢れ切ったこの世界で『正しき人間』になりなさいと。
「ねぇ、父さん。『正しき人間』ってどんな人?」
まだ物心がついたばかりの俺は父さんにそう説かれると、すぐにそう父さんに疑問を投げかけた。
すると父さんはどこか苦々しく、泣き出しそうな表情を浮かべた。
しかしすぐに、そんな苦悶の表情を微笑へと塗り替えて俺の頭を撫でる。
「『正しき人間』と言うのは、人として当たり前のことが出来る人のことを言うんだ。……例えば、人の玩具を盗ったりするのは駄目だろう? 他にも、出来るのに努力を怠ることとか。要はズルだな。人の手柄などを取って偉ぶるなんて論外だ」
あのときの俺には、父さんの言いたいことなど半分も理解出来ていなかった。
だが、儚く理想を語る父さんの顔だけは毎日記憶と瞳に刻み込まれる。そして父さんの身に不幸と災禍の欠片が降りかかってしまった。
父さん初めて俺に『正しき人間』が如何なる存在か説いた数ヶ月後のこと。
父さんは『マタ』を発症し、『マタ』を発症してから毎日のように俺と姉さんへ『正しき人間』の在り方を散々説くようになる。
そんな日々を3ヶ月送ったある日。姉さんは父さんが眠った後にこう俺に助言と警告をしてきた。
「あまり父さんの言葉に囚われちゃ駄目よ? 父さんは昔酷い目にあってからああなったって母さんが言ってたけど、『正しき人間』になってしまえば自分を犠牲にすることになるわ。あの考え自体が立派で素敵なのは否定しないけれども」
姉さんは俺に説く。決して『正しき人間』になるのではないと。
そう俺を諭す姉さんは、父さんと同じく苦悶と悲哀をその瞳に浮かべていた。
だから、幼き俺にはどちらの道を選ぶことこそ正しいことなのかを日々悩み続けるようになる。
常に勤勉で前へと邁進することは、正しくて人としてすべきことなのは納得出来る。
だが、万が一成したいことがあったとして、それが成せない場合は一生人は出来ないままでいなければならない。
これは父さんの言う『正しき人間』の人物像から汲み取った葛藤だ。
『正しき人間』はズルが許されないから、その力さえ自身の力で掴み取らなければならない。だから、常に困難の中で抗い戦えと言った答えは予定調和。
なによりその予定調和が、後々俺に枷を嵌めてさらなる地獄へ突き落とすとまで決まっていたとすれば失笑さえ出来ない。
なにより、これが俺の中で呪縛となっていると気づくのは今から12年も後のことだ。
18となった現在でさえ散々悩んだのに、5歳そこらの子供がその真理に辿り着くことなど夢のまた夢だ。
父さんの容体は悪化を辿ると、俺は家族として父さんに生きて欲しいと毎日神へ祈りを捧げて願う。
だが、祈りで全てが片付くのならばそれこそ誰も苦しまないことなど、幼い俺でも重々承知している。
だからせめて、こんな無力な俺が父さんにしてやれることは一体なんだろうかと俺は焦燥に駆られる。
今にも死の淵に陥りそうな父さんを救ってやるにはどうすればいい?
と、この頃の俺は日々懊悩するが答えは出ない。
結果、日に日に顔色が悪くなり、呼吸をすることすら精一杯の父さんを見て俺は非情ながらもこんな言葉を父さんに投げかけてしまう。
「ねぇ、父さんは俺にどうなって欲しい?」
もうこのまま悩んでいては時間がない。ならば、当の本人から願いを聞き出せばいい。
それが更なる波紋を呼んで、呪縛を自らにかけることなど知らないままに。
すると、父は浅く呼吸を繰り返しながら、「そうだな」と言葉を必死に絞り出した。今や淀んだ蒼い瞳には迷いがあった。
今、親として俺になにを言えるか。なにを言い残したいのか……そう戸惑い、何度も自問自答する父さんの姿。
父さんは息絶え絶えになりながらも悩んだ結果、親としての願いを最期に残された力でなんとか喉から振り絞る。
「もちろん、お前がこの先もどうか『正しき人間』であって欲しいと思う。……けれども、まだ私が元気だった頃、お前にこう言ったのも覚えているか?」
俺はそんな父さんの言葉に、必死に記憶から今まで父さんと交わした言葉を掘り返していく。
父さんは、『正しき人間』になりなさいと俺へと何度も繰り返していた。だが、それは父さんが『マタ』を発症するほんの少し前からだ。
以降、父さんはなにかに憑りつかれたかのように同じ言葉を繰り返していたから、別の言葉はもっと昔にあったはずと俺が過去へと意識を向けた瞬間だった。
浅い呼吸を繰り返していた父の口元から、息遣いが聞こえなくなる。
この後、唯一動ける姉さんへと父さんの容体を伝えた。
なにせ、父さんが『マタ』を発症した1年後には母さんも『マタ』を発症してしまったのだ。
だから姉さんは、昼間は伯爵様の屋敷で奉公をしていた。でなくば、俺達は食ってなどいけないし、俺もこの歳で近所の店を手伝うことで小遣いを得ていた。
だが、たかが子供に支払われる給金など僅かなもので。ゆえに俺が母さんと父さんの面倒を見ていたが、こんな事態となれば俺はパニックに陥ってしまう。
俺は必死に姉さんの奉公先である伯爵家へと向かえば、偶然にも外で掃き掃除をしていた姉さんへと事情を話した。でももうその頃には全てが手遅れだった。
姉さんがなんとか医師に頼み込んで、父さんの容体を診て欲しいと願い出たが、医師が我が家へ到着したころにはもう父さんは冷たい亡骸に変わってしまったのだ。
そして父さんの葬式が終わった後、俺は再度父さんが過去俺に告げた言葉を漁っていく。
俺は父さんの眠る墓石を見つめながら記憶を思い返していくのだが、そのときふと父さんの声が俺の耳元を撫でた。
「なぁ、ラインバレルは将来なにをしたい?」
そう笑っては俺を抱き上げる父さんの姿が脳裏に蘇った瞬間、ようやく俺は答えへと辿り着く。
まだ幼かった頃の俺の夢は、『聖火隊』へ入隊することだった。
そしてそこで色んな人を守って少しでも他人の為に生きて、少しでも色んな人に幸せになって欲しいと願っていたのだ。
これは決して『正しき人間』が絡んだがゆえの言葉ではない。
ただ不幸が蔓延る世の中で、どうか“みんな”が笑っていて欲しいと言うラインバレル・ルテーシアが持ってした小さな願いだった。
「だから俺は強くなりたい! 悲しんでいる人達を救って、なんならもう『マタ』で苦しむ人がいなくなるようにしたいんだ!」
「全くもう、この子ったら……。でも、そうね。ライなら立派な兵士になれるわ」
父さんの傍にいた母さんも、俺の将来の夢を肯定してくれた。
そして父さんは、そんな俺を頼もしいと誇らしげに笑う。
だと言うのに父さんは力強く頷いた後、どこか悲しそうな表情を浮かべては眉を下げる。
確かにそれもいいのだが、親としてはお前に辛い思いをさせたくないと親として俺を心配してくれたその後に――
「それも立派だが、そんなことより■分を大■にし■■れ」
これが俺の父であるダルラ・ルテーシアの真なる願い。
だが、それらは呪いによって曇って父さん自身さえ自身の願いを穿き違えた。
はたしてこれを無知で無力な俺がどう受け取るのか――それもまた自明だ。
結局俺は父さんの願いを誤解したまま、ああして『正しき人間』でいようとするのだ。
呪力を手にした今、父さんが何故『正しき人間』の在り方を散々説いたのか今なら理解出来ると言うのに、それでもまだ俺は『正しき人間』で在りたいと願う。
全ては、父さんの尊厳を守るために。
なにより、父さんにとって誇らしい息子でありたいがために。
他者のためか、はたまた自身のためか……俺は呪力に蝕まれながら、さらに道を踏み外していく。自分でも哀れだと嘲笑える程に。
今回はラインバレル君の過去回でした。
ここで、ラインバレル君のお父さんが言っていた『正しき人間』の話が出てきましたが、結構蓋を開けたら色んな思惑や迷いが交差していましたね。
これは大分最初の話(恐らく5話)に繋がっていまして、お父さんの言っていた言葉がモザイク解除されてます。少しだけですがね。
このモザイク音なしの言葉については、次回をお待ちください。
そして早いですが、次回が9話最後になります。
後、ラインバレル君の「呪力を手にした~」の下りとラインバレル君のお父さんが『正しき人間』に執着した理由は内容解説にて明かしていますので、よければそちらも読んでいただけると理解が深まると思います。
⚔43話の内容解説(活動報告)はこちらになります!↓(※多々ネタバレを含みますのでご注意下さい※)
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