カゲフミ・キクキョウという青年
いつだって自身の吐き捨ててきた言葉は、容赦なく他人を刺してきたとカゲフミ・キクキョウは今になって自身の行いを恥じた。
今まで、深更であったこの心に光など射すことはなく。
毒血に犯された己の心は、凍った湖の表面のように薄く脆い。
氷板で隔たてていたのは自身の罪過と他者への憎悪で、氷が溶けてしまえばいとも容易く本心を暴かれる。
なんてことは、カゲフミ本人も重々承知である。
しかし彼はそうと言った生き方しか知らず、だからこそ鋭い言葉と傲慢な態度で他者を遠ざけてきた。
だと言うのに、今彼を抱き留めるラインバレル・ルテーシアだけは違った。
最初カゲフミが呪力に蝕まれて苦痛に喘ぐラインバレルが目に留まった瞬間、ラインバレルは既に瀕死の状態で地を這う虫同然だった。
普段であれば、踏みつけるか通りすぎるだけだったはずのそれは、体を蝕んでいる呪力の淀みによってカゲフミの目を引く。
確かに地を這うこいつは、死にかけた芋虫のよう。
しかしこいつの身を蝕む呪力は、自身が求めていたあるものとよく似ており、カゲフミが長らく求めていたものだった。
本来なら問答無用で死に至るはずの呪力に対し、こいつはただ意思1つで耐えていた。
それだけでなく、こいつの意思は正に自身と同じく脆いことも直感で悟る。
鋼のように厚く硬いと見せかけて、結局は脆い氷板で隔たれた矛盾の結晶体。
だと言うのに、必死に抗う姿が自身が過去亡くしてしまった大事な存在と重なった。
だから、カゲフミはなんとなくこいつを助けただけ。
なにより、あのとき瀕死のこいつに放った忠告はカゲフミの本心であった。
こんなにも純粋な存在が、自身のように穢れきった存在になるのは惜しい。
自分達は毒壺の中で勝手に争っているから、清廉潔白なお前らは毒壺から遠く離れたところで生きていてくれ――そう願っていたと言うのに。
何故か、こいつは自身の忠告を無視して自身とはまた別の苦難へと挑んでいた。
折角助けてやった命を捨てた馬鹿野郎。
これがカゲフミのラインバレル・ルテーシアに対する第一印象だった。
どうしようもなくお人好しで、他人と仲良しこよしをするのが好きな根っから甘い善人。
自身と年齢は左程変わらないというのに、その世間知らずさや潔白さには何度呆れて見捨てようかと思ったことか。
一生自分達は相いれない存在でいるに違いないと、カゲフミはラインバレルと距離を置く。
だが、そんな近づくことのない点と点を繋ぎ合わせたのはラインバレルだった。
「カゲフミ、相談があるんだけどいいかな?」
それは『ラジアータ』までの道中のこと。
自身とカナタ、『原初の災厄』とラインバレルで旅をしている道中のことだった。
ラインバレルは慙愧に堪えないと言わんばかりに、苦く自身の平凡さを噛みしめていた。そしてラインバレルは自分へこう申し出た。
「俺に、呪力の扱い方や呪力を使った戦闘術を教えて欲しい」
頭を下げるどころか、それすら通り越して膝を地面につけて頭を下げるその様を見て、カゲフミは馬鹿馬鹿しいと吐き捨てる。
「大した恥知らずのようだけど、リアムを殺すまでひっこんでろよ。別にアンタなんかに期待はしていない」
どうせ、他者の呪力を借りなければ呪力自体を扱えないくせにと。
それどころか元々呪力がないから、他者から力を授かっただけのくせにとカゲフミはラインバレルを軽蔑する。
ああ、本当にお前はなにも分かっていないと。
呪力がないことが――いや、呪力を扱えないその理由はとても幸福なことなのに、何故その幸福を自ら手放すのかと嚇怒で歯を噛み締める。
だが、どうしても過去に大事な弟を亡くした記憶が脳裏から離れない。その苦い記憶が、ラインバレルを捨ててやるなと訴えかけてくる。
自分はこの先ラインバレルを見捨てるだろう、そうカゲフミは予感していた。
なにせ、自分と彼の目的は違いがありすぎる。
ゆえにいつまでも彼の面倒を見ていられないし、見る気もない。
だと言うのに、最悪の場面が網膜に焼き付いて離れないのだ。
俺のせいで、また無辜の民が死んだらどうする?
それこそ、死んでしまった弟に合わす顔がない……そう心のどこかでカゲフミはいつも怯えていた。
結局、自身の罪過を誤魔化すためにカゲフミはラインバレルに戦い方を教授することになる。
他にも身体強化の仕方や、精神統一の方法も片っ端から叩き込むことで、ラインバレルはようやく呪力で戦う人間としては並み程度の実力となった。
そして、ラインバレルはいつだってカゲフミに感謝と敬意を払うことを忘れなかった。
自身をまるで師と仰ぎ、自身をヒーローであるかのように見つめる無垢な視線は徐々にカゲフミの氷板のような心を砕こうとする。
最初は己の心を壊されまいと辛辣な言葉で抵抗するが、段々そんなことをしていく自分が惨めで仕方なくなくなった。
何故俺はこうも冷たくいられるのだろうか、こんなにも善良な人間に。
平凡でなにも持たない彼を、まるで塵かなにかを見るような視線を向けられるのか。
ゆえに遅かれ早かれ、カゲフミは胸中で1人、ラインバレルへ謝罪するようになる。
ごめん、こんなことしか言えなくて。
本当は友達になりたいのに、どうしても素直になれないんだと。
そして膨らんでいった後悔は、他者に認めてもらいたいという劣等生としての自身の性が破裂させてしまう。
結果、彼の些細な言葉で泣いてしまう弱い自分がいる。
「ごめん……。でも、見ないようにするから。泣き顔を他人に見られるのって、嫌だろうし……」
ラインバレルのその言葉に、カゲフミはこう思う。
いいや、違うんだよ。
本当は自分だってこんなに弱いと知って欲しかった、この弱さを許容して欲しかったんだよと。
ずっと、自身の負った傷が痛いから泣きたかった。
この身に抱える憎悪を吐き出したかったと。
ラインバレルはカゲフミを強靭な精神力の持ち主だと見ているが、そんなことはない。
カゲフミ・キクキョウという男はいつだって弱く、今だって虚勢を張っているだけである。
大事な弟を殺した身内を殺し、大事な弟を蘇らせる――そんな人として最低な目的への成就と羨望が彼の抱える憎悪と拮抗を保っていただけ。
本当は、年中止まない呪詛の濁流に吐きそうだった。
だからこそ飲食は最低限に留め、余計な物が口から吐き出さぬように堪えていただけで。
けれど、段々人として常軌を逸した行動が自分を怪物にせしめていっているのもとても辛かった。
「お前がどれだけその力を……過去を悔いたって、その強さを俺はすごいと思う。立派だと思う、そして俺はそんなお前が好きだ」
だが、ラインバレルは本音を吐露する。怪物であったとしてもこんな弱く醜い自身が好きだと、立派だと。
本当かどうか真偽を聞きかけたが、カゲフミは必死にそれを飲み下す。
だから彼が自身の頭を優しく撫でた瞬間、ラインバレルを化け物かなにかのように見てしまった。
自身の復讐を、悲願の成就をする為であれば、自身の体さえも捨てるこんな自分を。
そして、ラインバレルはカゲフミの凍った心を優しく溶かしていく。
安心してくれ、俺はここにいる。お前が救ってくれたおかげでこうして俺は生きているんだ――なんて止めてくれ。
ただの憐れみで生かしただけなのに、俺のことを救世主のように見ないでくれと彼は何度も腹の底から訴えていた。
だけれども、誰かに必要とされることや称賛されることは幼い頃から喉から手が出る程望んでいたから。
堰を切って泣き出す自分自身を、ラインバレルは決して軽蔑したり馬鹿にはしなかった。
むしろ、彼はひとしきり泣き終わったカゲフミへとこう言った。
「俺が言うのもおかしな話だけど、カゲフミは十分頑張ったよ。だからそんな1人で抱え込まないでくれ。俺らは仲間で友達なんだから」
そう屈託なく笑うラインバレルの顔を見て、カゲフミは再び泣き出しそうになる。だが、その前に笑い声が唇から零れる。
気付けば大声で笑っていて、ラインバレルはそんなカゲフミに驚いて目を丸くした後に一緒に笑い合っていた。
本当に、自分はなんて下らない意地を張っていたのかとカゲフミは自分自身に心底呆れる。
いや、こんな下らない意地を張っていないと理性を保てていけなかったことが本当に恥ずかしい。
だが、そんなどうしようもない自分を曝け出してもなお、傍にいてくれる友人が隣にいる。
そんな些細なことが、人間にとっては大事だったのだと思い知らされ、やがて笑い声も出なくなる。
そして、カゲフミはここで初めて他者と向き合う。
こそばゆいが、人生で唯一の友人に対してこう明かしたのだ。
「俺は弟の蘇生の為に、リアムが持つ女の亡骸が目当てでここまで来たんだ」
彼が仲間に自身の原初の目的を話すことで、よりラインバレルを混沌の渦へと落とす。
そしてさらにラインバレルを過酷な道に巻き込んでいく。
無論、カゲフミはそれを理解していた。だとしても、だ。
この世でたった1人の友人を失いたくないから、今度こそは全力を懸けて彼のために足掻こう。
もう2度と、後悔などしないように――そう固く覚悟を決めるのであった。
これにて8話は終了です。
これは親元になった高杉影踏同様なのですが、彼もまたカゲフミと同じくつんけんした子でした。
本音こそ違えど、カゲフミの場合は弱い自分を見せないための強がりでこんなにひん曲がってしまった訳です。
後まだ語られていませんが、彼がキクキョウ家で受けて来たことや弟のトキツカの件もあって、こうも彼は塞ぎ込んでしまいました。
しかし、ここは流石主人公。そんなツンツンしたヒロインを攻略しました。
ここから、カゲフミは自身の復讐だけでなくラインバレル君という友のために動き始めます。
にしても、リアム君の持つ亡骸って……まさか。
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