無能な自分と神の御業を継ぐ自分
しかし、門前払いされたとは言え、それだけで諦められるほど俺の覚悟は安くない。
結局門前払いされた俺は、そのまま職場へと足を運び、仕事が終わればいつものように帰宅した。
適当に胃に食事を詰め込む形で食事を終えて、今に至る。
首を切り落とすようにナイフの刃を横薙ぎにした後、俺は柄の持ち手を瞬時に変えては、今度は突き刺すような形でナイフを振り下ろす。
自分で言うのも難だが、徹底的に無駄をなくした鮮やかな動きは俺をそこそこの仕手と見間違わせるだろう。
しかし、この程度など正直言って話にならない。
『聖火隊』の人間であれば、この程度の動作など0.1秒とかからず出来ることだろう。
しかし、俺はこの動作を終えるまでにおよそ2秒はかかっている。つまり、どう見ても遅すぎるのだ。
まだだ、まだだと胸中で意志を滾らせる一方で、自身の成長の遅さと不器用さに歯噛みしつつ、俺はひたすら鍛錬を重ねる。
無論、これらの技法は最初から身に染み付いていた訳ではない。
俺はただの一般人であり、それは昼に起こったハンドボール事件が事実を物語っている。
ならば、どこでこんな技法を覚えたかというと簡単だ。
『聖火隊』に所属する兵士達が訓練している姿を、この目に確と焼き付けて盗み見し真似をしているから。
ここ聖都・セイビアは人口が5万人とかなりな数だというのに、都の広さ自体そこまで広くないのだ。
謂わば寿司詰め状態というやつで、『聖火隊』の拠点地であるアガーペの塔の麓には広大な広場がある。そして『聖火隊』の兵士達はその広場で鍛錬を積んでいた。
ありがたいことに、その広場に柵や仕切りと言ったものはない。
この無防備さはここセイビアが神を深く信仰し、人はみな平等であると言う教えを深く心に刻んでいるからこそだ。
誰かが飢えているのなら、食べ物を分けてあげなさい。
この国の土地は、領主や貴族のものではありません、皆で共有しなさい。
そういった下手な甘さの恩恵を受け、3年もかけて『聖火隊』の戦闘術を身に着けていると言った訳である。
だからこそ、彼らもまた俺の顔はしっかりと覚えている。
呪力も扱えない未熟者――それが彼らが俺に名付けられた渾名だ。
昼間の抗議の件では誤魔化したが、俺には呪力への抵抗力はあるのに呪力がない。
本来なら呪力に抵抗がある者は呪力への行使が出来るため、呪力の根源である憎悪を飼い慣らしてしまえば戦う力へと変換することは可能。
だがこの呪力を制御するのが至難の業で、ほとんどの人間が呪力による異能を行使することが出来ない。なのに俺の場合は違う。
この事実は、初めて『聖火隊』へ入隊希望を出した際に受けた身体検査で判明した事実だ。
呪力がないとどうなるか……などその答えは既に出ている。
呪力こそ『聖火隊』の者達が戦う上で、重要視しているもの。兵士として必要最低限の素養。
今後なんらかのきっかけで憎悪が芽生える可能性は十分あるが、少なくとも今の俺が戦場に出ても役に立つはずもなく。
「俺は……っ、結局届かないのか……?」
ナイフの素振りを幾度か繰り返した後、俺は息を切らして、顎まで滴る汗を手の甲で拭う。
荒い息を正そうと呼吸を繰り返していると、瞬間俺は頭に鈍い痛みを覚える。
力がないからなんだと言う? ——と俺のある側面は囁いた。
呪力がないのなら、なにがなんでも捻り出してみろ。
そうでなければなにも始まらないし、俺もその点は自分なりに努力したつもりだ。
だが、どうしても駄目だった。
どんなに他人に傷付けられようと、見下されようと、辛い目に遭おうと、俺は一切他者へ憎しみを抱けない。
はたしてそれは何故なのかは分からないが、俺のある側面はそれでいいと俺に囁いた。
この世界は非情だ。
『マタ』という不条理が人々の体を蝕み、若いも老いも等しく殺す。
それで、幾百――いや、幾百万の人々が大切な人の死を嘆いただろうか。
さらに、『聖火隊』を始め、この大陸にはこう言った呪力を使用することで人々を救う組織や部隊がいくつか存在する。
だが、そんな彼らは誰かへの憎悪を自身の中で焼べることで戦うことが出来る。
つまり、いつだって彼らは誰かを憎まずにはいられない。
自身の過去はもちろん、今もそうだ。本心を言わせてもらえば、ハンドボール事件を起こしたあの兵士は明らかに俺を嘲笑っていた。
他者を見下し、少しでも内なる憎悪をから目を逸らすその行為ははっきり言って邪道だ。
神の教えに倣い、口では人を傷付けてはいけませんと言いながら、裏側ではしっかりとこんな邪の道へと足を踏み外している。
本当にこの世界は地獄だ。
『マタ』の蔓延に対する対抗策はなく、人々は憎悪を抱いて他者を潰す――こんな世界を地獄と言わずしてなんというのか。
だからこそ、俺はああはなりたくないと思っている。
しかし、俺には自分自身に対して疑問が1つだけある。
俺もまた彼らを蔑み、嫌っているというのに呪力が一欠片もないのか。ずっとそれが分からないままだ。
結局、今晩もまた2時間のトレーニングを終えては柔らかいベットへと身を沈めた。
――が、ここで毎晩起こる奇怪な現象が生じる。
そのとは現象、俺がまだ15歳の頃の出来事だ。
当時21歳だった姉さんが数年前に『マタ』を発症し、姉さんを日々看病していたあの頃。
俺は今日もベッドに伏せる姉さんの様子を看ていて、姉は呪力に身を蝕まれながら自身の喉を掻きむしっていた。
そうやって苦しむ姉さんを俺は見ていられなくて、いつもここで席を立つ。
「姉さん、やっぱ薬を飲んだ方がいいんじゃ……。ちょっと取って来るよ」
俺が姉に背を向けた瞬間、姉さんは俺の手を握っては俺を引き留める。
その俺の手を握る弱々しい力が、元気であった頃の姉さんとは全く違っていて、だからいつも去来する過去に胸が痛む。
だが、現実はそうじゃない。
確かにあのとき、姉さんは俺を引き留めた。
弱々しい力で、俺の手を繋ぎ止めては大丈夫と笑っている。
しかし、夢の場合は現実とは違う。
その違いは、俺の手を握っているのは姉さんではない誰かであること。
姉さんではない誰かは苦痛に顔を歪め、微笑を浮かべて取り繕うが、口にしている言葉が姉さんのものではないのだ。
「ライ、きっとあなたは神の御業を継承できる」
と、意味の分からない一言を口にする。だから俺はいつもこう返すのだ。
「神の御業って、なに?」
「それはね、そのままの意味。あなたはきっと、いつしか世界を救う救世主になれる」
そう言うと姉さんの呼吸は浅くなり、とうとう姉は目を瞑ってそのまま呼吸が止まった。
この奇怪な夢が、姉さんが死んで以降俺を悩ませている。
「――ッ!」
今日もまた背を大量の汗で濡らしながら、勢いよくベッドから起き上がる。
一体、これがどんな意味を持っているのかなど分からない。
このことは俺が通う教会の司祭様にも話したが、司祭様でさえ、この“神の御業”を知らないと言う。
いいや、司祭様は“神の御業”という一言を口にした瞬間、目を見開いては数秒ほど膠着し、そして俺を化け物でも見るかのような視線を向けた。
呪力は扱うどころか呪力の一滴すらない劣等生だというのに、化け物に見えるどう考えてもおかしいが、これもあくまで俺の主観でしかない。
「とにかく……シャワーでも浴びるか」
俺はそのまま寝室を後にし、シャワーで不快な汗をしっかりと洗い流す。
そうして、午前3時。
もう1つの職場である印刷所に足を運び、そこで今日の朝刊をまとめて、各家庭に配送するのであった。
どうも、お久しぶりです。織坂一です。
今回でまぁそこそこラインバレル君が置かれている状況や、このマナレクAMという世界背景にある闇を説明出来たのではないでしょうか。
ちなみに、この世界の闇はこんなチンケなものではありません。
なにより、ラインバレル君が“神の御業”というものを会得(継承)できるといっていますが、かたしてこれは真か嘘か……。今は左程問題じゃないので安心してください。
⚔今回3話の振り返りはこちらになります!↓
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