毒婦
――なんて事態が起きたのは、つい1時間半前のこと。
大胆かつ破廉恥な混沌の渦に俺は巻き込まれるが、『原初の災厄』に顔にビールをぶっかられたことで、ようやく熱に浮かされた理性を平熱まで下げることに成功。
なんとか無事にデストラップを乗り越えると同時に事態を終息させ、女性もまた落ち着きを取り戻した。
落ち着くというよりかは俺をからかうのに飽きた……と言った感じだが、今や体勢を変えて俺の左腕に身をみっちりと寄せている。
「1つお聞きしてもよろしくて? バレルはどこの街からのお越しなのでしょう?」
女性はすっかり俺を愛称のライではなく、「バレル」と呼んでいた。
俺は女性と目を合わすことなく、ただ宙に視線を泳がせて女性の質問に答える。
「せ、聖都・セレビアです……」
「なにが目的でこちらに? やはり船旅とか?」
「いやー、それは……」
ここは適当に嘘でも吐いて誤魔化そうと思ったが、なんにせよ嘘はいけない。だから俺は意を決して女性の方へと顔を向ける。
「そ、それよりあなたの名前は? もう俺ら1時間近く話してるのに、あなたの名前を知らないな……って。よければ教えていただけると嬉しいのですが」
そんな俺の咄嗟の逃避の言葉に女性は顔を明るくして、無邪気に笑う。
その幼い笑みに俺は一瞬顔を赤くし、何故か口角が引きつった。
幸い俺の鼻先から下は『業火の仮面』で隠れている状態、少なくとも引きつった口元は見えない。
女性もまた俺の違和感に気づくことないまま、自身の名を鈴を転がすような声音で俺へ告げる。
「わたしはカナタ・ハルミと申します、こちらこそ名乗らずに申し訳ありませんでした」
彼女——カナタさんは取ってつけたお嬢様口調で謝罪するも、その声音に謝罪の色は一切ない。むしろ、聞いてくれてありがとうといった謝礼が変わりに込められていた。
「嫌な話、わたしはこの『オリベ』に腰をおろしていますの。もうここ2年は」
「2年も? やはり、この酒場がカナタさんの職場なんですか?」
そう俺は口にしながらも、悪いと思いつつカナタさんの格好をまじまじと見る。
最初会ったときは気にしていなかったが、彼女は今、ワインレッドのドレスを身に纏っている。
きびきびと働くウエイトレスとは違う派手な格好。装飾品を首元や手首に着けた様から考えれば、酒場の従業員でないことは確かだった。
カナタさんは俺の問いに対し、笑みを寄越すだけでなにも答えない。
「秘密ですわ。女には秘め事も多いものですので」
「……失礼しました」
俺が頭を下げれば、カナタさんは俺の頬をつついて、そんなことは些事だと笑う。
常に笑みを絶やさず、美しい女性は酒場を見返せばちらほらといる。
どの女性も店の隅で男性客を捕まえており、なにやら女性達は男性客にチップを強請っている。
その光景を遅くも目にした瞬間、俺はカナタさんから強引に身を剥がそうとするもカナタさんがそうさせない。
俺の腕に絡みつき――いや、圧し潰すような力を左腕に感じて俺も抵抗しかけた瞬間だった。
「ねぇ、お姉ちゃん。お姉ちゃんって、もしかして娼婦かなにか?」
と、『原初の災厄』が俺に助け舟を出す。
いや、助け舟と言うより今彼女がした動きになにかを感じたがゆえだろう。おかげで奴の翡翠色の大きな瞳は疑わしく細められている。
なにせ、今、カナタさんが行使した力は明らかに――
「お姉ちゃんは娼婦じゃなくて毒婦。違う?」
「いいえ? そんな邪推な者ではありません。今はただの娼婦で、バレルに心射止められた1人の女です」
カナタさんは『原初の災厄』の睨みなど一蹴し、さらに俺へと身を寄せる。
俺はカナタさんが毒婦ではないことや、チップ欲しさに接触した訳ではないと聞いて胸を撫で下ろす。
毒婦というのは、『オリベ』ならず、大型の都市であればよく見られる存在である。
彼女らは依頼人からチップを貰い、ありとあらゆる情報を別の人間から抜き取り、必要なものだけを依頼人へ伝える。おかげで何人の『血濡れの剣』の人間や有権者達が犠牲になったことか。
つまり毒婦とはその名の通り、国家間の争いを呼ぶ者である。
そして、もし彼女が毒婦だった場合、俺からどんな情報を抜き出すだろうかなどと考えていると、彼女はこう言葉を継いだ。
「どうせ、6日前に起こったセイビアの教会爆破と『光の盾』の壊滅の真相を吐けと? けれどそんな情報、『オリベ』では事件の起きた当日に伝わっていますわ」
「え」
セイビアの教会爆破と、『光の盾』の壊滅。それを聞いて、俺は目を見開く。
あれだけ安全なはずの聖都が襲われる――そんなありもしない都市伝説のような事実など、耳にしたのはこれが初めてだ。
聖都の人間を守る『光の盾』が犠牲になるならまだ分からなくもないが、俺が疑問を感じるのはそこじゃない。
何故聖都全域ではなく、教会だけが爆破されるのか。そんな不幸が信じられなかった。
すると、カナタさんは不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「まさか知りませんでしたの? ……まぁ、セイビアからここまで来たと言うことは、早くても1ヶ月はかかりますもの。知る訳がありませんわ」
「なんで……」
はたして孤児達は大丈夫なのかと心配するも、恐らくその心配自体意味がないのだと俺は悟る。しかし、なぜそんな悲劇が起きたのかというと……その真相をカナタさんはゆっくりとした口調で俺に語ってくれた。
「『ゴースト』の群れが聖都を襲った……というのが真相だそうで。ちょうど『血濡れの剣』は今、大征伐といって『ラジアータ』へ旅立っていますわ。当然もう狂界を越えています」
そう、口端を吊り上げて笑うカナタさん。
その笑みに不気味さは一切感じられないし、悪意もない。これは親切なのだと彼女の碧瞳が語っている。
「……まぁ、今狂界の先は荒れ狂っていますわ。なにせ『オリベ』にも『ゴースト』は来ましたもの。おかげでここ最近生活費が稼げなくって……もうっ!」
「そ、っか……」
俺の口から出たのは、生気のない頷きだけだった。
『原初の災厄』もどこか難しい顔をしているが、カナタさんは俺と『原初の災厄』の顔を交互に見る。
「もしかして、ご家族が心配とか?」
「いや、家族はもういないよ。今は……」
「今は?」
そう。俺が孤児達を置き去りにしてまで、セイビアを後にしたその理由はただ1つ。
「今は、リアムを殺すことだけが……先決だったのに」
「……」
俺が無意識に呟いていた目的を口にすれば、一瞬カナタさんもどこか思慮に耽った顔を見せる。
するとすぐに俺を見上げて、「あの」とこう切り出した。
「リアムを殺すということは、あなた方は『ラジアータ』を目指していますのね?」
「あ、ああ……。でも、『ラジアータ』を目指すにはパスポートが必要なんだろう?」
俺が浮かない顔で言葉を返せば、カナタさんは「ええ」と小さく頷き返す。
「『血濡れの剣』が発行するパスポートが必要になりますわ。しかし、そのパスポートは市井になど出回っておりません。あれは『血濡れの剣』でも精鋭中の精鋭にしか渡されませんもの。けれど……」
「けど?」
瞬間、カナタさんは綻ぶような笑みを見せる。
大丈夫だと、そう俺を安心させるように笑って。
「『オリベ』一の情報通であり、名の知れた娼婦であれば、そんなものなんてすぐ様ご用意出来ますが?」
「え?」
「は? 一介の酒場に溜まる娼婦の分際で?」
『原初の災厄』の無礼に、俺はすぐ様『原初の災厄』の口を塞ぐが、カナタさんは気遣いは無用だと微笑み返す。
「明日の……っと、もう日付が変わっておりました。今日の正午過ぎに、こちらの宿へお越し下さいまし。そちらでパスポートをお渡しいたしますわ」
すると、カナタさんは俺の手のひらに1枚の名刺を握らせる。そして俺から身を剥がすと、そのまま席を立ち上がった。
「先程ここの店長から上にある宿の使用許可を得ておきましたので、今日はそちらにお泊りください。ベッドもふかふかでなんと朝食付き。……でも全てオプション込みの料金になるのでお忘れなく」
カナタさんは妖しく微笑んで、そのまま踵を返す。
店内の人混みを静かに掻い潜った後に彼女は店を出て、俺達はそこで彼女の姿を捕捉出来なくなる。
「なぁ」
「分かっておるわ、喧しい。あの女は少々臭う。毒婦なんかでは済まんぞ」
なんて厄介な女に目をつけられたのかと俺は項垂れ、『原初の災厄』は俺を睨む。
だが、俺はこう思う。
彼女が味方であれば、とても心強いのでは? ——と。
こうして俺は喧噪の中、先程彼女から感じた呪力の残り香を感じていた。
ええええッ!? カナタさんマジすか!?
……と、いよいよ彼女が尻尾を出し始めました。どうもこんばんは、織坂一です。
というより、セイビアは『ゴースト』に襲われたってなにがあったの!?という感じですが、まぁこれにも深い訳があります。にしてもタイミングが悪かったな……。『血濡れの剣』の皆さんがいたら全滅はなかったのに……。
そしてこんなことをした以上、カナタさんは一気に怪しまれる対象に……。はたして大丈夫か!?
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