罪業の始まりと覚醒
死という事象は、突如としてやってくる。
死神が構えた鎌は不可視であり、人間の視界には映らず存在すら悟れない。
だからこそ、人間は自身の首元に死神の鎌が当てられているのかさえ分からない。
死神が携えた鎌で首を落とせば人は事故であったり、病であったり……自死以外であれば、例外などなく等しい刹那に死に至る。
だが、死を目前としたときに人の魂には灯火が宿る。
果たしてその灯火とは、如何なるものか。
命が尽きるその刹那に、自身がこの世で生きたという証明か。
はたまた、燃え尽きる命という灯火が、死に抗おうと再燃焼を起こしたがゆえか。
俺はその灯火の意味を知らぬまま、勝手に俺の生は焼べられて呆気なく消えた。
俺の命の灯火が消えたであろうその刹那、俺は気付けば真っ白な世界におり、先程俺を囲んでいた『ゴースト』はどこにもいやしなかった。
いや、それどころかここはもう自分が逃げ回り苦戦を強いられた地獄ではなかった。
俺はそれに気付いた瞬間、あの一瞬で俺は死んだのだと悟る。悔しさとなにも成せなかったことの無力さに羞恥の念を覚えて俯く。
「お前は、なんのために戦う?」
ふと聞こえた声に、俺は反射的に顔を上げる。
すると、俺の目の前には黒髪の男が立っていた。
黒髪は乱雑で、まるで嵐が吹いた後のような有様。
灰色の瞳はなにも映してはおらず、頬から鼻にかけて横に伸びた傷は痛々しい。
よくよく男を見て見れば、男はどこもかしこも傷だらけで、さらに血に濡れていた。
しかも右手には黒い刀剣を引き摺っている。
あなたは? ——そう名前を聞き出そうとした瞬間、男は引き摺っていた剣を手放して、血に濡れた両手で顔を覆う。
「俺は、彼女のために戦った……。でも、結局は全部無駄で、間違いだったんだ……っ! 俺にはなにもない! 戦う理由も、生きる理由もッ!」
突如髪を振り乱して、男はただただ慟哭する。自身のしてきたことは無駄だったと。
俺にはこの男が何者かも分からないし、俺を目の前に勝手に狂乱する姿に俺は困惑することしか出来ない。
ただ悲しみに溺れて泣く姿は、あまりにも惨めだった。
この人にどんなことがあったか知らないが、彼は痛いと泣いて、苦渋を喚き散らしている。
戦いたくない、もう嫌だ、逃げ出したい。
そんな切々と続く泣き言に、俺は段々腹の底からなにかが沸き上がってくる。
戦いたくない? 全ては間違いだった? 自分にはなにもない?
どうしようもなく、そう喚く男の言葉が腹立たしくて仕方ない。
そう、どこかの誰かとそっくりで、喧しい。
どこかの誰かもそうだった。
あいつも、自分にはなにもないと泣いていた。
自分のしてきたことは全て間違いで、■■■を殺したのは自分のせいだと自身を責め続けた。
だが、その後悔が一体なにになっただろうか?
数多の後悔が残したものは、ただの怒りだけ。
一生消化出来ないその塵は、視界に映るだけで腹立たしい。
それゆえか、俺は気づけば怒りと衝動で男の胸ぐらを思い切り掴みかかっていた。
男はこちらを見ようとせず、渇いた唇は未だ泣き言を1人喚いている。
「……黙れよ」
黙れ。
黙れ、黙れ、黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ――!
そう猛る嚇怒と共に、俺は男に対して本音をぶち撒ける。
「後悔するぐらいなら、最初から選ぶなッ! 一生そこで蹲ってろ!」
そうだ。呼吸だけして、耳を塞いで口を噤んで、寿命が尽きるときまで待っていればいい。
お前らのような人間は、総じて害悪に違いなどないのだから。
「ああ、煩い……」
瞬間、ゆらりと俺の体が陽炎のように揺れる。
気付けば白い世界などどこにもなく、俺が胸ぐらを掴んでいた男さえもどこかへ消えた。
そして、白い世界から放り出された俺の眼前にいるのは、黒い爪を携えた化け物共。
先程まで聞こえなかったが、こいつらもまた泣き言を喚き散らしていた男と同じように苦渋と悔恨を振り撒いている。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ごめんなさい、わたしのしたことが間違いだったからと誰かに訴えるように。
「……後悔を間違いだったと口にするのなら」
俺は死という事象を前にして、ただただ怒る。瞬間、俺の中でぷつりと糸のようなものが切れ、消えるはずだった灯火に断罪という燃料が注がれる。
そして、燃料を焼べられて燃え盛る俺の意識は、断罪者の誕生を謳うべく無意識のまま俺は祝詞を紡ぐ。
「“嚇怒や後悔、自責の念など一切不要”」
あの男とどこかの誰かを見て、俺は素直にそう思った。
後悔などするのなら、後悔して泣くぐらいなら最初からしなかった方がいいのかもしれない。
けれども、人間はそんな風に選択肢を見過ごすことなど出来なくて。
だからこそ後悔しない道を選んだはずなのに、何故涙を流してしまうのか。それが未だに俺には分からない。だが――
「“それらは総じて屑でしかなく、地を這う弱者の戯言に過ぎない”」
怒りに震える俺はそう言い切る。
所詮、やることをやったのに泣き言を口にするのは総じて意味がない。
「“しかし弱者こそ悪か? 強者こそ正義か?”」
それもまた分からない。だって、それが分かったのなら正も邪も定義する必要がない。
なにが自分にとっての最適解で、正義なのか。後悔をして泣き言を口にすることははたして悪なのだろうか?
「“否、断じて否。人は総じて地に墜ち生まれ出でた神の子なり”」
そうだとも、と俺は胸中で1人首肯して、弱者と悪の定義に異を唱えた。
人は皆平等で、誰もが誕生を祝福された存在なのだ。
だから俺は誰もが幸せになって欲しいと願うんだ。それが例え、家族や友人や恋人以外の他人だったとしても。
それに、俺の本音はそれだけじゃない。
「“然して、俺が許すのは神の子たる聖者のみ”」
と、どこか差別化してしまう自分もいる。でなくばリアムを憎いなんて思えない。
もうこれは矛盾だらけの、壊れた蓄音機が奏でる正体不明の滅びの歌だ。
「“ゆえに聖者以外は例外なく死に絶えろ”、“罪業は今ここに”」
そして、これこそが俺にしか至れない俺だけの“法”。
「“断罪せよ”——“我こそ地に墜ちて罪業を食らう破滅の使徒なり”」
罪業と言う“法”に至った断罪者が詠唱を紡いだ後、死に際に燃えた灯火は怨嗟を纏う熱となって万象を浸していく。
怨嗟を纏う黒い熱は平地へ広がり、俺に集る『ゴースト』達を包んでそのまま浄滅する。
1体、5体、10体、30体――と襲って来た『ゴースト』100体を憎悪に浸して、そのまま無へと還す。
その様は、全ての悪を裁き尽くす断罪者か。
それとも、天から遣わされた救世主か。
どちらでもあり、それは彼が自身の抱える憎悪に溺れるかどうかで分かたれる性質。
だが、その選択肢など今は不要。
なにより、罪業へ至った俺を『原初の災厄』さんが愉快そうに見つめている。
いつしか見たような、この時こそ自身の最大の悦楽だったのだと三日月に口元を歪めて。
◆
黒き怨嗟の熱は、かつて悪食の狩人が吐き散らした赤い毒血よりも美しいと『原初の災厄』は感嘆する。
ああ、なんと美しい。まさか即席で組み立てた不完全な“法”が、まさか怨敵が有する“再誕”という“法”よりもずっと上だと確信させる光景に思わず涙が零れそうになる。
彼――ラインバレル・ルテーシアという青年の蒼瞳はもはや『ゴースト』など捉えていない。
彼が見ているのは、『ゴースト』という端役ではなく、自身がこの手で殺してやりたいあの畜生だ。
一体何故、その蒼瞳にリアムを映しているかは不明だが、『原初の災厄』は成程と1人胸の内で納得する。
ラインバレル・ルテーシアは潔癖であるがゆえ、リアムのような中途半端な人間を許さない。
許さないといえば大袈裟かもしれないが、左程そこに違いはないのだ。
ただ嫌悪し、滅べ、自身の視界に映るなとひたすら吼えて、リアムの魂を浄滅するまで決して止まらない。
正直、初戦でここまで出来るのであれば上々。このまま自身の呪力とラインバレルの器が同化していけばより“罪業”という“法”は強くなっていく。
だから今後、リアムを討てないという可能性は一気に下がった。
とは言え、このまま彼が彼でいられると言う保証はない。
なにせ“罪業”という“法”は相手の魂だけでなく、自身の魂さえ黒く染め上げていく。
力を行使すればするほど、黒はさらに昏さを増して、2度と白へは戻れない。
そうなってしまえばどうなるか――それはもはや自明である。
ほぅれ……と『原初の災厄』は嗤う。
『ゴースト』100体を一瞬にして滅したラインバレルは、幽鬼のように身を揺らし、なにかぶつぶつと呟いている。
目の焦点は合わず、未だ怨嗟の念は彼の身に纏わりついている。
少し様子を見て見るか――そう思ってラインバレルへ近づいた瞬間だった。
『原初の災厄』の頬が熱によって焼かれ、黒い瘴気がこれ以上近づけばその身を焼くぞと警告する。
「許すか……許すか、許すものか。潰えろ、墜ちろ、お前に生きる権利はない……ッ!」
滅殺を誓うその独り言は、ただ怨嗟に燃えている。
そう。これこそが、“罪業”という“法”を使う上でのデメリットだ。
あの瘴気は1度触れれば、たちまち自身の呪力と反応して死に誘う芳香。
呪力量が多い者や憎しみが強い者ほど、この香りに誘われて肉どころか魂を融解する。
ゆえに元々憎悪が欠落しているラインバレルにしか扱えないが、リアムを殺す上では最適な業だ。
その反動は計りしれないものであり、今のラインバレルを見ていると、恐らく彼は“罪業”という“法”の対価を甘く見ていたと『原初の災厄』は悟る。
だが、それがいいのだ。
『原初の災厄』は善を尊ぶ彼の歪んだ顔を見たくて仕方がなかった。
白のキャンパスを様々な色で染め上げていくその様が、純朴で潔癖な青年が悪へと堕ちるその様を見たいと言う衝動にどれだけ駆られたことか。
ああ、生きててよかった――『原初の災厄』は初めて自身の生に胸の高鳴りと悦びを感じる。
今までは多数の人間が潰れて逝く様を見ていたが、これはこれでいい。なにせ前回のは醜悪すぎた。
あの女も、リアムも、そして自身に全てを捧げた臣下さえ、どいつもこいつも汚れており呪うことでしか希望を持てないのも納得出来る。
しかも内に抱えた欲望が、愛だの希望だのどうも薄っぺらい。
挙句にあんな終わり方で終幕となり、はっきり言って不愉快だった。
撤回しよう。先日、男色の趣味はないと断言したが、これはこれでいいものだと。
あくまでこれは精神性の話であるし、なにより『原初の災厄』とは人類にとっての障壁であるゆえに性別と言う定義もない。
ただ、こうやって現世に留まるには依り代を用意しなければならないだけで、そもそも人間ですらないのだ。
だが、人間もまた愛でる価値があると再度認識する。彼にとってラインバレルは上玉である。
抑えきれない嗤い声に、三日月に歪む口元。
彼はただ翡翠色の瞳に愉悦と感激を映して、自身の大切な玩具を睥睨する。
そうだ、もっと抗え。壊れて逝く様を見せてみろ。
――と、ラインバレルが憎悪と正気の狭間で悶える中、災厄と言う害悪は延々と生贄を見つめていた。
どうもこんばんは、織坂一です。
ようやくラインバレル君が覚醒しましたが、今回は怒涛の回でしたね。
何故急にあの妙な青年がラインバレル君の意識に湧いて、挙句にはこんな手助けをするなど……彼もまた仲間かな?(すっとぼけ)
とにかく彼の正体については本編を読破した方には、ある程度察しがついたかと思います。そう、彼です。
にしても、代償やばそうだな……。この“罪業”ってのは。
後、諸事情であの謎の青年を男に改変しています。理由は26話にて。
⚔13話の内容解説(活動報告)はこちらになります!↓(※多々ネタバレが含まれますのでご注意ください※)
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