93.死闘
アレクに抱き留められたまま、ふわりと着地した。
わたしは、無傷だった。
身体のどこも痛くなくて、あの光の帯は、わたしには何の影響も与えてなかった、けど……
わたしの身代わりとなったのは、アレクだった。
【雷の大砲】を受けたらしい右足の鎧が砕け散り、むき出しになった足が赤く焼け爛れていた。
誰がどう見たって重傷で、彼はまともに立てないみたいだった。
「愚か、だな」
と、ケイトさんの声がした。
「あのまま押し切れば、私を殺せたかもしれないのに、自ら勝機を放棄するとはね」
呆れたように言い放つケイトさんの言葉は、本心とは思えなかった。
アルマトーラを展開したアレクと戦っていたはずなのに、彼女はどこにも怪我はなく、その口調には余裕すら感じられたから。
「俺には、俺のすべきことがある」
苦しそうに呻きながらも、アレクははっきりと言い放った。
「君が納得しているなら、まあいいさ。しかし、君の献身は何の効果もなかったようだね」
視線だけをわたしに送りながら、ケイトさんは言った。
何があったのか、何が起こらなかったのかを、彼女は正確に見抜いているようだった。
そうだ……
わたしが、できなかったせいで、アレクが怪我をしたのだ。
謝りそうになる口をつぐんで、わたしは必死になって考えた。
彼に謝罪している場合じゃないのだ。
どうしてできなかったのかを、突き止めなければならない。
「君には、魔力が足りないんだ。ディアンの魔法を使いこなすだけの魔力が、ね」
求めていた回答は、対峙していた相手からもたらされた。
わたしも、知っていたはずの答えが。
「さあ、もういいだろう? 君達が何をしようとも、結果は同じだよ。アム・クラビスを差し出すか、私に奪われるかという違いがあるだけだ」
「そんなことは、俺がさせない! 絶対に!」
アレクは吠えるような声を上げ、怪我をものともせずに立ち上がった。
傷付いた足を再構築した鎧で包み、戦闘態勢を整える。
「リースもこの国も、俺が守ってみせる!」
わたしも彼の声に応えようと、手にした魔鉱石を抱え込み、ダガーの切っ先をケイトさんに向けた。
「では、二人まとめて死ぬといい」
わたし達の拒絶を受け止めたケイトさんは、静かに冷たく言い放ち。
その姿が、かき消えた。
「リース。まずは君からだ」
と、背後から、耳元でささやかれた。
振り返る暇もないまま、わたしは爆炎魔法を声のした方に発動。
後ろに広がる爆風が、背中に回り込んだ長身の女性を包み込む。
とっさに使った中級魔法は。
ケイトさんには効かなかった。
展開された赤い防壁を突き抜け、彼女の手が伸びてくる。
「しゃがめ!」
と叫んだアレクが、わたしの首を刈り取ろうとする手刀を、座り込んだわたしの頭上で受け止める。
一撃を止められたケイトさんは、再び姿を消した。
(ダメだ……)
彼女の動きは、あまりにも速過ぎた。
魔力で強化した目を使っても、全く捉えられないのだ。
アレクも姿を消して、わたしの周りで、打撃音が鳴り響く。
ケイトさんの攻撃を受けているのか、アレクが攻撃しているのか、状況が全く分からない。
そして……
ひときわ大きな破砕音が鳴り響いた。
わたしの目の前に。
地面に叩きつけられたアレクと、彼の首を片手で押さえつけたケイトさんが現れた。
亀裂の走る床。
飛び散る石の破片。
かすかなアレクのうめき声。
まるでスローモーションのような動きの中で、彼女がこちらを見据えるのが見えた。
アレクを抑えたまま、彼女の手が、2本の指が、わたし目掛けて伸びてくる。
刺突をよけようとするわたしの動きも、ひどくゆっくりに感じられた。
両目を潰そうとする指が、頭を貫こうとする指が、すぐそばに迫るのが分かっていても、その軌道から逃れられない。
わたしが、死を覚悟した、瞬間。
瓦礫を突き破って、現れたモノがいた。
「てめえ! リースに何しやがる!」
ジェイクの雄叫びを伴って、翡翠色の龍が襲い掛かって来たのだ。
巨大な牙が並んだ口を大きくあけて、ケイトさんをかみ砕こうとする。
「なるほど。風の王か」
と、冷静な呟きと共に、攻撃を中止したケイトさんがアレクから離れた。
彼の姿を見ただけで、わたし達が駆け付けられた理由――自分が呼び出した巨人の末路を悟ったようだった。
わたし達の前に着地した風龍様は、彼女に向けて威嚇するような咆哮を上げた。
「彼を呼び出すとは……なかなかどうして、大したものだ」
なぜか楽しそうな声を上げた彼女は、新手の出現にも動じることなく距離を保つ。
ほんの少しの間、目を閉じたかと思うと。
≪ひれ伏せ!≫
力のこもったケイトさんのたった一言が。
巨大な龍を、完璧に拘束した。
翡翠色の巨躯が地面に叩きつけられ、ピクリとも動けなくなったのだ。
彼女が放った力ある言葉によって、精霊様の力が封じられてしまっていた。
「くそっ! なんで動かねえ!?」
「君が使っているのは、彼の力のごく一部に過ぎない」
ケイトさんは動けなくなった精霊様に歩み寄り、その大きな顔の前までやって来た。
「もっと精進することだ。彼の声をよく聞き、大いなる力をよりよく使いこなせなければ、私には勝てないだろうね」
「何をやっている!」
跳ねるように起き上がったアレクが、右手に生み出した剣を腰に構えて接近。
彼の渾身の突撃を、ケイトさんは翻したローブで受け止めた。
蒼く輝く剣を絡め捕り、突進の勢いを止め、彼の足を払って再び地面に拘束。
(ダメ……勝てないよ……)
と、わたしは思った。
足の負傷の影響が大きすぎて、アレクの動きが鈍っているのは間違いなかった。
もはや、わたしにも見えるくらいの速度でしか動けないのだ。
≪しっかりしなさい! あんた何しに来たのよ!≫
と、わたしは動きを封じられた男を、“力”を込めた声で叱咤した。
「黙ってろ! 分かってるんだよ!」
≪このままじゃアレクの足手まといになるだけだよ! そんなのでいいの!?≫
と言う声に力を込める。
話しかけるだけじゃダメなのだ。
精霊様へ呼びかけられる言葉を使って、彼の根源に少しでも力を与えないといけない。
「分かってるっ、つってんだろうが!」
ジェイクは、頭の血管が切れそうな吠え声をあげた。
見えざる鎖を引きちぎろうと、自らに課せられた戒めを引き裂こうと、翡翠色の龍は四肢に渾身の力を込めた。
そしてついに。
自由を手にしたジェイクは、石の床を踏み砕きながら再度襲撃。
アレクの首を折ろうとしていた彼女の腕に、大きな口で食いついた。
突進の勢いを生かして彼女をアレクから引きはがし、その身体を引きずって、瓦礫の一つに叩き付ける。
粉塵が舞い上がり、砕けた岩の中に埋もれたケイトさんに向けて、ジェイクは口を大きく開いた。
極大魔法、【竜巻の息】。
最強クラスの風魔法が放たれ、そこにあった瓦礫の山が、微細な粒子にまで砕かれた。
渦を巻いた暴風が、彼女を飲み込んだように見えた、けど。
「そうだ。そう来なくてはね」
わたし達の予想は、あっけなく打ち砕かれた。
ローブをはためかせて宙を舞うケイトさんが、軽やかに着地したのだ。
「精神を研ぎ澄まして彼の声に耳を傾け、より高みを目指すのだ」
灰色のローブについた埃を払い、彼女は何もなかったかのように、わたし達に対峙する。
「無傷、だと……?」
「いくら私でも、極大魔法は受けられないよ」
魔法を受けた様子もないケイトさんは、自分の服の裾を手に取って見せてきた。
その、端っこのわずかな部分が、引きちぎられていた。
たったそれだけが、全力をかけたジェイクの戦果だった。
おそらく、精霊様の魔法が発動する前に体勢を立て直し、魔法の範囲外まで逃れていたのだ。
「差し当たっての問題は、それをどうやって私に当てるかだ……」
彼女が言い終わるよりも前に、蒼い剣を手にしたアレクが切りかかる。
「それなら俺が、お前を止めればいい話だ」
「残念だが、傷付いた君では私を止められないよ」
「そんなのは、やってみなくちゃ分からないだろう?」
不遜な笑みを浮かべたアレクは、受け止められた剣を振りかざし、ケイトさんとの戦闘へと入っていった。
彼の斬撃の速度が増し、煌めく蒼い光を伴いながら、その動きがかすれたようになって。
わたしには、完全に見えなくなってしまった。
ジェイクには二人の動きが分かっているのか、ストームブレスの発射態勢を取ったまま、首を小刻みに動かしつつじっと待っている。
二人の動きに全然ついていけなくて、わたしは見ているしかできなかった。
このままじゃ……
わたしこそが足手まといだった。




