9.人間を売る者ども
日が傾いて空が赤く染まるころ、わたし達は半日かけて森の中の道なき道を歩き、王都から東に走るエンタリオ街道まで出てきていた。
草原の中を貫くまっすぐな一本道。
人や馬、荷車などで踏み固められた道が、地平線まで続く緑の草原の中に白く細い線を描いていた。
その街道の脇にある廃屋の二階。
崩れかけた家の中に、わたしとアレクは身を潜めていた。
レンガ造りの二階建ての建物は、屋根がすっぽりと抜け落ち、風雨にさらされた土とレンガの壁が崩れ、床のそこかしこに穴が開いていた。
誰も住まなくなって何年も経っているようで、今にも自分たちのいる床も抜けそうなほどグラついていたけど。
わたし達二人が身を隠すには十分だった。
「セルザムは確か、黒い噂があるっていう商会だよな」
わたしの隣に座って、壁の穴から街道を覗いていたアレクが言った。
セルザム商会は、この20年で規模を何十倍にも拡大した、新進気鋭の企業だった。
魔装具や魔鉱石などの軍需品から、食料や布製品なんかの日用品まで星の数ほどの品物を扱い、毎年莫大な利益を上げていた。軍向けの物品を納入する繋がりで、彼らの活動の背後には王権の便宜があると言われている。
「噂というより、真っ黒だよね」
「どうして、断言できるんだ?」
アレクはわたしに目を向け、当然のことを聞いてきた。
「そりゃあ、襲うのは初めてじゃないもん」
あっけらかんと言い放ったわたしを、彼は目を細めて見つめた。
わたしが悪人かどうかを、見定めているみたいだった。
「……そう言えば、エンタリオ街道には、セルザムだけを狙う盗賊が出るって、王都で噂になってたな」
一瞬、責められるかな……と思ったけど、アレクはとぼけるように言った。
「それはきっと、わたしのことだと思うよ。ただの盗賊に、あいつらを襲う度胸なんてないから」
わたしはふふんと鼻を鳴らし、ちょっと自慢するように言った。
セルザム商会は、ゴルドニア王国でも有数の規模がある。
私設軍隊もどきまで持っている彼らの護衛は手練れが多く、たいていの盗賊団ならたやすく返り討ちにされてしまうだろう。
ま、そのくらいならわたしの相手ではないってことは、これまでの結果が示しているよねっ。
「てか、犯罪行為を誇るなよ」
「えーっ別にいいじゃん。悪いことは何もしてないんだから」
呆れたアレクに対して、わたしは口を尖らせた。
「それじゃあ聞くが、お前が奪った積み荷は、何だったんだ?」
ようやく、アレクも彼らのしてきたことに、興味が出てきたようだった。
わたしはほんの少し間を開けてから、こう言った。
「人間、だよ」
真剣なわたしの返答に、アレクは目を見開いた。
「セルザムは、国外で隷従魔法に囚われた人を売りさばいているんだよ」
固まって動けなくなった彼に、わたしは努めて冷静に告げた。
隷従魔法。
それは、人を意のままに操る悪魔のような魔法だった。
その魔法に囚われたら最後、主と定められた人間の命令に逆らえなくなってしまう。
命令がたとえ「自殺しろ」という類いのものであっても、だ。
ゴルドニア王国の奴隷制の根幹をなす魔法であり、王国の産業と軍事を支える魔法でもあった。
「エンタリオ街道の先には、何があると思う?」
「……自由都市同盟、だな」
「そう。お金さえあれば、何をしたって自由っていう国。そこでは、人身売買だって合法的に行われているんだよ。そこに逃亡や反乱の恐れがない若い人を連れて行けば、とっても高く売れるってわけ」
ゴルドニア人の奴隷には、ある共通の特徴があった。
手首と足首に、同じ痣が刻まれているのだ。
何重にも巻かれた鎖の痣。
隷従魔法という鎖に身体を絡め捕られた証、だった。
魔法により痣を付けられた人は自分の、個人としての意思をなくしてしまい、主人と定められた人物に一生従ってしまうのだ。
「奴隷制は、20年以上前に禁止されたはずだ」
「そう。先王様の時代に、そういうお触れは出たみたいね」
現国王の兄、賢王ジョシュアの時代に奴隷制の廃止と、隷従魔法の禁止が布告されていた。
わたしが生まれる前の話で、当時は大きな混乱が起きたって聞いたことがある。
「でも、今でも大勢の奴隷がいるし、セルザムみたいに人身売買をしている商会だってあるの。奴隷制の廃止なんて、すっかり忘れちゃったみたいに」
追い打ちをかけられた彼はあまりの衝撃に身を強張らせ、わたしの言葉を受け止められないかのように天を仰いだ。
「人を売ったり買ったりする奴らなんて、ぶん殴られて当然だと思わない?」
「それはそうだが……違法行為を取り締まるのは、王権に任せるべきじゃないのか?」
「もちろん、わたしだって最初に襲う前には、国家警察にも知らせたし、セルザムの本拠がある街の領主様にも訴えたよ。奴隷取引なんてヒドいことをしてる奴がいますって」
わたしは努めて、冷静に話そうとした。
「でも、警察も領主様も、何にもしてくれなかった。むしろわたしが、セルザムの評判を貶めようとしているって言って、逮捕されそうになったよ」
あの時のことを思い出すだけで、抑えがたい怒りがこみあげてきて、はらわたが煮えくり返りそうだった。
セルザムのネットワーク……というか賄賂網は地方都市にまで根差しているっていうし、自分に貢いでくれる企業を取り締まろうなんて、誰も考えていなかった。
「だからわたしは、こうして囚われた人たちを少しでも助けようとしているってわけ。ここがラストチャンスだから」
同盟領内で売買が成立して新たな主人が決まれば、その場で隷従魔法をかけられる。
そうなればもはや、彼らを助ける方法がなくなってしまう。
魔法をかけられる前でかつ、一番警備が薄くなるのが、同盟への移送中なのだ。
「と言うわけで、これから通りかかるセルザムの商隊を襲うの。分かった?」
アレクは目を閉じ、しばらく何かを考えた後。
「……いいだろう。協力する」
「ありがと」
そう言ってくれたアレクに、わたしは短くお礼を言った。
ここで止められる可能性も、彼が敵に回る可能性も、考えてはいた。
どんなに彼がいい人でも、わたしのしようとしていることは、警察に追われるようなことだから。
まあ、仮に揉めたとしても。
彼を殴り倒してでも、突撃するつもりだったんだよね。