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87.人を従わせる力

「どうして……どうしてあなたがここに……?」

「私はあの男に、用があるからさ」

 なんでもないことのように告げるケイトさんの繊手が、祭壇の奥、近衛兵に守られた細身の男性へと向けられた。

 線の細い身体に合わないぶかぶかの服には精緻な装飾が施され、薄くなった頭髪の上には煌めく宝石に彩られた王冠があった。

 神経質そうな顔を憤怒の感情で染め上げた彼こそが……


 クリフト・ブラッドメア・ゴルドニア。


 この国で、最も偉い人物だった。

「君たちの方こそ、なぜここへ?」

 誰もがひざまずく尊き人物を完璧に無視して、ケイトさんは私へ聞き返してきた。

「わたし達は、王都で起きている異変を止めに来たんです!」

「ふむ……それなら、君たちの狙いも私と同じ、というわけだね」

「それってどういう……?」

 わたしの疑問には答えずに、ケイトさんは泉の対岸に陣取る王様へと歩み寄った。

「きっ、貴様はっ! 何者だ!?」

「実際に会うのは初めてだね。私の声に、覚えはないかな?」

 鏡のような泉の水面を滑るように進む彼女の声に思い当たる節があったのか、クリフト王の表情が変わった。

「貴様は……イニティウムの!?」

「そう。君が追い返してくれた交渉団の代表さ」

 ケイトさんはいともたやすく王様の前まで移動して。

 横合いから切り上げられた近衛兵の斬撃も、片手でやすやすと受け止めた。

「では、改めて私の要求を伝えよう。君が持つ【魂の鍵】(アム・クラビス)を引き渡せ。それは人間には過ぎた物だ」

「何度言われようとも同じことよ! これは余のものだ! 誰にも渡さぬ!」

 クリフト王は、大声で明確に拒絶した。

「アム・クラビスは元々、我が同胞が作ったものだ。それを君の祖先が掠め取っただけだというのに、所有権を主張するのは無理があるんじゃないかな?」

 ケイトさんは黄金に輝く剣を受け止めたまま、クリフト王に詰め寄った。

「誰が作ったなど意味はない! 今、余が鍵を手にしている以上、鍵を手放す謂れはない!」

「そうか……残念だよ」

 と、ケイトさんは心の底から無念そうに言った。

「君を含めて、歴代の王と交渉を続けて百五十年、かな? もはや私の忍耐も尽きた。我が全力をもって、それを返してもらうとしよう」

 すうっと目を細めたケイトさんは、わたしにもはっきりと分かる敵意と殺意に全身を染め上げていった。

 さっきまでの穏やかな雰囲気が消え去り、敵に今にも躍りかかりそうな力を身にまとっていく。

「やってみせるがいいわ! やれるのならばな!」

 王の宣言と共に、彼の周囲を固めていた六人の近衛兵が、一斉に飛び掛かった。

「ケイトさん!」

 わたしの叫びは、直後に起きた轟音にかき消された。

 遅れて来た爆風に危うく吹き飛ばされそうになって、わたしは両腕で顔を庇った。

「心配いらないよ。この程度なら問題ない」

 わたしを安心させるように、ケイトさんは優しく語り掛けてくれた。

 爆心地にいる彼女は、無事だった。

 強襲したはずの近衛兵は、彼女の手前、空中で縫い留められていた。

 虚空から生じた無数の漆黒の牙に、全身を貫かれて。

 鋭い牙は、近衛兵が身に着けた赤き鎧をも突き破っていた。

 莫大な魔力により強化された強靭な鎧を、ケイトさんの放った牙の群れは、たやすく撃ち抜いたのだ。

【狼牙】(ルクス・ゴル)……」

 と、アレクは呻くように呟いた。

「あれは、対人戦闘魔法の最高峰――あらゆる鎧も武器も打ち砕く、最強の牙だ」

 その言葉の通り、アルマトーラも、金色に輝く剣も、その牙の前では無力だった。

 近衛兵に突き立てられた牙は、王国最強を誇る彼らの動きを完璧に封じ込めていた。

 体中の刺傷から赤い血を流し、力尽きたように剣を手放した彼らは、ピクリとも動かなくなった。

 血まみれの彼らはもはやこと切れ、消失した牙から解放されても、落下した地面に伏せたきり動かなかった。

「さて、あとは君だけだ」

 と、ケイトさんは王に向かって言った。

「素直に鍵を渡せば、君に安らかな死(・・・・・)を与えると約束しよう。だが、まだ抵抗するというのなら、相応の報いを受けてもらう」

 一歩、また一歩と長身の女性は、一人孤独になった王様へと歩み寄っていく。

 クリフト王はその圧力に押されたようにじりじりと下がり、すぐに壁際へと追い込まれた。

「貴様ら! 何をしているか!」

 王様は、わたしを庇うように立つアレクに向かって叫んだ。

「その身をもって、余を守れ!」

 魂のこもった叫びと共に、王様の瞳が赤く染まった。

 突き出された彼の手から生まれた二本の赤い触手が弾丸のように飛翔し、まっすぐにわたし達へと向かってくる。

「隷従魔法!?」

 わたしがとっさに【防護壁】(ヴァルト)で防ごうとしても、うごめく触手はやすやすとその壁を突き抜けてきた。

「こっちなら!」

 続けて父さんの魔法を起動。

 緑色の膜がわたし達を包み込む。

 わたしを見失ったらしい触手はまっすぐ突き進み、背後の壁に激突。

 だけど……

 アレクを狙った触手の狙いはたがわず、わたしの前に立つ彼の胸に突き刺さり、瞬時に体内へと侵入した。

「さあ戦うのだ! 余のために!」

 赤い目をした王様に命じられたアレクは声もなくひざまずき、あたかも叙任式を受ける騎士のように頭を垂れた。

「アレク! しっかりして!」

 わたしは彼の肩に手をかけて揺さぶった。

「俺、は……」

 アレクは膝をついたまま、口の中で小さく呟いた。

 主の命令に従うつもりなのか、その瞳には力がなく、表情も消え失せてしまっていた。

 近衛兵たちのように。

「あんな魔法に負けないでよ! あなたは、それを跳ね返せるだけの力があるんでしょ!?」

 わたしは彼に戻ってきて欲しくて、懸命に声をかけた。

 その声が届いたのか…… 

「俺……はっ!」


 アレクの体内から溢れる魔力が、跳ね上がった。


 その身体が青い光に包まれ、ゆっくりと人の形へと収斂していく。

 腕には手甲が、頭には兜が、身体には鎧が作り上げられていく。

 やがて蒼い鎧を全身にまとったアレクは立ち上がり、強い意志がこもった瞳を自らの叔父へと向けた。

「どんな手を使われようとも、お前の言いなりにはならない! 俺の生き方は、俺が決める!」

 自分を従わせようとするモノを抑え込んだのか、アレクは明確な意思を持って宣言した。

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