86.王の御座す場所
先端が見えないほど高い尖塔を持つ宮殿は、ほとんど無傷だった。
見える範囲では白い壁や大きな窓には損傷がなく、所々に焼け焦げたような黒い跡があるくらいだった。
「近衛兵が、いないね……?」
精霊様の背から飛び降り、わたし達はあたりを見回した。
王宮を守っているはずの近衛兵団が、どこにもいないのだ。
自らの主と共に逃げたのか、あるいはぜんめ……
「結界は、まだ生きているな」
と、わたしの隣で上空を見上げていたアレクが言った。
嫌な思考を断ち切るような、力を込めた声で。
「王様は、まだこの奥にいるの?」
わたしも自分の考えを振り払いたくて、彼に聞き返した。
王都を包み込む封印結界が健在なら、それを操る王様だってどこかにいるはずだった。
「クリフトの魔力をこの先に感じられるから、あいつがこの中にいるのは間違いない」
【魔力検知】を使って王様の居場所を突き止めたアレクは、自信満々で断言した。
「それじゃ急いで行かないと……ね」
「少なくとも、扉は開かれているようだ」
アレクが見つめる先、風龍様も通れそうなほど大きな扉。
華美な装飾を施された王宮の入口は閂が壊され、内側へと大きく開かれていた。
「お前も一緒に来るか?」
「いや……俺はここであいつらを足止めする」
アレクの提案を断ったジェイクは、大きな庭園の向こう側を見据えていた。
彼の意図はすぐに分かった。
地震のような揺れを伴い、複数の巨人が、ゆっくりと近づいてきていた。
「ここは俺に任せて、お前らは自分の目的を果たせ」
「大丈夫、なの?」
次から次へと現れる巨人は、少なくとも十体はいそうだ。彼一人で……
「当たり前だ。あの程度に負けるかよ」
わたしの心配なんて欠片も気にせず、ジェイクは自信のこもった声で答えた。
「死んじゃイヤだよ。危なくなったら逃げるか、召喚を解くとかするのよ」
「わーったって。分かったから早く行け」
邪魔者を追い払うように、翡翠色の竜の姿をした彼は大きな尻尾を左右に振った。
後ろ髪を引かれながらも、背後を守るジェイクを残して、わたしはアレクと一緒に大きな入口をくぐった。
王宮の中は、静寂が支配していた。
磨き上げられた石の床が真っ直ぐ奥へと続き、左右に配置された大きなガラス窓から、明るい光が投げかけられている。
等間隔に並んだ白い柱には様々な彫刻が彫り込まれ、とても高いアーチ状の天井に描かれた絵画と合わせて、壮大な物語を作り上げている。
部屋の片隅には、過去の偉人をモチーフにした精緻な彫像が配置され、色のない彼らの無数の瞳が、王宮に侵入したわたし達をじっと見つめていた。
天井からは一定間隔でシャンデリアが吊り下げられていて、頭上から降り注ぐたくさんの橙色の灯りも、装飾の一部として訪れる人の目を楽しませてくれていた。
内部は破壊の跡がなく、災厄に覆われた外とは全くの別世界だった。
汚れもゴミもなく、いつ何時、誰が訪れようとも、訪問者を出迎える準備が整っていた。
唯一、おかしなところと言えば……
「やっぱり誰も……いないね?」
とわたしはアレクに聞いた。
そう。
王宮の中には、誰もいないのだ。
異変による犠牲者も、ここに逃げ込んだ人も、元からここにいた人も、王を守っているはずの近衛兵も。
誰一人として、いなかった。
ここだけ他とは切り離されたような、わたし達だけの世界になったかのような錯覚に襲われそうだった。
「とにかく先に進もう。クリフトはまだこの奥にいるはずだ」
アレクに促され、わたし達は広い室内を奥へと進んだ。
静寂の中で鳴り響く足音がやけに大きく聞こえて、嫌な感覚が増していく。
(誰もいないはずがないのに……もっと大勢の人が……)
ここにいたはずなのだ。
ここで働いていたはずなのだ。
王や貴族をかしずく人が、グリミナが、それこそ何百何千といると言われていたのに。
止まらない想像に苦しみながら、わたしが奥へと走っていく途中。
窓の外で、無数の光の柱が立ち上がるのが、見えた。
敵の増援が、現れたのだ。
あれを召喚した者は王都にいる人全てを、排除するつもりなのかもしれない。
グリミナであろうとなかろうと、無差別に。
その惨劇を止めるため、わたし達は無言で王宮の中を駆け巡った。
長い長い通路を抜けて、いくつもの部屋を抜けてやっと。
アレクは、とある扉の前に立ち止まった。
ごくシンプルな鉄扉を押し開けた先には、大きなドーム状の空間が広がっていた。
半球に区切られた空間の中央には透明な水をたたえた泉があり、その中心にある島には。
祭壇があった。
ここは訪れた者が、神様への祈りをささげる場所。
祝福を授かる儀式を初め、神様がもたらしてくれる様々な奇跡が実現する場所だった。
祭壇がある島に渡るための橋がかけられ、天井からの小さな明かりがドーム内を照らしていた。
ほのかな光が降り注ぐ祭壇の向こう側には、大きな女神様の石像が祭られていて、その左右には等間隔で天使の像が置かれていて、祭壇での礼拝者を優しく見つめていた。
厳かで静謐な空間には、それに似つかわしくない一団がいた。
祭壇の向こう側、女神像の足元にいる者達。
銃で武装した複数の男たちと、彼らの中心で守られている男。
それに加えて、祭壇を挟んで彼らに対峙している人物もいた。
とても背が高く、灰色の長衣を着込んだ女性。
誰もが見惚れる美貌と、煌めく長髪を持つ彼女は……
「ケイトさん!」
「おや……? こんなところで会うとはね」
と、彼女はゆるりと振り返り、穏やかな口調で返事をした。




