72.アレクの正体
レンガと切り出された石がアーチ状に固められた下水道は、大人が二人並んで歩けるくらいの広さがあった。
王都の地下には、こういう下水道が網の目のように縦横に走っている。
都市に暮らす人々が出す排泄物や、王都に降り注いだ雨水とかを集めて郊外へと運んでいき、やがて川へと流れていく。
下水道は都市の拡大と共に長く複雑になり、あたかも人体に走る血管のように、大小さまざまな通路が絡み合う迷路と化していた。
炎熱魔法の出力を絞り、【炎の短剣】の先端に生じた小さな炎が、ここでの灯り代わりだった。
揺らめく炎に照らされて、わたし達の影が下水道の壁にぼんやりと浮かび上がっている。
蒼の鎧を解除した彼は、いつもの黒の服と迷彩ズボンの姿に戻っていた。
「近衛兵は来ないね?」
わたしはアレクと共に下流に向かって走りながら、背後を振り返った。
さっき落ちてきた穴は、【氷棺】でふさいであるけど……
近衛兵たちがすぐにでも氷の塊を破壊して追跡してくると思ったのに、背後はシン……と静まり返っていた。
「こういう穢れた場所に、手駒を入れたくないんだろう」
臭いに当てられたらしいアレクは、思いっきり顔をしかめていた。
彼の言う通り、汚水が流れる下水道は臭気がすごかった。
鼻をつくにおいはまあ……臭いとは思ったけど、わたしはなるべく気にしないようにしていた。
誰でも、こういうのを出すのだから。
「もうしばらくは、かかるよな」
「大魔法に焼かれたくなかったら、このまま行くしかないよ」
ため息まじりにぼやくアレクに、わたしは言った。
今さら街道を逃げる気も、スラムに隠れる気もなかった。
地上に出たらすぐ近衛兵に囲まれるだろうし、かといってスラムに身を隠せば、まとめて大魔法の餌食になるだろう。
あの王様が、グリミナを巻き込むかどうかを配慮してくれるとは思えないし、いくら【防護壁】があるとはいえ、スラムに住む人全てを守れるとは思えなかった。
だから、誰も追ってこない地下を進む方が、はるかに安全なのだ。
わたし達は、ほとんど喋らずに進んだ。
必要なことを事務的に話すだけで、王様の言葉の意味を聞くこともなかった。
お互い、そのことには触れないようにして、ここから脱出することを優先していたんだ。
けっこうな時間を歩き続けて、数えきれないほどの角を曲がって。
ようやく、円形に切り取られた外の景色が目に入って、わたし達は二人そろって安堵の息をついた。
アレクが【魔力探知】で誰もいないことを確認して、さらに周囲を見回してから、狭い下水道を抜けると。
星降る夜空に覆われた、大河の風景が広がっていた。
幅の広い川の流れは穏やかで、水面には星空が映り込み、キラキラと瞬くように輝いていた。
緩やかな風が辺りを舞い、草木の揺れる音が耳朶を心地よく叩いていて、王都での喧騒を忘れてしまいそうなくらい、静かな情景が広がっていた。
「やっぱり、誰もいないね?」
「そうだな……待ち伏せされていると思ったんだが……」
「もっと大事な用事でもできたのかな?」
わたし達は二人で顔を見合わせてから、それ以上は考えないようにした。
王様の事情なんて、とても想像なんてできなかったからだ。
わたし達はそろりそろりと少し上流にさかのぼり、沐浴ができそうな川原を見つけた。
周囲には適度な木立もあって、身を隠すには最適だった。
短剣の炎をかざしてみると、川底が見えるくらい水が透き通っていて、綺麗な水にしか棲まない水生生物を見つけたので、アレクに声をかけて。
わたし達は川に入って、服と体の汚れを落とした。
冷たい水が気持ち良くて、わたしは服を着たまましばらく水に浸かっていた。
水の中で服を洗って、ついでに手足の筋肉もほぐしていく。
一人だったら全部脱いでも良かったけど、さすがにアレクも一緒だからそんなことはできなかった……
彼も頭から水をかぶって、人心地ついているみたいだった。
そうして一通り綺麗にしてから川原に上がって、わたしはリュックから黒くて丸い石のようなものを取り出した。
これは燃石と言って、ラクス=ウルの鉱山で取れる可燃性の鉱石をすり潰し、夜光草の油を混ぜて固めたもので、時間をかけてゆっくり燃え続ける石だった。
ダガーの炎を使って火を付ければ、一晩くらいの暖は取れるのだ。
光も音もなく温かな熱だけを放つ燃石に近づき、わたし達は服を乾かして身体を温めた。
それから小さくたたんだ革袋を取り出し、川の水と消毒作用のある乾草を放り込んで混ぜ合わせ、飲料水を確保した。
いつも携帯している堅パンとその水とで、燃石を挟んで向かい合わせに座って、簡単な食事を摂っていると。
「リース」
と、アレクが重い口を開いた。
その声を聞いて、わたしはドキリとした。
(いよいよだ……)
と、思ったのだ。
ようやく、さっきのことを聞かせてもらえる。
「どこから、話すべきかな?」
と、沈痛な面持ちで、アレクは聞いてくる。
「あなたは、誰なの? まずはそこからだと思うよ」
わたしの静かな追及に、彼は一瞬、目を伏せて口ごもり……
しばらくの、沈黙の、後。
決意したかのように、顔を上げた。
「俺の本名は、アレクサンダー・ウェズリー・ゴルドニアと言う」
わたしの耳朶に届いたその名前は、この国の誰もが知る一族の名だった。
ゴルドニア性を持つのは、この国ではほんの数人しかいないんだ。
最も高貴で、最も力を持つ一族。
グリミナであろうとなかろうと、王国の誰もが膝をつき、彼らに忠誠を誓う人達。
「俺は先代王、ジョシュア・ファロン・ゴルドニアの嫡子だ」
わたしをまっすぐ見つめて、アレクは言った。




