71.王国の支配者
「余の元から逃げ出した貴様が、久々に我が庭に姿を見せたのだ。殺してしまう前に、言葉の一つでもかけてもよいであろう?」
蔑むような口ぶりで、近衛兵は言った。
他人を見下すことが当然と思っているような、尊大な口調だった。
(そうだ……)
とわたしは思った。
目の前にいる近衛兵は、意思を持たない人形なのだ。
隷従魔法に囚われた兵隊なのだ。
今は、彼の口を用いて、別の誰かが話している。
王家直属の近衛兵を支配し、操っていられるのは……
この国に、たった一人しかいない。
現在のゴルドニア国王、クリフト・ブラッドメア・ゴルドニア。
ゴルドニア王国の主であり、最も敬うべき人物だった。
「だが、よもや【虜囚】をかばうとは、貴様も堕ちたものよ。王家の一員として恥ずかしくないのか?」
(王家!?)
王の言葉に、思わず声を上げそうになった。
アレクが、王家の……一員??
想像もしてなかった言葉に、心臓が跳ね上がったのを感じた。
「俺を陥れようとした張本人が、まだ俺をお前の同類だと言うのか?」
「貴様の身に流れる血は、決して消せはしない。貴様がどうなろうとも、我が一族の末席にいることは変えられない」
「……ああ。そうかもな」
クリフト王の指摘に、アレクは一瞬、苦しそうに息をついた。
「高貴なる血を受け継ぐ貴様がグリミナに与し、さらには我がしもべに刃を向けるなど、どこまで罪を犯せば気が済むのだ?」
「そうだな。以前の俺なら、お前に歯向かうなんて、考えられなかっただろうな」
歯を食いしばって動揺を抑え込み、アレクは自虐的な口調で同意する。
「だが今は、これが正しい道だと感じられるようになったよ」
「正しい? 正しい、だと?」
予想もしなかったことを聞いたように、王はアレクの言葉を二回も繰り返した。
「罪なき人を断ずるなんて、間違っている。その過ちは誰であろうと、正さなければならない」
わたしを守るように、彼は近衛兵との間に立ちはだかる。
「叛徒に与するのが正義だと、貴様はぬかすのか?」
口調に怒りを交えながらも、近衛兵の表情は変わらない。
彼らは本当に、操られた人形のようだった。
「彼女が一体、何をした? こいつらの殺人を止めただけだろう?」
唾でも吐きそうな表情で、アレクは倒れたままの男たちに視線を落とした。
「そやつが何をしたかは、問題ではない!」
王は高らかに、とんでもないことを宣言した。
「そやつに流れる血が、すでに穢れているのだ! 穢れし者どもは、我が王国から根絶やしにすべきなのだ!」
そのヒステリックな叫びには、狂気が満ちていた。
気でも触れたんじゃないかと思えるほどに。
「そうとも! 排除しなければならぬ! そうしなければ、いつか必ず、余に歯向かうようになる!」
「彼女は、お前には何もしていないよ」
アレクは冷静に言い放ち、わたしの前で身構えた。
「過去にどうしたか、ではない! 余は、未来の話をしておる!」
と、この国で一番偉い人は、とんでもないことを宣言した。
「そんなとち狂った言いがかりを付けられてもな……彼女を傷付けようとする奴は、誰であろうと俺が許さない」
アレクはわたしの前で両足を踏ん張り、戦闘態勢を取った。
「貴様……! 余に歯向かうつもりか!」
「こんな操り人形を使う奴が、何を吠えている? お前はそうやって、王宮の奥で怯えているのがお似合いだ」
「余にそのような口を叩くなど傲慢の極み! 我が力を思い知らせてくれるわ!」
アレクの挑発に反応して、近衛兵の魔力が増大した。
赤い鎧の輝きが増して、放たれる魔力は刃のように研ぎ澄まされて、今にも切り刻まれそうだった。
「お前のその地位は、どうやって手に入れたんだ? 反対派の貴族と手を組み、親父の寝首を掻いただけだろう? そんな奴が、自分の権威を誇るなよ」
「きっ、貴様!」
止めとばかりに放たれたアレクの言葉がきっかけとなって、王は咆哮のような叫びを上げた。
「その穢れた女ともども、殺してくれるわ!」
絶叫かと思えるほどの大声を伴って、近衛兵が一直線に突撃。
「お前だけでも逃げろ。こいつは俺が何とかする」
わたしの正面に立ったアレクは、突き出された金色の刃を蒼の籠手で受け止めた。
押し込もうとする相手を力任せに弾き飛ばして、次いで頭上から降って来た斬撃も片手で阻止。
彼はあくまでこの場にとどまり、わたしを守り切るつもりなんだ。
「ダメよ! それ以上【魔鎧】は使わないで!」
ぶつかり合った巨大な魔力に、吹き飛ばされそうになりながら、わたしは声を張り上げた。
そうだ。
逃げるわけにも、ただ見ているわけにはいかない。
戦えば戦うほどに、アレクの命が少しずつ、確実に削り取られていくのだ。
「背を向けて逃げられるほど甘くはない。こいつの実力は、俺と互角なんだ」
「逃げ道ならあるよ!」
「空でも飛ぶ気か?」
冗談交じりで返してくれたけど、近衛を相手にするアレクには、さすがに余裕がなさそうだった。
「その逆、だよ」
わたしは、地面に開いたクレーターの一つに目を向けた。
大砲があけたそのくぼみから湧き上がる、においが違うことに気付いたんだ。
「次のタイミングで、あそこに来て」
「……分かった」
半信半疑ながらも、アレクはわたしに従ってくれた。
襲い来る赤い残像の斬撃を受け流し、空いた手でマグリット・ライフルを正面へと向ける。
輝く切っ先を向ける敵の目の前に銃口を向けて、引き金を引き絞る。
目を焼くほどに輝く特大の電撃が敵を飲み込み、門の石壁へと叩きつけた。
発砲の反動を利用して、アレクは跳躍。
わたしが示したくぼみの底へと移動する。
同じタイミングでわたしもその半球状の陥没の底に着地して、ヒビの入った地面に【炎の短剣】を突き立てた。
「エクスプロード!」
爆炎魔法、起動。
大地の奥に向けて炎を走らせると、地面の亀裂が放射状に広がっていった。
周囲に広がった炎がわたし達の姿を隠し、近衛兵の追撃を妨げた。
直後。
地面が、抜けた。
クレーターの底が、失われたのだ。
ぽっかりと足元に開いた大穴の中へ。
わたし達は落ちていった。




