67.大門での揉め事
「どうして、返してくれないんですか!?」
と、わたしは大声を上げてしまった。
その日の夕方。
ソニアさんから解放されてすぐ、館を後にしたわたしは、王都を出るために大門まで来ていた。
ゲートには、わたし以外に誰もいない。
この先の宿場町だって閉鎖されるから、今から外に出ようなんて人はいなかった。
退出手続きも一通り終わったのに、【炎の短剣】を受け取る段になって。
目の前の係官が、急に返さないと言い出したのだ。
「これが、貴様の物だと証明されてない」
かぎ鼻の男が、偉そうにふんぞり返って宣言した。
この係官は、朝に会った人とは違う人物だった。
鼻がやたら大きく、鉤のように曲がっている。
吹き出物がいっぱいできている顔はいかにも不健康そうで、身体もソレに合わせるようにでっぷりと太っている。
そいつは、机の上に置かれている短剣を指でコツコツと叩きながら、見下したような目つきでわたしを見ていた。
「レグーラの認証も通ったんです。どうしてそんなに疑うんですか?」
わたしは、左手の甲を指し示した。
文様のパターンが一致して、短剣の封印が解かれたのだ。
これ以上ないほどの証明なのに。
「俺が言っているのはそうではない。この剣には、本来の持ち主がいるんじゃないかってことだ」
(盗品だとでも言うの?)
とわたしは思った。
そんなの、完全な言いがかりだった。
「グウィン様」
かぎ鼻の係官の背後を通り過ぎようとした男性が、言い争うわたし達の間に割って入った。
武骨な顔をしたその人は、朝にわたしの相手をしてくれた男性だった。
「証拠もなしにそのようなことを仰られては……」
「上官の判断に口を挟むな!」
グウィンと呼ばれたかぎ鼻の男は、まっとうな意見を叩き切った。
上官ということは、彼はけっこう上の地位の人間なのだろう。
宿場町の警察といいここといい、ロクでもない奴ばかりが昇進してしまうのは、ゴルドニアの大きな欠点だと思った。
「こいつは、なかなかの業物だ。俺には分かる」
グウィンは鞘から短剣を引き抜き、その刀身をじっくりと鑑賞した。
磨き上げられた鈍色の刃に、欲望に歪んだ男の顔が映っている。
「これは、グリミナには過ぎたものだ。よりふさわしい所有者がいるに違いない。そうだろう?」
彼の目は、わたしが身に着けたペンダントに向けられていた。
隷従魔法を防ぐ力を持つ装飾品は、わたしを守る唯一の盾なのだ。
「わたしがグリミナであろうと、それはわたしの持ち物なんです。返してください」
ここで怒ったらダメ。
それこそ、相手の思うつぼだ。
あいつの目的は、わたしから手を出させて、わたしを守るペンダントを破壊することなのだろう。
そうすれば大手を振って、犯罪者から持ち物を没収できるのだ。
「だから言っているだろう。これが貴様の物であるはずがない」
「そんなの、わたしが手に取れば、分かります」
わたしは手を差し出した。
とにかくダガーを手にできれば、炎熱魔法が起動できる。
武器に類する魔装具は所有者にしか反応しないから、それが証明になるはずだ。
「そんなことは必要ない。審査長たる俺、グウィンが言っているんだ。間違いなどない」
相変わらず偉そうに、かぎ鼻の男は言い放った。
瞬間、わたしは悟った。
こいつは最初から、返すつもりなんてさらさらないのだ。
こうやって、貴重な品物を大勢の人から取り上げ、自分のものにしているのだろう。
「今なら見逃してやる。これを置いて、とっとと出ていけ」
まるでゴミでも遠ざけるように、グウィンは片手を振った。
「分かり……ました」
と、わたしは言った。
うつむいて表情を、胸の奥の感情を悟られないようにして。
そっちがその気なら……
力づくで取り返すだけだ。
そう決意したわたしは、ゆっくりと息を吸い込んだ。
体内の魔力を意識して、全身へと行き渡させる。
身体が、頭が熱くなり、動体視力も、身体能力も増していく。
短剣をじっくりと眺め回す男へ、襲い掛かるタイミングを計る。
グウィンは磨き上げられた刀身に魅了され、わたしを気にもしていない。
これなら……
「グウィン様」
と、後ろの係官が身をかがめて上官の耳元に囁いた。
彼の目つきはとても鋭く、睨みつけるように目を細めていた。
上官の行為を、腹立たしく思っているのかもしれない。
「そろそろ出ませんと。遅れてしまいます」
「ちっ、もうそんな時間か」
舌打ちしたグウィンが目をやったのは、大門から外に出ようとする一団だった。
人数は十人くらいいて、短銃やライフルなど、その手には思い思いの武器を携えていた。
(今だ!)
ダガーから目を離して、彼がそちらを見ていたのは、ほんの一瞬。
そのチャンスを生かそうと、手を伸ばしたわたしに向かって。
短剣が飛来した。
(んなっ!?)
わたしは慌てて手を引き、飛んできたダガーを受け止めた。
とっさに柄を取った手が痺れていて、魔力で目を、腕を強化してなければ、わたしの首が飛んでいたくらいの勢いだった。
「なっ、に!? いつの間に!?」
驚きの声を上げたグウィンを尻目に、わたしはすぐさま短剣の魔鉱石に命じた。
炎熱魔法、起動。
直後、刀身が根元から赤く染まっていき、切っ先まで染め上げるのに時間はかからなかった。
「貴様! 盗ったのか!?」
「人聞きの悪いことを言わないでください。短剣が飛んで来たんです」
わたしはありのままの事実を、正直に話した。
神様に誓って、わたしは何もしていない。
「ノードリー! 何があった!?」
「申し訳ありません。手が滑りました」
怒鳴りつけるように問いかけた上司に、堂々とあり得ない言い訳をする男性も、なかなか肝が据わっていると思う。
グウィンの隣に立っていた彼が身を乗り出して短剣を奪い取り、わたしへと投げつけたのだ。
身体強化をしたわたしでさえ、手の動きが霞んで見えるほどの速度だった。
「こ……の、役立たずが!」
怒りが収まらない上司は、部下の頬を思いっきり殴りつけた。
痛そうな音があたりに響いても、殴られた彼は直立の姿勢を崩さなかった。
「始末書は、本日中に提出いたします」
「そんなもの、いらぬわ!」
生真面目な返事をした男性に、上司はまた怒鳴りつけた。
人の物を盗もうとした自分のことまで書かれたら、たまったものではないだろう。
「返せ! 俺はまだ承認していない!」
叫ぶグウィンが短剣に手を伸ばすのを、わたしはひょいとかわした。
「もう承認は必要ないです。これがわたしの物だって分かったでしょ?」
わたしが剣を翻すと、あらゆる物体を溶かす高熱が周囲に放たれ、グウィンの顔を炙った。
「くっ!」
本来の姿を取り戻し、真っ赤に輝く刀身を見せつけるダガーを目の当りにしたら、グウィンも反論のしようもなかった。
「今回は見逃してやる! だが次はないと思え!」
そう吐き捨てるように言い放つと、男は肩を怒らせて門を出ていった。
先に行った人々を、追いかけていったのだろう。
「ありがとうございます。助かりました。えっと……」
「ノードリー、だ」
と、彼は名乗った。
「礼には及ばない。こちらの不手際だから、むしろ謝罪するのはこちらの方だろう」
「いえ。それでもあなたのおかげで、わたしの短剣を取り返せたんです。本当に、ありがとうございました」
珍しく真面目な役人さんに、わたしは深々と頭を下げた。
「審査長にこの後の用事があったから、たまたま助かったのだ。そうでなければ、彼はそうたやすくは引き下がらなかっただろう」
わたしのお礼を受け入れたノードリーさんが見つめた先には、いそいそと大門を出ていく上司の姿があった。
「あんなに急いでどこに行くんでしょう?」
わたしは何気なく聞いてみた。
「あの人は、門外に用があるんだ」
苦々しそうな表情と共に吐き出された言葉は、同じく苦そうだった。
「これから王都を離れるはずもないし……外で何をするんですか?」
もうじき日が暮れる。
フラムダガーを没収する以上の理由が、門の外にあるのだろうか?
あの手の役人が、明かりも乏しい街道やスラムに用があるとも思えなかった。
「ハンティングを、しに行くんだ」
それは、銃を使って魔獣を刈る競技だった。
倒した魔獣の大きさや数を競い、相手を倒すこと自体を楽しむ人々もいるらしい。
「この辺りに、狩れるような魔獣なんていましたっけ?」
ただ問題は、近衛兵が駐屯する王都の周辺で、ハンティングの対象になる魔獣なんていないってことだった。
人に危害を加えるような危険な生物はあらかた討伐されているし、新たな魔獣が出てきてもすぐに撃破されてしまう。
「違う。刈るのは魔獣じゃない」
「じゃあ、何を狙うんですか?」
忌々しそうなノードリーさんの顔を見て、わたしは聞いてしまったことを後悔した。
聞いちゃいけない質問だったのかもしれない。
しばらくの沈黙の後。
やがて意を決したのか、ノードリーさんは重い口を開いた。
「彼らが狙うのは、人間、だ」




