63.イタズラ好きの治癒術師
父さんの本を手に、最初に出迎えてくれた女性に案内されたのは、リーフグリーンの壁に包まれた、落ち着いた雰囲気の部屋だった。
ここはソニアさんの私室、なのだろうか。
広さはさっきの部屋より二回りほど大きく、別室につながる扉が二つあった。
魔装具による明るい光が降り注ぐ部屋には、天蓋の付いた大きなベッドに、無地のソファに白い石造りのテーブルがあって、庭を見渡せる大窓の近くには別にテーブルセットも置かれていた。
部屋の片隅にはお茶の準備をするための区画が仕切られていて、そこには別の人が待機しているみたいだった。
そして、壁の一面に大きな本棚が備え付けられ、中にはたくさんの本が詰め込まれていた。
部屋の主らしき髪の長い女性が、わたしに背を向けてソファに座っている。
彼女が、ソニアさんなのだろうか?
背後に控えた女性に促され、わたしは背を見せる女性に近づいて。
「こっ、この度はっ、わ、わたしめのためにお時間を取っていただき、本当にありがとうございますっ!」
緊張のため、つっかえつっかえ、わたしはお礼を言って頭を下げた。
返事は、なかった。
ソファに座った女性は振り向くこともなく、ピクリとも動かず、一言も発しなかった。
また、背後の女性に促され、わたしは手が届くくらいまでソニアさんらしき人に近づいた。
「あの……」
と、わたしがまた声をかけようとした時。
ソファに座った女性の頭が。
ぐらりと、後ろに傾いだ。
「いぎいぁぁゃああああぁぁ!」
わたしは喉の奥からの叫びを上げた。
彼女の頭が、首から落ちてきたのだ。
ちょうどわたしが受け止めたそれは、真っ赤に染まっていた。
見開かれた目。
苦しそうに歪む口。
血塗られた首元。
あまりのことに、わたしはその場にへたり込んだ。
そのまま這いずるように後ろに下がって。
背後に立っていた女性の足にぶつかった。
「あ、あのっ、あ、頭がっ。ソニアさんの血がっ」
パニックになって、涙を浮かべてわたわたするわたしを、彼女はじっと見つめている。
狼狽えることもなく、騒ぐこともなく。
なぜ、こんなにも落ち着いていられるのか。
お館様が死んで……
やがて。
わたしを見つめていた、彼女の肩がプルプル震えて。
「ぷっ……ふふっ」
と、吹き出したかと思うと。
お腹を抱えて笑い出した。
「へ?」
と、間の抜けた声を上げたわたしを見て、彼女はさらに笑いを爆発させた。
(な、何? 何なの?)
状況の変化についていけず、わたしは床に座り込んだままオロオロするばかりだった。
そうして、エプロンドレスの女性は、ひとしきり笑い終わった後。
「そっ、それはね」
「これはっ!?」
「に、人形なの」
「へ……?」
ぽかんと口を開けたわたしを見て、彼女はまた笑いの発作に襲われていた。
「今回のっ、ために、人形師にっ、作ってもらったの」
「これが……人形……」
床に転がった頭を拾い上げてみても、とても作り物とは思えなかった。
肌の手触りは人と変わりなく、見開かれた目には眼球まで入っていた。歪んで開いた口の奥には歯も舌もあって、ちょっと触れてみると唾液のようなぬめり気もあった。
「あー、わざわざみんなとお揃いの服を仕立てた甲斐があったわー。こんなに笑ったのは久しぶり」
目元に浮かんだ涙をぬぐいながら、彼女はポケットから取り出した鈴を鳴らした。
すると、別室に控えていたらしい同じ服装の女性たちが、ソファに置かれた人形とわたしが持っていた頭を、部屋の外へと運び出した。
後に残されたのはわたしと、また笑いそうになっている美女の二人だけ。
「じ、じゃああなたが……?」
「そう。わたしがソニア・アークライトよ。よろしくね、リースちゃん」
ブルネット髪の美女……この屋敷のお館様は腰を抜かしたわたしに向かって、にっこりと微笑んだ。
「あなたのことは、アレックスから聞いてるわ」
まだ立てないわたしと目線を合わせるように、ソニアさんは床に膝をつき、砕けた口調で言ってきた。
(そう言えば……)
わたしは、あのヘクターもアレクのことを同じように呼んでいたことを思い出した。
きっと彼の本名がアレクサンダーだから、「アレックス」と呼ばれているのだろう。
「あなたは、治癒術師を目指しているんだって?」
「あ! はいっ! そうなんです! アークライト様!」
「ソニア、でいいわ。あなたはお客様なんだから」
「あ、でもっ、アークライト様」
「ソニア」
「……分かりました。ソニア様」
「最初、だものね。それでよしとしましょうか」
ちょっと怯えながら呟くように名前を言ったわたしに、ソニアさんはずいっと顔を近づけてきた。
「あ、あのっ、何か……?」
間近にいる美女からは、とてもいい香りがした。
香水とはちょっと違う。
もっと動物的な、それでいて心地い香り。
「私は、頑張っている子が大好きなの。応援したくなっちゃう」
そう言いつつ、彼女はワタワタするわたしへさらに近づいてくる。
右手を伸ばして首筋に触れ、愛でるように優しく、細い指先で撫でていく。
ソニアさんは、女のわたしでも惚れ惚れするほどの美人だった。
整った顔立ちは非の打ちどころがなく、お化粧をしていなくても、こんなにもきれいな人がいるのだとわたしは初めて知った。
長いブルネットの髪がわたしの手元に垂れ下がり、吸い付くような手触りを伝えてくる。
「ほんの少し、そのままでいてね」
彼女に耳元でささやかれ、甘いその声に背筋が震える。
五感で感じる彼女の全てが、わたしから思考を奪っていく。
「あっ」
と小さな悲鳴を上げて、わたしは目を見開いた。
首筋に、ソニアさんの唇が触れたのだ。
あまりのことに動けなくて、されるままになってしまう。
柔らかな感触のするところから、何かが吸い上げられていく。
それが吸われるにつれて、全身から力が、抜けていく。
頭がボーっとして、何かしようという気にもなれなかった。
「ああぁ、いいわぁ……若い女の子の生気って美味しい」
ようやくわたしから離れたソニアさんは、頬を赤く染めていた。
「特に、あなたのは味も純度も最高ね」
恍惚とした顔で頬を撫でられ、わたしまで真っ赤になりそうだった。
「あ、あのっ、何をっ」
ハッとなって正気に戻ったわたしは、自分の首元を手で押さえた。
吸い付かれた首筋には痛みもなく、血も出ていなかった。
「大丈夫よ。ちょっと味見しただけだから」
「あ、じみ?」
わたしは、目をパチクリさせた。
ソニアさんの言っている意味が理解できていくにつれて、だんだん怖くなってきた。
「それじゃわたしの、この格好は……?」
「もちろん、アレックスの依頼を果たすために必要なことよ」
「そう、なんですか?」
「可愛い女の子がきれいに着飾っているのを見ると、わたしのやる気が上がって作業の効率も高まるの。仕事を進める上では、とても意味のあることでしょう?」
と説明する女性の、目つきが……
飢えた獣のように見えてしまった。
(どうして、だろう?)
褒められているはずなのに、全然嬉しくなかった。
なんて言うか……
食べられるために調理されてる獲物になった気が、したのだった。




