62.面会の準備
王都の北東部、大きな邸宅が集まった地区の一角に、ソニアさんの館はあった。
「ようこそお越しくださいました。クロムウェル様」
自分の来訪を門番の人に告げてすぐ、大きな金属製の門が内側に開き、その向こうに立っていた一人の女性が、とても恭しい態度で出迎えてくれた。
いかにも仕事ができる女性という雰囲気の彼女は、ソニアさんの使用人……なのかな?
艶やかなブルネットの髪をお下げにした彼女は、わたしより少し年上に見えた。目鼻立ちがくっきりした顔立ちは、お化粧してなくても素晴らしく整っていた。
裾の長い、黒地に白のエプロンドレスに包まれた肢体は、わたしとは違って出るところは出ていて、手足やウェストのあたりはびっくりするほど細かった。
「こちらへどうぞ」
と、彼女に手を貸してもらって、わたしは門のそばに用意されていた大型の馬車に乗り込んだ。
ここの敷地があまりにも広すぎるから、歩いては移動できないのだそうだ。
アレクのカルプトは、入れてもらえなかった。
「人の会話に聞き耳を立てるのは、あまりいい趣味とは言えませんから」
と言う彼女が、決して許してくれなかったのだ。
だからわたし一人で、ソニアさんに会うことになっていた。
端が見渡せないほど広大な庭の中を、彼女とわたしを乗せた馬車がゆっくりと移動していく。
わたしはぼんやりと、窓の外の景色を眺めていた。
目の前に座る美女に静かにじっと見られてるので、何となく落ち着かなくて、外を見ているしかなかったのだ。
それに、たくさんの花で彩られた庭園は、しゃがんで作業をしている庭師たちの手によって完璧に整備されてるようで、美しい花々が移ろうのをいくらでも見ていられそうだった。
左右に視線を転じると、庭園内にはいくつもの館が、それぞれ趣向が異なる様式により建てられているのが見て取れた。
「お館様のご気分で、どこで過ごすのかを変えていただけるようにしています」
と、向かいに座る彼女が教えてくれた。
(ソニアさんってすごいよねぇ)
と、わたしは思った。
彼女が手掛ける研究により、ゴルドニア王国の魔法学は大きく向上している。
魔装具に仕込む魔法式だって、彼女が開発したものが多数使われている。
特に治癒系の魔法式が得意で、エイミーさんが使っている治療用の魔装具だって、ソニアさんがベースとなる式を作ったのだそうだ。
その対価として王国から多額の報酬をもらっているから、これくらいの屋敷を手に入れられて、維持するための人を大勢雇えるのだろう。
(わたしも祝福を授かっていたら、こんな風になれたのかな?)
考えても仕方のないことを、つい思い浮かべてしまう。
十五才の時、ソニアさんは祝福を授かり、わたしは授かれなかった。
彼女は自身の魔力を用いて、自分の思い描く魔法をあっさり実現してしまう。
その結果をもとに式を修正し、それを繰り返すことで魔法の知識を高めて、大勢の人を助けている。
初級魔法を使うだけで倒れそうになるわたしとは、雲泥の差だった。
そうして取り留めのないことを考えつつ、馬車に揺られていたわたしが通されたのは。
敷地の中央に建つ、部屋が何十個もある三階建ての館だった。
その巨大な邸宅は、外壁も内装も完璧に磨き上げられていた。
館のホールと廊下は様々な絵画や美術品で飾られ、なんだか別世界に来たような気分になった。
自分よりも大きな透明ガラスなんて初めて見たし、華美な刺繍が施されたじゅうたんにせよ、凝った意匠の花瓶の一つにせよ、わたしなんかじゃ買えそうにないものばかりだった。
「お館様は昼食後に、お会いになられます」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」
館に入ってやっとこれからの予定を告げられて、わたしはこの場に似つかわしくない大声をあげてしまった。
約束の日よりもかなり早く着いちゃったから、その日までしばらく待つことを覚悟していた。
「それでは、お部屋にご案内いたします」
と、先に立って歩く女性の手を、わたしはじっと見つめた。
彼女の両手首は、きれいなものだった。
お手入れが行き届いた両手には、隷従の証たる痣がどこにもなかった。
彼女だけではなかった。
これまで見かけた何人ものメイドさんの全員に、痣がないのだ。
彼女たちはみんな、ここの主に支配されているのではなく、自分の意思で働いているのだろう。
(でも……)
とわたしは思った。
(どうして、女の人しかいないんだろ?)
外で庭の手入れをしている人も、この館で働く人も、門番の人でさえ、男の人は一人も見かけなかった。
(きっと、たまたまだよね……)
と思うことにした。
こんなに広いお屋敷の全てを見たわけじゃないし、偶然見かけなかっただけなのだろう。
「こちらになります」
と案内された部屋は、わたしの家よりも広いくらいだった。
ふかふかのベッドにソファとテーブルのセット、大きな窓に精緻な模様があしらわれたカーテン、落ち着いた色合いのドアは、どれも芸術品のような作りをしていた。
天井は神話の一説らしき絵が描かれ、壁には風景の絵まで飾られ、どこに目をやっても圧倒されてしまう。
「こちらのお召し物にお着換えください」
と受け取った淡い紫のドレスも、やっぱり高そうだった。
それから、ソニアさんとの面会までは少し時間があるので、わたしの身なりを整えることになった。
屋内に設けられた浴室での湯浴みなんて、生まれて初めての経験だった。
温かいお湯につかっていると、気持ちよすぎて身体が溶け落ちるんじゃないかと思った。
わたしが入浴するのを当然のように手伝おうとする彼女を頑としてお断りして、いい香りのする石鹸を使わせてもらって体をきれいにした。
心ゆくまで温かいお湯を堪能してから、ふわふわの布で身体をぬぐい、滑らかな手触りの白い下着と、宝石がちりばめられたドレスに袖を通す。
その途中で、お世話のために浴室のすぐ外で待機していた別のメイドさん四人に捕まっちゃって、コルセットをぎゅうぎゅう絞められてドレスの崩れを直され、時間をかけて髪をとかされ、顔中にいろいろ塗りたくられ、髪や手首や首元にアクセサリーまで付けられた。
「あの……わたしの着てきた服は?」
いつもの服がいつの間にか消えていたので、わたしは髪をいじられながら聞いてみた。
高そうな服を貰うわけにはいかないし、こんなに足元が涼しい格好では旅もできない。
「実は、ただいまお洗濯中でして……」
とても言いづらそうに、メイドさんの一人が言ってきた。
「別に、洗ってもらわなくても大丈夫ですよ?」
「その、大変……申し上げにくいのですが」
と言いつつ、彼女が鼻を押さえたので。
(そんなに臭かったかなぁ……)
わたしはちょっぴりショックを受けた。
出歩く時は毎日同じ服だから仕方ないにしても、まめに洗ってはいるのに……
「夕方にはお返しできるかと存じます」
気を取り直してお仕事の顔に戻ったメイドさんに告げられては、諦めるしかなかった。
どこかのパーティに出席しそうないで立ちで、ソニアさんに会うしかない。
お昼近くまでかかってあれこれ準備をしたあと、柔らかなパンと温かなスープと、温野菜が添えられたメインの魚料理で構成されたランチをごちそうになった。
ブルネット髪の彼女に給仕してもらいながら、高価なお洋服を汚さないよう慎重に、パンくずさえも残さないようたんまりと、わたしは美味しい昼食を平らげた。
最後に砂糖をいっぱい使った甘いお菓子までいただいてから、いよいよ。
ソニアさんとの面会を迎えた。




