58.噂
王都に入る手続きは、思いの外すぐに終わった。
最初に見せたソニアさんの招待状が、大きな威力を発揮したのだ。
そこに書かれたソニア・アークライトの名を見て、気難しそうな顔つきをした壮年の係官は目を見開き、わたしの顔と招待状とを何度も見比べていた。
そして、わたしの名前だけを確認すると、あっさり許可をくれた。
以前、他の用事で王都に来たときは、出身地や滞在期間、滞在目的、滞在場所、滞在中に立ち寄る場所、会う人の人数と全ての名前、所持金、売買予定の品目とか、ありとあらゆる情報を吸い上げられた。
わたしがその情報にあること以外の行動を取ろうとすると、通報されたり逮捕されたりということまであり得るのだ。
今回はそういう聞き取りもなくて、ソニアさんの持つ権限の強さを認識した。
「その武器は、預からせてもらうぞ」
係官が節くれだったゴツい指で示したのは、腰の鞘に差していた【炎の短剣】だった。
当たり前だけど、王都への武器の持ち込みはダメなのだ。
「はい。分かってます」
そう言ったわたしが鞘に差したままの短剣を机の上に置くと、係官は小さな機械式のペンを取り出した。
彼は細いペンを使って、鞘と短剣の柄にサラサラと何かを書いていく。
様々な文字と記号と数字の組み合わせが、赤いインクで書き上げられると。
その羅列がぐにゃりと歪み、一つの文様を浮かび上がらせた。
わたしは浮かび上がった模様に左手の甲を当てて、しばし待つ。
それからゆっくりと手を離すと、そのデザインが手の甲に転写されていた。
このペンとインクは魔装具レグーラと言って、ある品物が誰の持ち物なのかを記録するものだった。
王都を出る時にこのデザインを突き合わせ、【炎の短剣】がわたしのものであるということを証明するのだ。
「すまないな」
と、気真面目そうな係官は、申し訳なさそうに言った。
「アークライト様の招待状を持つ君にまで、こんな手間をかけさせてしまって」
「いえいえー。これもお仕事ですもんね」
「そう言ってもらえると助かる」
なるべく愛想よくなるようにわたしが返事をすると、彼は相貌を崩した。
眉間のしわが緩むと、その係官はわりと柔和な顔立ちをしていた。
「正体不明の魔獣が現れたという噂で今日は持ち切りですから、警戒するのは当然だと思います」
「……それだけでは、ないんだ」
「ふえっ」
声を潜めた係官の話に、わたしは乗っかってみた。
彼が話したくてたまらないなら、ぜひ聞かせて欲しかった。
「ここだけの話だが、今の王政をひっくり返そうと考えている連中の活動が、最近になって活発になってきているらしい」
「そんな人たちがいるんですか?」
「そうだ。軍の魔装具や魔鉱石が盗まれたり、軍の士官が誘拐されたり、ということがここのところ発生している」
「まさか……」
わたしはゴクリと唾を飲み込んだ。
軍の基地の警備を突破したり、高度に訓練された軍人を拉致したりするなんて、普通なら考えられないことだった。
「しかも、先日は警察幹部の一人が洗脳されて、機密を持ち出そうとしたとか……そういう事件が続いているから、警備が厳重になっているのだ」
「怖いです。ゴルドニアの人がそんなことをするなんて」
「他国の連中が絡んでいるって話だが、詳しいことはまだ捜査中だ」
係官が饒舌に話してくれた内容は、ここまでだった。
「そういうわけだから、君も気を付けた方がいい。重要人物の関係者は狙われやすい」
「はい。そうします」
彼の真摯な忠告を、わたしは素直に受け取った。
「よし、行っていいぞ! 次の者!」
係官はわざとらしく大声を出して後ろの人を呼ぶと同時に、わたしを通してくれた。
【防護の指輪】には、気付かなかったらしい。
見た目は宝飾もないシンプルな指輪で、その手の探査魔法も無力化するから、これまで探知されたこともなかった。
そもそも預ける気もなかったから、わざわざ自分から言うつもりもなかった。
わたしはほっとしながら、大門を抜けた。
それにしても。
魔鉱石と魔装具を有するゴルドニア王国は、隣国の自由都市同盟と並ぶ大陸東方の大国だ。
ゴルドニア軍は建国以来、他国との戦争では不敗なのだ。
大きな軍事力を背景とした交渉でも、周辺国から様々な譲歩を引き出している。
その頂点に立つ王家の転覆なんて、そんなことが可能なのだろうか?
一介の臣民に過ぎないわたしが考えても、仕方のないことだけど……
やっぱり気になる。




