51.守るべき人々
町で一番大きな館。
通りの角を曲がって路地を抜けて、館の前に広がる庭まで辿り着くと。
「ぬあっはっはあ!」
という高笑いが響き渡った。
「この程度で我輩を倒そうなど! 片腹痛いわ!」
「な、なに!? なんなの!?」
その大声の主は。
館の庭で、複数の化け物と戦う金髪の男性、だった。
その男性はダリルさんと肩を並べるくらいの偉丈夫で、薄い袖なしの白いシャツと紺色のズボンを身に着けていた。
パッツンの金髪の下は、鋼鉄の精神を具現化したような厳つい顔立ち。
わたしよりかなり年上の彼の身体は、盛り上がった筋肉がこれでもかというくらいの自己主張をしていた。
そして何より。
「危ない!」
叫んだわたしは、彼に側面から飛び掛かろうとしていた四足の魔獣を切り捨てた。
手が痺れるほどの手ごたえを伴って、一つ目の首が宙を舞い、頭を失った紫色の身体が吹っ飛ぶ。
「なんで素手で戦ってるのよ! 剣とか銃とか使いなさいよ!」
金髪のおじさんは、何の武器も持っていなかった。
軍人であればマグリット・ライフル、警官であれば短身銃剣を持っているのが当たり前なのに。
「なんの! 鍛え上げた鋼の肉体さえあれば、このような怪異になど負けぬ!」
飛び掛かってきた魔獣の一体を、おじさんは振り下ろした手刀で迎撃。
単眼の頭にめり込んだ彼の手は、魔獣の頭をそのまま真っ二つに両断した。
「うそ……」
わたしは目が点になって、戦闘中にもかかわらず動きを止めてしまった。
魔獣の皮膚は下手な金属よりも硬く、【炎の短剣】でも重たい手ごたえがあって、刀身の心配をしなきゃならないのだ。
徒手空拳で戦い、相手を素手で叩き切るなんて、あまりにも非常識だった。
おじさんは頭を失った敵を蹴り飛ばし、館の玄関の前で仁王立ちになった。
決して通さないという意志を示し、次第に数を増す魔獣を睨みつけていた。
魔獣たちは、やみくもに襲ってこなくなった。
わたし達から距離を取り、館全体を取り囲んでいく。
二体が一瞬で倒されたから、他の仲間が集まるのを待っているのか……
あんな単眼の獣なんて、見たことがなかった。
全身の体毛が無く、紫色の皮膚がむき出しになっている。体高がわたしの胸ほどもあり、体長はさらに大きかった。
太い四肢に力を込め、大きな単眼でわたし達の隙を見定めて、飛び掛かるタイミングを計っているようだった。
馬のように突き出た顔には鼻がなく、大きく開いた口には長い牙がずらりと並び、長い舌の先からよだれが垂れ下がっている。
ぽたぽたと滴る唾液が地面に落ちると、白い靄のような煙が上がり、整備された緑の芝生が、瞬く間に腐り溶けていた。
わたしは無理に包囲を崩そうとせず、おじさんのそばに駆け寄った。
ここにどのくらいの人が逃げ込んだのかとか、色々聞きたかったのだ。
そして、彼に近づいて初めて気付いた。
「怪我してるじゃない! 下がりなさいよ!」
白いシャツの右のわき腹から下が、鮮血で真っ赤に染まっていた。
治癒術師でなくとも、ひと目でわかるほどの重傷だった。
「撤退など、あり得ぬ!」
おじさんは拳を握り締め、高らかに宣言した。
「国家臣民のためにこの身を捧げた者として、譲れぬものがある! 守るべきものがある限り、我輩は決して退かぬ!」
自らの矜持を熱く語るおじさんは、あふれる闘志に瞳を爛々と輝かせていた。
戦わずに逃亡した警官たちは、ある意味ゴルドニアの象徴だった。
自分たちのこと最優先にして、どうすれば上手く立ち回れるか、自分の利益となるかをいつも考えている。
苦しんでいる人なんてそっちのけという役人だらけの中で、こういうことを言う人がいたんだと、わたしはついつい感心してしまった。
「力なき住民達にとって、ここが最後の砦なのだ! たとえこの身が朽ち果てようとも、必ずや守り通してみせる!」
「分かったよ。それじゃ……」
わたしはおじさんの隣に立って、深紅の短剣を構える。
「最後まで手伝うよ。わたしも戦えるから」
「おぬしこそ下がれ! こやつらは冒険者ごときがどうこうできる相手では……」
カッと目を見開き、わたしを後ろへ庇おうとしたおじさんの横合いから。
魔獣の一体が、飛び掛かって来た。
「どいて!」
わたしはおじさんを押しのけて大きく踏み込み、跳躍する敵めがけて深紅の刃を突き出す。
頭をかみ砕こうと大きく開いた口に、赤熱した剣先を突っ込む。
伸ばした切っ先が頭を、胴を貫き、魔獣の身体を上下二つに両断した。
「ねっ。どうこうできたでしょ?」
「ぬぅ……」
ふふんと鼻を鳴らしたわたしに、おじさんは言葉もなかった。
「それにわたしは冒険者じゃないよ。れっきとした回復術師……」
「また来るぞ!」
おじさんの警告にも、わたしは動じなかった。
(大丈夫)
と思ったのだ。
視界の端に、彼の姿が映ったから。
前に出たわたしへと一斉に群がって来た魔獣の一団が。
一瞬にして、細切れにされた。
「むうっ。これは……」
「ねっ、ねっ? どう? すごいでしょ?」
感嘆の声を零すおじさんに、わたしはつい自慢してしまった。
彼の放つ【風刃】は、抜群の威力を誇っていた。
「護衛を置き去りにして突撃するなよ。頼むから……」
肩で息をしているアレクが、マグリット・ライフルを手に、庭の外に立っていた。




