5.逃げる患者の捕らえ方
わたしは、少し離れたところにできた土の塊の方へと向かった。
腰くらいの高さの山。
わたしはそのてっぺんまで登ると、両手で苦労して掘り起こして。
中に埋まっていた、アレクの身体を引っ張り出した。
戦っていた土の精霊の手が崩れ落ちて、大量の土が覆いかぶさって来たらしいのだ。
「ケガは……ないよね?」
「げほっ! あ、ああ……なんとかな」
アレクはむせて口の中にまで入り込んだ土を吐き捨て、服や身体に着いた土を払いながらやっとの思いで立ち上がった。
「お前……強いな……」
彼は少し悔しそうに、それでも感心したように言ってくれた。
「まーねー。一応訓練は受けているし、これくらいは……だよ」
と、わたしは軽い調子で返した。
それに、ジェイクは明らかに手加減していた。
【雷蛇】も一本しか展開してないし、【氷棺】の侵食速度も遅かった気がした。
怪我をさせたくないと思ってくれたのか、顔見知りを攻撃するのにためらいがあったのかもしれない。
(……あまり深く考えないでおこうっと)
あいつの優しさなんて考えるのもヤだし、無事に撃退できたのだから良しとしておけばいいかな。
治癒術師としては、これから先も患者の治療ができれば十分な、の……
「って、どこ行くのよ!?」
わたしはそう叫んで、ちょっとずつ距離を取ろうとしていたアレクの腕を取った。
氷にように冷たく、石のように白く染まった腕を。
今、確実に、間違いなく、わたしの前から逃げようとしてたよね!?
「俺はいろいろ理由あって追われているんだ。そんな奴に関わると、ロクなことはないぞ」
引き留めるわたしを冷静に見下ろし、アレクは肩をすくめて見せた。
「それは……分かってるよ」
と、わたしは言った。
ジェイクが出てきた時、アレクは明らかに動揺していた。
自分を捕まえに来た誰か、だと思ったのかもしれない。
「なら話は早い。その手を放してくれないか」
「でもっ、まだ治療が終わってないのに!」
わたしは、腕にかけた手に力を込めて、彼を引き留めた。
さっきの魔法は、応急処置に過ぎない。
病気を完治させるには、父さんの治癒魔法を改良して、完成させないといけないのだ。
「治療なんかいらない。ラングロワ病にかかっていても生きてはいける」
アレクは身体ごと自分の腕を振り、わたしの手を振り解いた。
その真っ白な左腕は、彼の意思から切り離されていた。
肘も手首も指も動かせなくて、石像のように白く固まっている。
こんな状態の患者がどこかに行くなんて、わたしは絶対に許せなかった。
「ふざけたことを言わないで! 何も持たずに生きていけると思ってるの!?」
食料も水もなくて、何日生きられると思っているのか。
アレクは、街や村には入れない。
この病気にかかった人を受け入れてくれるところなんて、わたしの村くらいなのだ。
どこか他所に行っても、呪いを広めないよう石を投げられて追い出されるのが関の山だ。
「死んだらそれまでだ。人間は必ず死ぬし、それがいつかなんて大した問題じゃない」
と、彼は投げやりに言った。
達観したような、全てを諦めたような、乾いた声だった。
「そんなの嘘だよ!!」
と、わたしが大声を上げると、アレクの肩がピクリと震えた、気がした。
「なぜ、わかる?」
やっとわたしの目を見た彼は、眉を吊り上げて炎のような瞳で睨みつけてきた。
でも……
その態度は、虚勢にしか見えなかった。
瞳の奥では、ひどく怯えているように見えたのだ。
怖がっているのを隠したくて、怒りの炎を燃やしているにすぎない。
あの子も、そうだった。
必死に吠えて噛みつくのは、怖いからなのだ。
ほんとは助けてほしいのに、他人に怯えているから、他人が恐ろしいから、懸命にやせ我慢しているんだ。
「死んでもいいと思っているなら、どうしてわたしの魔法を受け入れたの?」
「これは、お前が勝手に……」
「違うよ。そうじゃなくて」
と、わたしは首を振って、アレクの反論を封じた。
「ラングロワ病じゃなくて、あなたの首の怪我を治した【再生】の方、だよ」
首の出血は、浅くても致命傷になりかねない。
頭を巡る血が少しでも減れば、あっという間に気を失い、そのまま死んでしまうこともある。
だからわたしも、すぐに治そうと思ったのだ。
「いつ死んでも良かったなら、首の怪我なんて放置して、わたしの前から逃げたらよかったんだよ。なのになぜ、怪我を治してもらおうと思ったの?」
わたしの問いに対するアレクの答えは。
沈黙、だった。
彼は顔をしかめて、とても痛そうな顔をしていた。
「あなたは死にたくなくて、誰かに捕まりたくなくて、ここまで逃げてきたんじゃないの?」
「それはっ……」
とっさに反論しかけて、彼はまた口をつぐんだ。
重い、沈黙が続いた。
アレクは苦しそうに呻くような顔をして、口を閉ざしていた。
「もしそうなら、わたしに頼りなさい。わたしはあなたを治せるし、安全な水と食べ物も、安心して寝る場所も用意できるよ。それに、さっきみたいに戦うこともできるの」
彼が決断しやすいように、わたしは自分が差し出せるものを示した。
「それでも、どうしてもアレクがどこかに行きたいと言うなら、病気が治ってからにすればいいんじゃない? そしたらどこにでも、好きなところに行けばいいと思うよ」
そこまで言って、わたしは彼の左手を取った。
両手でその手を包むと、氷のように冷たい感触がわたしの身体に流れてきた。
「だから、お願い……その病気が治るまででいいから、わたしの言うことを聞いてもらえないかな?」
その氷を、凍り付いた彼の心を溶かしたくて、わたしは自分の思いをぶつけた。
つないだ彼の手を通じて、わたしの思いが流れ込んでくれるよう、強く願った。
わたし達は、長い間、見つめ合っていた。
どちらも口を開かず、静かな時間が過ぎていった。
わたしは彼の返事を、辛抱強く待った。
こういう時は、無理やり言うことを聞かせようとしても無駄なのだ。
彼の方から歩み寄ってもらわないと、治療も何もできない。
やがて。
根負けしたらしい彼は。
「助けて……欲しい……」
と、消え入りそうな声で言ってくれた。
「このリース様に任せなさいっ」
彼の返事を聞いて、わたしは飛び上がりそうなくらい嬉しかった。
思わず頬が緩みそうになったけど、それは完璧に隠せたと思う。
治癒術師は、ポーカーフェイスも大事、なのだ。
わたしが浮かれてたら、患者さんに不安を与えてしまう。
常に冷静に、自信を持って、治療に当たらないとねっ。