48.来訪者
とても背の高い女性が、村にやって来た。
いきなり村の中に現れたと思えるほど、突然に。
彼女は見上げるほどに背の高く、とても目立つ人だった。
なのに、村の誰も彼女に話しかけず、彼女の来訪を告げる人もなく、彼女の周りでは、いつもと変わらない日常が繰り広げられていた。
その女性は、とても困っているように見えた。
所在なげにあっちへ行ったりこっちに戻ったりして、時折腰を曲げて家の窓を覗き込んでは、また別の場所へと歩いていく。
何かを、誰かを探しているようにも思えるから、近くにいる人に話しかければいいのに、彼女はそうしないのだ。
「こんにちはっ」
と、見かねたわたしが彼女に声をかけると。
その女性は、ぎょっとしたように目を見開いた。
彼女はダリルさんよりもずっと背が高くて、わたしの背丈だと、彼女のお腹辺りに頭がある感じだった。
「この村に、何か御用ですか?」
「君は……私が……」
と、彼女は小声でつぶやくと、声をかけたわたしと視線を合わせるように、膝をついて少しかがんでくれた。
その女性は、すっごくきれいな人だった。
腰まである灰色の長い髪は、日差しを受けてキラキラと輝いていた。
宝石のような青い瞳と透き通るような白い肌に彩られた顔立ちは、誰もが引き込まれそうなほど魅力的で……
わたしも、そのうちの一人だった。
ローブのような灰色の旅装束に隠された手足はすらっと長く、高い背丈とバランスが取れた体つきをしていた。
それになんて言うか……背後から強い後光が差しているような感じがして、眩しさのあまり目がくらみそうだった。
「ここに、ディアン・クロムウェルという男が住んでいると思ったのだが、君は知らないかな?」
彼女は、とても優しい声で問いかけてきた。
柔らかな彼女の声は脳みそが溶け落ちそうなほど心地よくて、完璧な発音はリズムよく耳の奥を刺激する。
鼓膜に残る声の残滓に背筋が震えて、いつまでも味わっていたくなる。
わたしが男だったらきっと、彼女に全てを捧げようと決意しただろう。
「私はディアンの親族で、名をケイトという。今日は彼に会いに来たんだ」
「わたっ、わたしっ、ディアンの娘のっ、リース、ですっ」
しばらくボーっと見上げた後で、ようやく我に返ったわたしは、つっかえながらそう言った。
「そうか、君が……」
少し驚いた様子のケイトさんは、わたしの顔をじっと見つめた。
彼女の視線を真正面から受け止めて、わたしはやっと気付いた。
ケイトさんはどことなく、父さんと雰囲気が似ている気がする。
髪の色とか目の色とか、顔つきとか全身にまとう優しい雰囲気とか。
父さんはわたしと変わらないほど小柄で、眩しいというほどカッコ良くはなかったけれど……
親戚って言ってたから、いとことかはとことか、そういう関係なのだろうか?
「それで、ディアンはどこにいるのだろう? 仕事でもしているのかな?」
あたりを見回しながら、ケイトさんは聞いてきた。
彼女は、父さんが他界したことは知らないのだろうか……?
「実は、六年前に……父は……」
わたしが控えめにその事実を告げると、ケイトさんは落雷を受けたみたいに硬直した。
「そんな……ディアンは、もう……」
手を握り締めて顔を伏せて、彼女はそれ以上を口にできなかった。
肩を震わすケイトさんは酷く悲しそうで、受けたショックの大きさを物語っていた。
「……彼の眠る場所に、案内してくれないだろうか?」
長い長い沈黙の後、ようやく彼女はそう頼んできた。
「もちろんです。きっと、父も喜んでくれると思います」
わたしは彼女の先に立って、集落から少し離れたところにある共同墓地へと案内した。
立ち並ぶ墓石の中に、父さんの名前が刻まれたシンプルな墓標がある。
その前には、真新しい花束が供えられていた。
父さんのお墓には、わたしだけじゃなくて、村の人もこうして訪れてくれる。
魔法学者だった父さんは、この村に来てからは教師のような立場になった。
わたしだけじゃなく、村の子供たちに勉強を教えてくれて、けっこうな人気者だったと思う。
父さんの授業はとても面白くて分かりやすく、子供だけじゃなく大人まで聞きに来るくらいだったのだ。
「遅れて……すまなかった……」
と、墓標に話しかけたケイトさんはその前に片膝をつき、両手を不思議な形に組んで、静かに祈りを捧げ始めた。
聞き取れないほどの小声で、祈りの言葉らしきことを呟く彼女の背中は、とても悲しそうで、寂しそうだった。
わたしはどうしようもなく、彼女に何かをしてあげたかった。
村のみんながわたしにしてくれたように、わたしがケイトさんの助けになりたかった。
でも……
何をすればいいのかが分からなかった。
父さんへの長い祈りを済ませたケイトさんに、かける言葉さえ思いつかなかったのだ。
「ディアンは……」
と、彼女の方から口を開いた。
「君にとって、いい父親だったと思う。彼は優しく、愛情に満ち溢れた男だった」
「はい。その通りです。父はかけがえのない存在でした」
ケイトさんの言葉に、わたしは間髪入れずに同意した。
「私も、彼にどれだけ救われたか分からない。なのに……忙しさにかまけて、ここしばらくは連絡も取り合ってなかった。それが、まさかこんなことに……」
ケイトさんの声は、ひどく沈んでいた。
父さんと彼女とは、きっと仲良しだったんだろうと思った。
失ったものが大きすぎて、あまりにも悲しすぎて、現実を受け止め切れないのだ。
「あ、あのっ」
打ちひしがれて、泣きそうな顔をした彼女に、わたしは声をかけた。
このままでは悲しみのあまり、ケイトさんが死んでしまいそうに思えて、何か話さなければという思いに駆られていたのだ。
何を言うべきかも思いつかないままの、とっさの行動だった。
わたしは必死になって頭をひねって、次の言葉を絞り出す。
そして……
「母に、会ってもらえませんか?」
「ローラに……私が……?」
ケイトさんは、その名前を知っていた。
わたしは、彼女に母さんの状況を説明した。
何度も父さんの治癒魔法を重ねがけしているからか、ここ最近は調子がよくて、うっすらと目を開けたり、手を握り返してくれたりもするのだ。
「母はまだ話せませんけど、ケイトさんのお話を聞いてくれると思うんです。それに、父の親戚の方なら、母も会いたがると思います。だから……」
わたしの言葉に一瞬、迷うそぶりを見せた後、ケイトさんは静かに首を振った。
「遠慮しておくよ。ローラに会ったら、きっと私は怒られる」
彼女はとても寂しそうに、悲しそうに微笑んだ。
「母は絶対、怒ったりしません。わたしが保証します!」
ケイトさんを引き留めたくて、わたしは胸に手を当てて断言した。
少なくともわたしは、母さんがわたし以外の誰かに怒ったところなんて見たことがなかったから。
「私はこれから、彼女に怒られることをしようとしているんだ」
「怒られる……こと?」
と聞き返しても、ケイトさんは答えてくれなかった。
「それって……」
わたしがさらに聞こうとした時。
横合いから、靴音が聞こえてきた。
「こんなところにいたのか」
と、わたしに歩み寄ってきたのは、アレクだった。
彼はすぐそばにいる女性に目を向けることもなく、わたしだけを見ていた。
「お前の声が聞こえたが、誰かと話してたのか?」
しかも、そんなすっとぼけたことを言っている。
「うん。今ここに……」
わたしがケイトさんの方を振り向くと。
隣に立っていたはずの彼女が、いなくなっていた。
「ここに?」
「父さんの親戚のケイトさんって人が……いたんだけど……」
さっきまで会って話をしていたのに、まるで幻だったかのようにその姿が消えていた。
「……あ、わたしは大丈夫だよ?」
心配そうに見つめてくるアレクに、わたしは慌てて言った。
別にとぼけているわけでも、立ったまま寝ていたわけでもない。
本当に、ケイトさんはいたのだ。
「それよりも、用事は何?」
彼の追及を避けたくて、わたしは話題を変えた。
わざわざこんな所にまで探しに来るということは、大切な用事なのだろう。
「やっと、招待状が届いたんだ。王都からの」
「ああ、アレクの知り合いの?」
アレクが差し出した封筒を眺めつつ、わたしは言った。
少し前に彼が話していた、王都に住んでいるという魔法学者。
父さんの本を見せたいという人からの招待状だった。
封を切って中を開けると、小さな宝石があしらわれたペンダントと、王権の印が押された手紙が入っていた。
そこに記載されていた招待者の名はリース・クロムウェル。
そして、わたしを王都へ招待した人の名は。
「招待主の名はソニア。ソニア・アークライト」
「……へ?」
一瞬、理解が追い付かなかった。
何度、中身を読み直しても、結果は同じだった。
アレクが告げた名前が、招待状の最後に記されている。
ソニア・アークライト、と。
それは、王家の至宝と称えられる人の名前だった。
歴代最高の魔法使い。
神様からの祝福を得て、莫大な魔力を持つ彼女の手にかかれば、どんな怪我や病気でも治せるという……
「この国随一の、治癒術師だ」
間違いない。
アレクの知り合いとは、わたしを王都へ呼んだのは。
わたしのあこがれの、人。
「ふえええぇぇぇぇぇっ!」
頭が真っ白になったわたしは、変な叫びを上げてしまった。




