39.生贄にされた少女
生まれ出でた風の龍は長い首を持ち上げ、天に向けて咆哮した。
耳を塞ぎたくなるようなけたたましい雄叫びが天を貫き、森の木に止まっていた無数の鳥たちが、大空へと逃げ出していった。
その声はあたかも、力を得た自らを祝っているようだった。
歓喜の叫びを上げた龍は身をかがめ、腰を抜かしたように座り込んだアンジェラの前に、顔を突き出した。
「ごめん、アンジェ」
と龍が言った。
正確には、声が鼓膜を叩いたのではなく、龍の意思そのものが、頭の中に響いたのだ。
「脅かした、よね」
それはとても幼い、少女の声。
その巨躯には、似つかわしくない声だった。
「イザ……ベラ、なの?」
「そう。あなたのお友達」
微笑もうとしているのか、龍は口を広げて見せた。鋭く長く猛々しい牙が、その中には無数に並んでいた。
「イザベラ……どうして……?」
「私、魔法使う、才能あるの。ここの人たちと違って」
イザベラは瞳だけの目を動かし、わたしを見据えた。
彼女が何を言いたいのかは、痛いほどによく分かった。
その瞳には、侮蔑の色が混じっていたから。
「魔法って、なんの……?」
「龍の精霊様、呼ぶ魔法。リースさん、教えてくれた言葉使って、今日やっと、上手くできた」
「呼んで、どうする……つもり、なの?」
友達の言っていることが理解できないというように、アンジェラは何度も聞き返す。
「あなたと私、守るの。私たち傷付ける奴、もういない。この力あれば、なんでもできる、から」
「何でも……って?」
「アンジェに、ひどいことしたあなたの父親、お酒のため、私売り飛ばした私の母親、殺すの、簡単」
イザベラの声で、龍はアハハハッと甲高く笑った。
まるで、自分が得た力に酔っているようだった。
「私は、そんなのいらない。誰も殺さなくていい。だから……お願いだから、もう止めて」
「やめない。わたし達生きていくため、この力、どうしても必要」
涙ながらに首を振るアンジェラに、イザベラははっきりと宣言した。
「どうしてなの。わたしはイザベラと仲良く過ごせたら十分なのに……」
「ムリ、なの」
と、精霊と一つになった少女は否定した。
「【虜囚】やすらかに生きていくなんて、王様許してくれない。こんな村作っても、いつかきっと滅ぼされる」
それが確定した未来だと言わんばかりに、イザベラは断言した。
「そうならないように!」
とわたしは叫んだ。
彼女の考えは、どうしても否定したかった。
「村長さんもダリルさんもジェイクもわたしも、みんな頑張っているんだよ! だからきっと」
「頑張るの、無駄。だってあなたも、みんなも」
わたしの意見を切り捨てるように、イザベラはわたしの言葉を遮った。
「隷従魔法に、勝てない」
とても冷静に、とても冷ややかに、彼女は言い切った。
「王様その気になれば、こんな村たやすく滅ぼせる。あなた達生きていられるの、ずっと前の王様、そう言ったから」
イザベラが静かに告げたことは、まぎれもない事実だった。
ヴァンドレイク様の加護を受けた村には、決して手出しするなという布告が、百年ほど前に出ていた。
「でも、あなたがセルザム襲い、グリミナ集め続ければ、王様必ず、軍隊送ってくる」
わたしは、唇を噛み締めた。
それは、ジェイクも懸念していたことだった。
奴隷を販売するビジネスは、セルザム商会に大きな利益をもたらしていた。
わたしがその邪魔をすることで、彼らに、ひいては国家に損害を与えていると王権が考えれば、布告を無視することだってあり得る話だった。
「だから私、ある人教えてくれた力、手に入れた。アンジェと、幸せ過ごす、ため」
「ある、ひと?」
と、わたしは聞いた。大切なことを、確かめるために。
「イザベラ。あなたはそれを、誰に聞いたの? 精霊様のことなんて、ほとんど誰も知らないのに」
ここに巨大な力があることを隠すため、当時も今も、風龍様とウッドランド村に関することは、かん口令が引かれているはずだった。
「セルザムの優しい人、教えてくれた。この村、強い精霊いて、私、それ従わせる才能あるって」
わたしの疑問に、イザベラはあっさり答えてくれた。
とても嬉しそうに、とても誇らしそうに。
「そう……」
とわたしは納得した。
それで、話がつながった。
誰がイザベラに魔鉱石を埋め込んだのか。
なぜそれを頑なに隠していたのか。
なぜ彼女が、わたしが襲ったセルザムのキャラバンにいたのか。
それは、全て。
「だから、私ここまで来た。そして、力手に入れた」
「あなたには、無理だよ」
わたしは、首を振りながら断言した。
全ては、彼女をだますため。
そして……
わたし達を、皆殺しにするためだ。
「あなたには、何もできない。それくらい、わたしにだって……」
「どうして、分かるの?」
気に食わない言葉を遮ったイザベラは、わたしに恐ろし気な顔を近づけた。
「嘘つく人、私、大嫌い!」
威嚇するように口を開いて、その荒々しい牙を見せつける。
ほんのひと噛みで、わたしを殺せる武器を。
「だって、あなたが使ったのは……」
と、わたしは脅しに屈せずに、顔を上げて言った。
伝えにくい真実を、伝えるために。
「召喚の、魔法式じゃない。それは……」
唇がわななき、声が震えた。
あふれ出る感情が、わたしから冷静さを奪い取る。
そのことを告げるのに、血を吐くような思いをしなければならなかった。
「生贄の、魔法式なの」




