38.風の王の顕現
「イザベラ! 大丈夫!?」
わたしは急いで彼女に駆け寄り、その背中に触れて。
「つっ……」
あまりの熱さに、手を引きそうになった。
背中が、燃えているように熱かったのだ。
「どうしたの!? 何があったの!?」
同じく駆け寄ったアンジェラが、友達の肩を必死に揺さぶっても。
イザベラの反応は、なかった。
額に滴るほどの汗をかき、苦しそうに眉根を寄せて、小さな呻きを繰り返す。
「エミリーさんを、みんなを呼んで! 今すぐ!」
わたしは近くを飛んでいたカルプトを呼び寄せると、大声で命じた。
小型の連絡用魔装具が空の彼方へと一直線に飛んでいき、村のみんなに緊急事態を知らせに行った。
「リースさん! これ!」
悲鳴のような叫びに呼ばれたわたしは、目を見開いた。
イザベラの両足から、色が失われ始めたのだ。
皮の靴に包まれた足先から足首、ふくらはぎ、膝を越えて、太ももまで一気に白くなっていく。
同時に体温も失われ、白化した両足が、石のように固く冷たくなっていった。
「ラングロワ病よ! どうして、こんな時に……」
おかしい、とわたしは思った。
ラングロワ病は、こんなに速く進行しない。
薬を飲まなくても、症状が全身へと広がるには、少なくとも数日はかかるのだ。
「まさか!」
あることに思い至ったわたしは、イザベラの服の襟首をつかんだ。
背中が異常に熱いのは、何か理由があるはずなのだ。
その何かが、彼女の症状をもたらしているとしたら……
右腕に魔力を込めて力を増し、ガウンのような彼女の服を一気に引き裂く。
「くっ……やっぱり!」
わたしは、唇を噛み締めた。
小さな少女の背中には。
深紅の宝石が、埋め込まれていた。
血のような不気味な輝きを放つその宝石は。
「これは……?」
「魔鉱石、だよ。こいつがイザベラの身体から、魔力を奪い取ってるの」
何かの魔法を発動するために。
「魔鉱石は、それ自身が魔力を発生させるものじゃないの。どこかから、魔力を集めてきてるのよ」
王様やお抱えの魔法学者たちは、魔力がどこから来ているかを、決して口にしない。
こことは別の世界から吸収しているとも言われてるけど、誰もその「別の世界」を見たことはなく、噂の域を出なかった。
「なんとか、止められないんですか!?」
「わたしにだって、分かんないのよ!」
悔しさのあまり、大声で言い返してしまった。
使い方の分からない魔鉱石を止める方法なんて、わたしは思いつかなかった。
アレクとかなら止められるかもしれないけれど、彼はまだここに来ていなかった。
「カルプトが、呼んできてくれるのを待つしか……」
わたしはイザベラを仰向けに寝かせて、彼女の胸に手を置いた。
とにかく、病気の進行を止めなければならない。
すでに足の付け根まで白くなり始め、もう一刻の猶予もなかった。
わたしは目を閉じイザベラの胸に手を当て、治癒魔法の起動を始めた。
失われた魔力を取り戻すには、父さんの魔法に望みを賭けるしかなかった。
魔法式を頭に思い浮かべ、定められた手順を取る。
わたしの魔力を吸い取り、黒く染まっていた魔法式の球体に、光が灯り始める。
小さく上下する胸に当てた手に、緑の光が生まれ出てくる。
アンジェラは友達の手を握りしめ、わたしのすることを静かに見守っていた。
「もう少しだから、頑張って……」
わたしはその一心で、魔法式の構築を続けた。
あと少し。
もう一押しで起動できるようになった時だった。
手が、何かに払いのけられた。
胸に当てた私の手を、イザベラがどけたのだ。
「いいの……」
と、苦しそうに、囁くように、彼女は言った。
「よくないよ! このままじゃ死んじゃうのよ!」
アンジェラの抗議に、イザベラは首を振った。
「私、これ望んでた。この時が来ること、待ってた」
「望むって……自分が死ぬのを!?」
また首を振る。
「私の声、届いた。やっと……」
横になったイザベラは、遠い目で空を見上げていた。
そばにいるわたし達を見ず、わたし達の心配も気にかけていなかった。
「エスト アス マグニア ヴィント。 モド オク レンド ミヒト グティナス ザイン」
彼女が呟いたのは、わたしが教えた言葉。
精霊との対話を果たすための、カギとなる言葉。
「これで、私……」
少女は虚空を抱くように両手を伸ばし、何もないそこを掴み取っていた。
「精霊様。あなたの、声聞こえます。どうか、願い、聞いてください」
イザベラから表情が失われ、天に掲げた両手が、力なく地面に落ちた。
意識が、混濁し始めたのだ。
「イザベラ! 待って!」
止めようと伸ばしたわたしの手を、強い光が弾き飛ばした。
背中に埋め込まれた魔鉱石から生じた光は範囲を広げ、イザベラを包み込んだ。
赤く眩い光の中で、少女の身体が浮いている。
着ていたガウンも下着も消え失せ、生まれたままの姿になった少女。
両足を失い、それでもなお、精霊様とのつながりを保とうとしている。
その輪郭が溶けるように薄くなり、光に飲み込まれていく。
「行かないで! それはダメなの!」
もう、私の声も届かない。
全てを捧げた少女を吸い込んだ光は次第に大きくなり、球体から形を変え始めた。
太く長い胴体を生み出し、鱗に覆われた背に巨大な翼が生まれていく。
前後に四本の脚が生え、その先端には三つの鋭利な爪が形作られていく。
胴体の先は細く長くなり、やがて大きく二つに分かれた。
裂けた部分に無数の牙が生えて巨大な口を作り出し、その上には目と鼻とが現れた。
ほんの瞬きほどの間に……
見上げるほど大きな、翡翠色の龍を作り上げた。




