35.わたしの夢
ある日の夜。
わたしは、家の裏手にある花畑に座っていた。
ここは夜光草と呼ばれる花の群生地で、ほのかな白い光を放つ花がわたしを取り囲み、文字が読めるくらいの明るさがあった。
夜光草は、養分の豊富な土地でないと育たないと言われている植物だ。
種をすりつぶして油分を絞り出せばランプの燃料にもなり、鈴のような形をした可憐な花は、観賞用として他の村や町との取引もされている。
この場所はわたしのお気に入りで、晴れた日の夜に勉強する時は、いつもここに来ていた。
広い花畑の周囲は森の木々が途切れ、空を見上げれば星降る夜空が望める。
とても静かできれいな星空が見えて、本が読めるくらいの明るさがあるから、勉強に集中するにはもってこいなのだ。
子供のころは父さんや母さんと一緒に、ここでよく夜空を見上げていた気がする。いつも温かな腕に抱かれて、寝るまでの間いっぱいお話をしたのだ。
それは、わたしにとってはかけがえのない思い出。
わたしという人間を形作る、とても大切な記憶だった。
そんな優しい想いに包まれていたわたしは、父さんの本を開いて、中身を少しずつ読み解いていた。
その本には、複雑な魔術式と数式に、見たこともない文字がびっしりと書かれていた。
ゴルドニアの言葉とは異なるその文字は村の誰にも読めなくて、わたしも父さんが作っていた翻訳書と、所々書き込まれた注釈やメモを頼りに、かろうじて読めるくらいなのだ。
そうして、わたしが難解な本を相手に格闘していると。
誰かが草をかき分け、歩み寄る足音がした。
「悪い。待たせたか?」
「ううん。わたしもさっき始めたとこ」
わたしは顔を上げずに、その誰かを迎えた。
誰が来たのかは、分かっているから。
「そこ、いいか?」
とわざわざ一言断ってから、わたしの隣にちょこんと座ったのは。
アレク、だった。
ここ数日、彼から本に書かれた言語、イニティウム語を習い、本の翻訳を進めているのだ。
魔鉱石や魔装具の理論と同じ言語であるその言葉を、アレクは昔勉強していたそうで、かなりの言葉の意味が分かるそうな。
光に包まれた花畑の中に並んで座ったわたし達は、あれこれ議論をしながら本を読み進めていった。
イニティウム語は、一つの単語で複数の意味を持つのが特徴で、文脈に合わせて訳す必要があった。単語の種類が少ないのはありがたいけど、同じ言葉でもまるで違う意味を持つこともあるから、きちんと翻訳するのにじっくり話し合うこともしばしばあった。
本の内容を読み上げる彼は、とても真剣な顔をしていた。
難解で様々な解釈ができる文章を、わたしと議論しながら一貫した意味へと翻訳するのに頭をフル回転させているみたいだった。
わたしは自分を見つめる彼の視線を気にしながらも、それに気付かないふりをしていた。
だって……
すぐそばでじっと横顔を見つめられるのは、なんだか気恥ずかしかったから。
それに、アレクはわたしの勉強に付き合ってくれているのだ。
だから自分が、余計なことに気を取られている場合じゃない。
(わたしが、真面目に取り組まなくちゃ……)
そう思って、彼の真摯な声と表情とに吸い寄せられそうになるのを我慢して、懸命に頭を働かせていた。
そして、話がひと段落したところで。
「ここは……」
アレクが、ポツリと呟いた。
「いい村だな」
「でしょー。みんないい人だもの」
そう返事をしつつ、わたしは胸を撫で下ろした。
本から目を離したアレクが少し離れてくれて、これ以上、変な気持ちにならなくて済むからだ。
「誰もが楽しそうに、それでいて一生懸命に生きている。見ず知らずの俺や子供たちが訪れても優しく受け入れてくれるくらい、懐が深い」
「村長さんやダリルさんとかのおかげだよー。ジェイクや団長みたいなのが、暴発しないようにしてくれてるから」
自分の故郷を褒められて嬉しくなって、わたしは胸を張った。
父さんを亡くしたわたしが前向きに生きられるのも、村の人たちが支えてくれたからなのだ。
「俺も【虜囚】には初めて会った。この村に来る時も正直、叛徒の一族なんてって、ビビってた。でも、実際に村の人と話してみると、俺たちと何も変わらない、むしろ俺の方が学ぶべき部分が多いと思ったくらいだ」
「そりゃあそうでしょ。グリミナなんて王様が勝手に決めて、差別しているだけだもん」
グリミナになるのは、王様に反逆者の烙印を押された人達だ。
どんな殺人犯でも強盗犯でも、王様に指定されなければ、叛徒とはならない。逆にただ、王様に疎まれただけで、グリミナにされてしまう人もいる。
母さんだって犯罪も何もしていないのに、ただ異国人だった父さんと関わりがあるというだけで、グリミナにされたのだ。
「ああ。今回のことで、それが身に染みて分かったよ。王都に住む連中の考えは間違ってるって」
アレクは力強くうなずいて、わたしの意見に同意してくれた。
王都ゴルドニアに住まう人々は、グリミナを極端に嫌っていた。
わたしが一度用事で訪れた時もずっと見下されてたし、奴隷にされそうになったのも片手では足りないくらいだ。
それに、毎日ずっと誰かへの悪口と侮蔑の言葉が、町中に充満している都市でもあった。
確かに、様々な魔装具を用いた王都での生活そのものは便利で快適だったけど、悪意に満ちた都市での暮らしは息が詰まりそうで、住みたいなんて欠片も思わなかった。
「アレクみたいに、みんなが考えを変えてくれると、ゴルドニアはもっといい国になるのにね」
「そう……かもな」
「もっと進んで、グリミナなんてなくなれば、わたしだってもっと、国の力になれるのに」
「治癒術師として、か?」
「そうだよっ。決まってるじゃん」
……彼が、言いたいことは知ってる。
ダリルさんのように冒険者になった方が、早く魔法が完成させられると思っているのだ。
でも、考えを変える気なんて、さらさらなかった。
これは、自分の夢でもあるのだから。
わたしが治癒魔法を勉強し始めたのは、母さんの病気がきっかけだった。
父さんに基礎から教わって、何年もかかって少しずつできるようになってきた。
生まれて初めて【再生】が使えた時の感動は、今でも覚えている。
エイミーさんがまだ学校に通っていて、村には治癒術師もいなかった頃、手に火傷を負った赤ん坊を。
わたしが、治したのだ。
最初は不安そうだったご両親の顔が喜びに輝き、父さんにも母さんにもいっぱい褒めてもらえた。
あの時のみんなの笑顔は、一生忘れないと思う。
「魔法理論や薬の勉強は楽しいよ。毎日やってると少しずつ、分からなかったことが分かるように、できなかったことができるようになるの」
一年前の自分よりも、昨日の自分よりも、強く賢くなっているのが実感できる。
それは、勉強する時のモチベーションでもあった。
「アレクの戦う技術もそうでしょ?」
キャラバンを襲った時も、ヘクターと戦った時も、彼に助けてもらった。
「あんなふうに戦えるようになるのは、何年もの、それこそ子供の時からの鍛錬が必要だもの」
【魔鎧】を使えるようになるには、祝福を受けるだけでは足りない。
そこからさらに努力を重ねて、授かった魔力を練り上げて、世界のあらゆるモノを上回る密度で固定させなければならない。
そんなことは、普通の鍛錬じゃあできないのだ。
「そうだな。俺も死ぬほど苦労したよ」
当時のことを思い出しているのか、アレクはとても苦い笑みを浮かべていた。
「そのおかげであの時、ヘクターからお前を救えたんだ。奮闘した甲斐はあったと思ってる」
「でしょー? 努力はきっと報われると信じて、わたしも頑張って勉強したいの。そうすれば、もっと大勢の人を助けられるし、母さんだって……」
「治せる……よな」
ようやく納得したようなアレクの言葉に、わたしは力強くうなずいた。
母さんだけじゃない。
ゴルドニアには、生まれを理由に救われない人が大勢いる。
わたしは、そんな人たちを助けたかった。
ラングロワ病にかかって、見捨てられた人々を助けたかった。
そういう人たちの悲しみや苦しみを、少しでも減らせれば……
この国は、もっと良くなる。
わたしは、そう信じていた。




