34.風の王 ヴァンドレイク
「これが、風龍様の像だよ」
風龍様の石像は、村を見下ろせる丘の上にある。
わたしよりも何倍も大きい像は、初めて召喚できた時の記憶をとどめ、大いなる力を授かれた感謝を忘れまいとして、当時の村人総出で作ったそうだ。
上位の精霊である風龍は、長い胴体と牙の生えた大きな口、どう猛なかぎ爪のついた四本の脚を持っている。
背には巨大な二枚の翼を持ち、翼をはためかせることで風魔法を操ってその巨体をも浮き上がらせて、自由自在に空を飛べる。
口から吐かれるブレスは敵を切り刻む竜巻を生み、翼の一打ちで無数の風の刃を発生させ、その鋭い爪と牙で、魔法で強化した肉体も鎧さえも紙のように切り裂く。
たった一体で数千もの魔獣を蹴散らし、村を守ってくれた精霊様は、今でも村人に畏敬の念を抱かせる存在だった。
「じゃあさっそく、お掃除に取り掛かりましょう!」
アンジェラの元気いっぱいの宣言と共に、わたし達は雑巾を手に、像の汚れ落としと周りの草刈りにかかった。
基本的にいつも誰かが掃除しているから、風龍様の像そのものはそんなに汚れてない。
最大の敵は、毎日もりもり生えてくる雑草だった。
精霊様の加護を得られる土地は草木がよく育つので、雑草が生えてくるのも恐ろしく速くて、ほんの数日で目も当てられない状態になるのだ。
「風龍様、村の守護精霊、なのです、よね?」
「そうだよー」
イザベラの問いかけに、わたしは草むしりを続けながら答えた。
「百年くらい前、ウッドランド村ができたばかりのころ、魔獣の大群に村が襲われたの。当時の王様はわたし達のような【虜囚】を守る気もなくて、討伐軍を派遣しなかった。数千もの魔獣に取り囲まれ、援軍のあてもなくて、村の誰もが死を覚悟したの」
隣で、小さく唾を飲み込む音がした。
イザベラが、真剣に聞き入っているようだった。
「でもその時、風龍様がお姿を現して、その圧倒的な力で村を守ってくれたんだって。偉大なる風の上位精霊が、グリミナを守るために顕現したことに度肝を抜かれた当時の王様は恐れをなして、ウッドランド村に手出ししないよう布告を出したってわけ」
その伝説とおふれがあるから、今も王権はウッドランド村には介入してこない。
もしも精霊様がまたお姿を現したら、甚大な被害が出るからだ。
大きな力がそこにあると思わせるだけでも、十分な効果があった。
「それ以来、わたし達は神様と同じくらい精霊様を祀っているの。いつかまた、わたし達の声に応えてもらえるように」
「そう。精霊様いるからこそ、です……」
イザベラは真剣な眼差しで、龍の石像を見つめていた。
ちょっと怖くなるくらいの空気を背負って。
「村の誰か精霊様、呼んだ、ですか?」
「そこまで詳しくは分からないよ。ジェイクのご先祖様も偉大な召喚術師で、精霊様と話せたって聞いたけど、ね」
「それなら、ジェイクさんや村長さん、話せるのですか?」
「そのための勉強とか訓練はしているみたい。でも、まだ成功したことはないって悔しがってるね」
「そう……ですか」
とても残念そうに、イザベラは俯いた。
「ヴァンドレイク様は……」
と、彼女は言った。
「本当に、いるですか?」
いつの間にか掃除の手を止め、しゃがみ込んだ彼女は、そんなことを聞いてきた。
「もちろん。精霊様はいつもわたし達のそばにいるよ」
「でも、お姿見たことないって、村の人言っています」
と、つぶやく彼女にただならぬ雰囲気を感じて、わたしは小柄な少女にきちんと向き直った。
「ほんとだよ。お隠れになっていても、みんなをちゃんと見守ってくれているの」
わたしの声が届いてないのか、イザベラは両手を胸にかき抱き、思いつめたような顔をしていた。
「どうしたの? 心配ごとがあるなら何でも言って。わたしが力になるから」
「わたし、怖い、です……」
かすれたような少女の声を、わたしはかろうじて聞き取った。
「怖いの? どうして?」
「わたし生まれて初めて、幸せ感じています。アンジェと一緒に、明日を話せるなんて、ちょっと前には想像、してなかったです」
震える声で、彼女は話す。
「この時間、今にも壊されそうで、とても怖い、です。突然、その茂みから誰か出てきて、あそこへ連れ戻されるような気が、してしまうです」
これまでずっと、溜め込んでいたであろう怯えを。
「夜寝ていても、家の暗がりの中、わたし見つめる視線、感じます。その誰か、寝ているわたしをあの恐ろしい所へ、連れ去ろうとしている気が、してしまうです」
イザベラはうずくまって小さな背中を震わせ、その恐怖に押しつぶされそうに見えた。
「分かった。じゃあ、風龍様の証拠を、見せてあげる」
わたしは小さな少女に手を差し伸べた。
どんな言葉も慰めも意味はなく、彼女を救えないと思えたから。
「まず、風龍様に触れてみて」
わたしはイザベラを連れて石像の前に立たせ、手を出すように促した。
「わたしの後に続いて、こう唱えてね」
言われるまま石像に手を当てた少女に、大昔にジェイクから聞いた言霊を教えてあげた。
「エスト アス マグニア ヴィント。 モド オク レンド ミヒト グティナス ザイン」
イザベラは、言われた通りの言葉を紡ぐ。
それは、【大いなる風の王よ。我が呼びかけに応えたまえ】という意味らしく、風龍様と会話するカギとなる言葉なのだそうだ。
「もう一度。今度はわたしと一緒に」
「「エスト アス マグニア ヴィント。 モド オク レンド ミヒト グティナス ザイン」」
怖がる少女と手を重ね合わせ、二人で言霊を唱和する。
自分の声が、彼方の世界に届くよう願いながら。
それから、ほんのわずかの時間を置いて……
手を当てた部分に、淡い光が灯った。
それはとても小さな、指先ほどの小さな灯火。
それでも、初めてにしては上出来すぎるくらいの反応だった。
やがて光が消えた後。
「大きな存在、感じます。とても優しく、力強い……」
恐怖が薄らいだのか、晴れやかな表情を浮かべた少女は、自分の手を胸にかき抱いた。
応えてくれた相手を、いつくしむように。
ジェイクたち召喚術師は、目に見えない精霊たちを肌で感じられるらしい。
彼女にも、その素養があるのだろうか?
「あなたが毎日お祈りすれば、ひょっとするとお姿を見せてくれるかもしれないね」
「はい。絶対、来ます」
目に涙まで浮かべて、感激しているイザベラが断言した時。
「イザベラってば! サボっちゃダメなんだからね!」
石像の反対側で同じく草むしりをしていたアンジェラが、こちらに顔をのぞかせて文句を言った。
「ごめーん! ちょっと大事な……」
と、彼女を弁護しようとしたわたしの腕を、イザベラが引っ張った。
そして唇に指を当てて、内緒にしてというように、微笑んで見せた。
それは吸い込まれてしまうほど、魅力的な微笑み、だった。
「さぼってなんか、ない」
わたしが少女に目を奪われているうちに、イザベラは友達に向かってきっぱりと言った。
「手を動かさずに口ばっかり動かしているのをサボってるって言うの。分かる?」
「でも、私さぼってない」
「ほほう?」
頑として認めないイザベラにいら立ったのか、アンジェラも掃除の手を止めて、つかつかと歩み寄ってきた。
うわぁっ、絶対怒ってる!
「あなたとは一度、たっぷり話し合う必要がありそうね?」
「うん、いいよ。望むところ」
火花を散らし、にらみ合う二人の少女。
「あああっ、ケンカはダメだよ!」
わたしは慌てて、その間に割って入った。
まさに一触即発という雰囲気で、今にも取っ組み合いか口論でも始めそうだったのだ。
ところが。
イザベラもアンジェラも、目をパチクリさせて首をかしげていた。
「喧嘩……じゃない、です」
「そうですよ? 勘違いしないでください」
「そ、そーなの?」
二人に口をそろえて言われても、わたしはすぐに信じられなかった。
さっきはあんなに……
「わたしたちは、とっても仲良しなんですから」
と、アンジェラは小さな友達の背中に手を回して、ギュッと抱き締めた。
イザベラも友達の腰に抱き着いて、とても嬉しそうな顔をしていた。
それはごく自然なしぐさで、さっきまでの言い合いはどこへ飛んで行ったのかと思えるほどだった。
「それなら……いいん、だけど……」
わたしはいま一つ納得できなかった。
ケンカしているのに仲良しって、よく分からないや……




