30.二十年前の政変
それから、ハンナさんがバスケットから二人の昼食……残っていた食材で作ったお手製のサンドイッチを取り出して、その場で食べることになった。
ダリルさんはゆっくりと噛み締めるように、アレクはガツガツと感心するくらいの勢いで食べていた。
そうして、バスケットの中が空になるころ。
聞きたいことがあると、アレクが言い出した。
「あなた方ほどの人が、なぜここに?」
「? それって、ダリルさんと……誰のこと?」
アレクの質問にかぶせて、わたしは思わず聞いてしまった。
ダリルさんはともかく、他に有名な人っていたっけ……と思ったのだ。
村長さんも強いけど、他の町に名前が通るほどではなくて、村に何人かいる祝福持ちの人も、アレクの【魔鎧】のような強い能力は持ってないのだ。
「【鉄壁】ダリル・サザーランドと、その妻、ハンナ・サザーランドの名は、王都で知らない奴はいない。二人とも本物の英雄だ」
「ふーん……って、えええっ、ハンナさんも!?」
その名前を聞いて、わたしはさすがにびっくりした。
彼女が戦っているところなんて、生まれてこのかた見たことなかった。
いつもニコニコ笑顔で、突っ走ろうとする夫を諫めている姿しか思い出せない。
「……昔の、話ですよ。今は田舎の年寄りですから」
ホホホと口元を押さえて笑うハンナさんからは。
確かに、得体のしれない圧力のようなものを感じた。
目が笑っていない、気がして、これ以上追及するのは危険だと思えた。
「そうだな……遠い昔の話だ、な」
彼女の刃のような目で見据えられて、アレクも息を止めた。
「と、ともかく、あなた方ほどの英雄が、ここに隠遁している理由が聞きたい。お二人の実力ならば、どこでも引く手あまただったろうに」
アレクの問いかけは、わたしも知りたいことだった。
昔に何度か聞いた時は、あっさりはぐらかされてしまって、詳しくは教えてくれなかった。
「わしらがここにいるのは、それほど大層な理由ではないんだが……」
居心地が悪そうに身体を掻きつつ、ダリルさんは言葉を濁した。
「二十年前の政変でも、冒険者であるあなた方は、【虜囚】には堕とされなかった。グリミナの人たちと共に静かに暮らすのは、何か意味があるんじゃないかと思う」
彼の言う通り、ダリルさんもハンナさんも、グリミナではなかった。
ゴルドニアの出身であっても、冒険者であれば、王権は手を出せないのだ。
「……そうだな」
アレクのまっすぐな瞳を受けて、ダリルさんは観念したように言った。
「強いて挙げるとすれば、償い、かな?」
「償い?」
「二十年前のあの時、わしらは何もできなかった。王国が悪い方向へと変わっていくのを、為す術もなく見ているしかなかった」
ダリルさんが語ったのは、わたしにも関わりのあることだった。
「王国の改革に失敗したジョシュア様が廃位させられ、新たに即位した現国王は、あろうことか封印されていた隷従魔法を復活させてしまった。自らと自分の取り巻きが大きな利益を得るために、だ」
当時、王弟だった男は、隷従魔法を餌に軍と貴族とを懐柔し、武力によるクーデターを引き起こした。失脚した先王様と付き従う人々を弾圧し、大勢の人たちがグリミナに堕とされたそうだ。
「あれは、あの時の政変は、あなた方のせいではない。一個人の力ではどうしようもなかった」
「いいや。あの時、わしらには命を懸けてでも止める義務があった。だが、ほとんどの奴はそうせず、むしろ王の交代を歓迎したほどだった」
先王様が発布した奴隷制の廃止によって、社会の急激な変化が起きたそうだ。
その結果、もたらされたのは経済の混乱と治安悪化による国力の低下だったと、今の王様は今でも声高に宣伝している。
「わしも力不足だった。いくら戦場で無敗を誇っていても、ああいう状況ではあまりにも無力で、できることは少なかった。わしを守ってくれていた法が、その時にはわしの手足を縛る枷になっていた」
「……冒険者は、独立国の内政には干渉しない、できない……から」
「そうだ。今考えると、もっとやりようはあった。なのに、その時のわしは、何もできないと思い込んでいた」
あふれ出る後悔を懺悔する夫に手を添えて、ハンナさんは優しく慰めた。
「ジョシュア様はとてもお優しく、聡明な方だったわ。だけど結果を急ぐあまり、強引すぎる手法に走ってしまったの」
「その結末が、クーデターまがいの王位継承ってわけだ。現国王が即位したことで、事実上奴隷制は復活し、先王様に関係する人々が地位を追われて、政治犯として、グリミナにされてしまった」
先王様が出した奴隷制廃止法は、建前上は残っている。
今も、彼が取り組んだ改革を評価する有力者や国民が一定数いるからだ。
ただ、王権とそれにかかわる人が、その法を誰も守ろうとしてないことが問題だった。
「そのせいで、救われるはずの者と堕とされた者……数百万もの人々が苦しむことになった。だから、せめてもの償いに、この村の人々のために、この子のために力を尽くそうと思ったってわけだ」
胸の内を全部吐き出したダリルさんは、少し気持ちが軽くなっているような気がした。
「本当に、申し訳ない。あなたの傷をえぐるような真似をして……」
「いいや、構わんよ。わしもお前さんに聞いてもらえて良かったと思っている」
アレクの真摯な謝罪を、ダリルさんもハンナさんも受け入れた。
「リースも母親のローラも、その被害者の一人だ。先王様の雇われ学者だったディアンと結婚していたというだけで、彼が異国人であるというだけで、スパイ容疑で有罪だと」
今日のダリルさんは、やけに饒舌だった。
「実際のところは、ローラをねとろうとする奴が王権の中にいて、持ち掛けた取引を断られたから有罪になった、らしいがね」
「最低だな。そいつは……」
「ネトルって、何?」
その言葉の意味が分からず、わたしは思わず話に割り込んでしまった。
「お前は知らなくていい!」
真っ赤になったアレクは、怒ったように言ってきた。
「怒鳴らなくてもいーじゃない! ちょっと聞いただけでしょ!」
いきなりどやしつけられて、ついつい言い返してしまった。
「リース。世の中には、知らなくてもいいものがいっぱいあるの。要らないことまで知ろうとしてはダメよ」
ハンナさんにまで、まじめな顔で怒られちゃった。
「あなたも、つまらないことまで言うものではありません。リースにも知られてしまったじゃありませんか」
小柄な妻にたしなめられた大男は、小さくなって平謝りしていた。
それは聞いちゃいけない言葉だったのかと、わたしも内心で反省した。
余計なことに首を突っ込んじゃいけないよね……




