29.冒険者へのお誘い
「さて、リースも久々にどうだ?」
アレクとのやり取りを優しく見守っていたダリルさんが、わたしを訓練に誘ってきた。
「やめとくー。もういいかなって思うもの」
わたしは手を振って、きっぱりとお断りした。
あんな怖い思いは、できればもうしたくない。
自信を完膚なきまでにへし折られて、トラウマを植え付けられるのはこりごりだった。
「いや、良くはないぞ。世の中には国軍士官よりも強い奴がいるのだから、常日頃からの鍛錬は欠かさずやるべきだ」
「えー……だって、わたしは卒業できたでしょ? 後は自分でやるからほっといてよ」
なおも食い下がってくるダリルさんを、わたしは無下にあしらった。
こういうのは、はっきり言わないと相手に押し切られてしまうのだ。
「むう……お前は一層の鍛錬を重ねれば、さらなる高みを目指せるというのに……」
心底残念そうに、ダリルさんは愚痴をこぼした。
「そもそも、治癒術師はそんなに強くなくてもいいじゃない」
「一般的にはそうだが……お前ほどの実力なら、冒険者になっても十分通用するぞ」
諦めきれないらしいダリルさんは、このところ何度も話し合ってきた話題を持ち出した。
国という概念に縛られない冒険者たちは、魔獣の盗伐や大陸の未踏破領域の探索など、危険な仕事を生業としている。
ダリルさんをはじめ、ここゴルドニア出身の冒険者もいて、小さいながらも王都に冒険者ギルドの支部もあるのだ。
「冒険者は素晴らしいぞ。身分も出自も、それこそ【虜囚】かどうかさえ関係ない。ただ、実力と人柄のみで評価されるのだからな」
顔を輝かせたダリルさんは、自分が所属している組織の素晴らしさを力説してきた。
冒険者に登録すれば、国家からの保護を失う代償として、それぞれの国に関わる身分からも解放されるそうだ。
ゴルドニアの場合は、王権からグリミナという枷を外され、隷従魔法に怯える必要もなくなるのだ。その代わり、冒険者はゴルドニア国内の問題には決して干渉しない、独立国の内政には不干渉というのが、ギルドの方針なのだそうだ。
「自由な身分を片手に世界を旅して強敵と戦い、魔装具なんておもちゃに思えるほどのお宝にもお目にかかれる。そんな伝説級の宝でなくても、魔力を帯びた道具や素材はいくらでも存在する。それらを手に入れて自らの弱点を補えば、お前の父ディアンの魔法を完成させることだってできるではないか」
「それは、その通りだと俺も思う」
話を聞いているだけだったアレクまでもが、ダリルさんの意見に乗っかってきた。
「リースならきっと高ランクが取れると思うし、大勢の仲間もできるだろう。ゴルドニアに留まるよりも、よっぽど良い未来が待っているんじゃないかな」
「だろう? わしも度々勧めているんだが、リースはなかなか頑固でな」
「頑固のはダリルさんだよ。わたしは嫌だって言ってるのに……」
わたしは口を尖らせて文句を言った。
グリミナからの解放とか、魔力を持つアイテムとか、自由な人生とか、それらはとても魅力的ではあるけれど。
「だいたい、あるかどうかも分かんない素材を探すなんて、賭けみたいなものじゃない。そんなのはしたくないよ」
と、自分の率直な思いを口にした。
かかってるのは、母さんの命なのだ。
賭け事めいた勝負なんて、とてもできない。
わたしはここで母さんの看病をして、みんなの治療をして、魔法の勉強をして、父さんの魔法を完成させたかった。
「そう……か……」
ダリルさんは、心の底から残念そうに肩を落とした。
「惜しいな……お前なら二つ名だって名乗れるだろうし、わし以上に名をはせられるだろうに……」
かつて、ダリルさんの名声は大陸全土に響き渡るほどだったそうで、【鉄壁】のダリルという二つ名は、そのころの勲章なのだそうだ。
「なあ。【鉄壁】の後継者という触れ込みなら……」
落ち込んだ師匠を励ますつもりなのか、アレクが新しく思い付いたらしいアイデアを口にした。
「いろんな情報を集められるんじゃないか? リースがその実力を示せれば、普通に冒険者として働くよりも、もっと早く重要な情報に触れられるだろう」
「ふむ……わしのつてを使えば、できるかもしれんな。やっかい過ぎて手つかずになっている仕事をこなしてみせれば、一年かそこらで最上位近くまで到達できるか……」
「そうなれば、きっと貴重な素材もたやすく手に入れられる、と思う」
「うーむ……多少のやっかみを受けるかもしれんが、時間には代えられん、か」
「どうせ、誰もやってない仕事を引き受けるんだ。そんなのは無視しておけばいい」
「そして二年もすれば、英雄リース・クロムウェルの誕生か……その頃にはどんな二つ名を名乗っているだろうな?」
「リースなら【神速の救い手】とかがいいんじゃないか?」
「いやいや、【暴走女王】の方が相応しいだろうて」
「うーん。女王っていうほどの貫禄は……」
「だーかーらー!!」
勝手に盛り上がり始めた二人に向かって、わたしは大声を張り上げた。
「冒険者にはならないって言ってるでしょ! 誰が何と言おうと、わたしがなりたいのはヒーラーなの!」
「ずいぶん、楽しそうな話をしているのね」
と、脇から声をかけてきたのは、ハンナさんだった。
茶色いつるを編んだバスケットを手に提げて、ゆっくりと歩み寄ってきていた。
「あまりこの子を困らせるものではありませんよ。いくらあなた方がリースのためを思っていても、それが彼女の思いと重なるとは限らないんですからね」
ニコニコ笑いながらも、ハンナさんは勝手なことを言っていた二人を窘めた。
「むう。いらぬ世話だったか……」
「すまん。そんなつもりは……」
ダリルさんは小さくなって、アレクはバツが悪そうな顔をして、わたしに謝ってきた。
……分かってくれればいいのよ。分かってくれれば。




