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25.治癒術師のお仕事

 その二日後、朝からわたしは広場へと向かった。

 テントが林立する広場の隅っこの木陰に、大きな木の葉で囲っただけの簡易診療所が作られていた。

 緑の扉を片手でのけて、わたしは中で男の子の診察をしている女性に声をかけた。

「あ、リース。ちょうどいい所に来てくれたね」

 彼女は、村の診療を一手に引き受ける治癒術師、エイミーさんだ。

 きちんと王立学校を卒業して、正規の免許を持っている。

 二十代半ばの物腰の柔らかな女性で、うっすらそばかすが浮いたほっぺたを緩めて、いつもニコニコ笑顔を絶やさない人だった。

 右手に宝石をちりばめた白い手袋をはめ、王立学校を卒業した記念に贈られたという長袖の白い上着を着ていて、長くてふわふわな髪をアップにまとめている。

 誰に対しても……乱暴者のジェイクにさえ丁寧な態度を崩さず、常に人当たりのいい彼女を悪く言う人はいなかった。

 エイミーさんのことは子供のころから知っているけど、怒っているところなんて見たこともなかった。

「これ、頼まれてた薬だよ」

「ありがとー。助かるわ」

 わたしはリュックを下ろし、中から昨日作った薬を彼女に見せた。

 傷口の炎症を抑える薬で、子供たちの治療に使うもの。

 わたしがここに来たのはこのためなのだ。

 セルザムのキャラバンから助け出した子供たちは、みんな全身傷だらけだった。

 鞭とか棒で殴られた跡があったり、火を押し当てられたような火傷をしていたり、女の子は人には言いづらい怪我があったりと、様々な問題を抱えていた。

 彼らは「商品」だったからか、歩けなくなるほど重傷の子はいなかった。

 それでも、体中の怪我を残すわけにはいかないので、エイミーさんの持っている医療用魔装具で治していくのだけど……

 何しろ人数が多かった。

 わたしは彼女と相談して、薬で治せる傷はわたしが担当して、もっと重症な人はエイミーさんの魔装具で治すことになった。

 わたしは彼女の隣に同じような診療所を作って、目の前にちょこんと座った男の子の治療を始めた。

 この子も、背中や胸に鞭打たれた大きな腫れと擦過傷があった。

 しかも、これまでずっと不衛生なところにいたから、炎症を起こして背中全体が赤く腫れている。

 たとえ小さな傷でも、細菌が入ったら大変なことになるのに……

 わたしは抗菌成分のある薬剤を塗って、洗って清潔にした布を体に巻き付けて傷を保護していった。

 それ以外にも両腕の火傷とか、足のすねの切り傷とかにも薬を使っていって、明日も来るようにお願いした。

「おはようございますっ」

 次にわたしの前に座って、元気な挨拶してきたのは、アンジェラだった。

 短く切った黒髪と、くりくりとした瞳が特徴的な女の子だった。

 彼女の怪我は昨日、エイミーさんが治していた。

 特に下腹部周辺がひどかったとは聞いていたけど、治癒魔法をかけてもらって、傷はきれいにふさがったらしい。

「もう大丈夫、なの?」

「はいっ、すっかり元気になりました」

 両手で拳を握って、小さな力こぶを作って見せるアンジェラは……

 たぶん、無理をしているとは思う。

 たとえ身体の怪我は治せても、心に負った傷は、魔法じゃ治せないのだから。

 セルザムに囚われてからわたしが助け出すまでの間、彼女が受けていた扱いで付けられた傷。

 それらをすべて治すまで。

(ここでゆっくり過ごしてもらえたらいいな)

 とわたしは思っていた。

「それじゃ、足の方を見せてくれる?」

「えー……ちょっとだけ、ですよ?」

 冗談めかして言いながら、アンジェラは細くてきれいな右足を伸ばして、わたしの膝の上に置いた。

 彼女の足は、五本の指先から土踏まずのあたりまで、白く硬くなっていた。

「わたしが触っているの分かる?」

「……いいえ。全然です」

 冷たい足先を強く擦るように触っても、指の関節でグリグリ押しても、アンジェラは何も感じてないようだった。

 皮膚感覚無し。

 体温無し。

「指を動かしてみて」

 彼女は唇を噛み締め、足に力を込めているらしいけど……

「これが……限界です」

 止めていた息を吐き出したアンジェラの指先は、全く動いてなかった。

 運動機能、ゼロ。

(これってやっぱり……)

 アレクと同じ、ラングロワ病の特徴だった。

 まだ初期症状、だとは思う。

 白くなっている範囲も小さく、硬いのは皮膚周辺の表層のみで、その奥には筋肉の弾力をわずかながらに感じるから。

「薬を出すから、それを毎日飲んでね」

 そう言って、わたしは母さんにも処方している薬の入った袋を渡した。

 あの治癒魔法を使えるのは、一日に二回が限度なのだ。

 悔しいけれど、それ以上使おうとすれば、わたしの方が倒れてしまう。

 基本、アレクと母さんに毎日かけているから、アンジェラには使ってあげられない。

 だからもっと魔法式を使いこなせられるまでは、薬で進行を抑えてもらうしかなかった。

「これを……飲むんですか?」

 袋を開けて中身を覗き込んだアンジェラは、ごくりとつばを飲み込んだ。

「あーやっぱ匂いでわかっちゃうよね……」

 作った自分が言うのもどうかと思うけど、袋の中は命の危険を感じる香りが充満していることだろう。

「いいえっ! いただいたお薬ですから、頑張りますっ」

 アンジェラは、その繊細な指先で黒い粒を摘まみだすと、躊躇せずに口の中へと放り込んだ。

「うぐっ……」

「だ、大丈夫!?」

 吐きそうな呻きを聞いたわたしは、慌てて水の入った木のコップを手渡した。

 アンジェラはコップを傾け、薬と一緒に水を一気に飲み干してくれた。

「あ、あの人が使っている魔装具を、リースさんは使えないんですか?」

 息も絶え絶えで、まずくて死にそうな顔をしているアンジェラが言っているのは、エイミーさんの魔装具のことだろう。

 彼女の手にはめられた、白くて薄い手袋がそうだった。

 手首の部分にいくつかの小さな宝石……魔鉱石が縫い付けられていて、それが魔力の源であり魔法式の要だった。

 宝石に込められたいくつかの魔法を使い分け、手袋を通じて患者の体内へと流し込み、上手く適切に治していくのだ。

「うん。残念だけど、魔装具は持っている本人しか使えないの」

 わたしはため息交じりに彼女へ告げた。

 あの手袋の魔法は、エイミーさんしか使えない。

「買うにも学校の卒業証明書が必要だし、それにすっごく高いんだって」

 エイミーさんは学校に通いながら二年間働き詰めて、やっと買えたくらいなんだそうな。

 それに、買った時に本人しか使えないように、魔鉱石に彼女の因子が登録されている。

 未登録のわたしが、使えるはずもなかった。

「じゃあ、他の魔鉱石を使うのは……」

 諦めきれないアンジェラは、なおも食い下がって来る。

「わたしもかなり試してみたよ。でも、やっぱり無理だったの」

 村にあるあらゆる魔装具……それこそ小さなライトやカルプト、マグリット・ライフルまで……の魔力を、父さんの魔法に使えないかテストしてみた。

 結局、どれ一つとして、治癒の魔法式の起動はできなかった。

 わたしを使用者として登録していても、灯りや通信や戦闘など、本来の目的とは異なる使い方はできないのだ。

「魔鉱石や魔装具の製法は王家が独占しているから、わたしみたいなのが勝手に使うのはなかなか……ね」

 それが、王権の強みだった。

 ゴルドニア王国では、魔装具は軍だけでなく、生活の様々な分野に浸透している。

 王都では夜の灯りや台所のかまどさえ、魔装具を使っているくらいなのだ。

 魔装具のない生活なんて考えられなくて、便利な生活を支える道具をもたらしてくれる王権に歯向かおうなんて人は皆無だった。

「そう……ですか……」

 わたしの話を聞いたアンジェラは肩を落とし、目線を地面に落とした。

 希望のない結論を前にして、うずくまってしまいそうなのだ。

「でも、心配しないで」

 とわたしは少女の小さな肩を、優しく抱き締めた。

「わたしがきっと、あなたを治してみせるから、ね?」

 びっくりして顔を上げた彼女を、わたしはまっすぐに見つめた。

 死に怯える女の子を、放ってはおけない。

「だから、もう少しだけ待って欲しいの。もう少しだけ、耐えて欲しいの。できる?」

 とわたしは聞いた。

 このままでは、彼女は体内の魔力を失い、確実に死んでしまう。

 それに絶望してしまったら、少女の死が早まってしまう。

 薬も食事も受け付けなくなったら、ものの数日もかからずに、白の領域が彼女の全身を犯してしまうだろう。

「は……い。はいっ。頑張りますっ!」

 アンジェラは何度も頷いて、わたしの言葉を受け入れてくれた。

 それが嬉しくて、少女を包んだ両腕にギュッと力を入れた。

(わたしも、いっぱい頑張らなくちゃ……)

 と思った。

 最悪の未来が訪れる前に、必ず魔法を完成させてみせると心に決めた。

「アンジェー。もういい?」

 と囲いの向こうから、少女の声がかけられた。

「はーい。もう終わったよー」

 とわたしが返事をすると、イザベラが診療所に入って来た。

 彼女は、アンジェラを迎えに来たのだ。

「別に来なくても平気なのに」

「ダメ。アンジェは病気なの。治るまでお世話する」

 イザベラは遠慮する友達に口をとがらせ、少し強引に自分の肩を貸して、わたしを無視して、外に出ようとする。

「せっかくだから、あなたも診察しようか?」

「いらない。私、大したことないです」

 わたしの提案にも、彼女はプイッとそっぽを向いた。

 村に来てからというもの、彼女は必ずそう言って、治療も診察も拒否するのだ。

「そっかー……それじゃ、何かあったらすぐ教えてね。約束だよ?」

 色々言ってやりたいことを胸の中にしまい込み、わたしはひとまずそう言っておいた。

 プイと叩き切るようにそっぽを向いたイザベラは、彼女の代わりに謝る友達と一緒に、診療所を出ていった。

 返事すら、なかった。

「むう……素直じゃないよねぇ……」

 と、わたしは一人で愚痴った。

 ああいう患者さんもいるのだ。

 治療を嫌がっているのに、無理に受けさせるわけにはいかないから、本人がその気になるまで辛抱強く待つしかなかった。

 外で待っている次の子を呼んで、わたしは治療を再開した。

 ラングロワ病の患者を見つけた時や、軽傷の子はわたしが診察する。

 わたしの手に負えそうにない怪我だと判断した時は、隣のエイミーさんにお願いする。

 そうやって、エイミーさんとわたしとで、大勢の患者さんを次々とさばいていった。

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