24.母の病気を治す方法
村の中心にある広場で、夜ご飯をみんなで食べた。
野鹿の肉を少し加えた野菜スープと、麦と雑穀を煮込んだおかゆ。
フルーツの果汁を薄めたほんのり甘いジュースを心の癒しに、お腹いっぱいになるまでわいわい話しながら食べていた。
子供たちの食欲は、そりゃあもう、びっくりするほどだった。
「こんなにいっぱい食べたの、生まれて初めて!」
と、涙なしでは聞けない言葉と満面の笑みと共に、食器の中身を瞬く間に平らげてしまった。
「おかわりはいっぱいあるから!」
と、わたしは村の人と手分けして、次々と差し出される食器におかわりをついでいった。
小さな子供たちに紛れて、アレクまで空の器を差し出していたのはどうかと思うけど……
彼も頑張ってくれたから、これくらいはしてあげよう。
それに、嬉しそうな笑顔で美味しそうにガツガツ食べる彼の姿を見ていると、なぜか許せてしまった。
大鍋で用意したご飯がどんどん減っていって、底をつく寸前にやっとみんな満足したらしい。
そうして夜も更けてきて、全員で寝床の準備をした。
あらかじめ村の人たちが広場の一角に、長い木の枝と獣の皮をなめした布を使った簡単なテントをいくつか立ててくれていたので、その中の地面に木の板やわらを敷き詰め、ひとまずそこで寝てもらうことにした。
そのうち、もう少ししっかりした家を建てることになると思うけど、それは明日以降の話だった。
そうした一通りのイベントが終わってから、わたしは自分の家に帰った。
広場から少し離れたところにある、見上げてもてっぺんが見えないほどの大木の幹を利用して作られたツリーハウス。
幹をらせん状に上っていく階段の途中に五軒の家があって、その一番下がわたしの家だった。
木製の扉を開け、木の香りが詰まった屋内に入ると、疲れがどっと出た。
部屋の隅にあるベッドに今すぐ倒れ込みたかったけど、わたしは閉じてしまいそうなまぶたを擦って、隣の部屋につながる扉を開いた。
淡い月明かりが差し込む室内は、ベッドが一つと脇に小さな棚が置いてあるだけ。
わたしは棚の上にあるランプに火をつけ、そこに寝ている女性の顔を覗き込み。
「調子はどう? 母さん」
と、話しかけた。
返事は、もちろんなかった。
母さんは十年以上前にラングロワ病を発症し、ずっと寝たきりなのだ。
白の浸食は手足を超え、胸やお腹にまで達していた。
一年くらい前からは頭や額の一部も白く染まり、起き上がるどころか、話すこともできなくなっていた。
父さんがべた褒めしていた黒髪は、半分くらい抜け落ちてしまった。
昔は大勢の人に告白されたっていう美貌も、頬がこけて眼窩が落ちくぼみ、肌もカサカサに乾いていて、重病人のそれだった。
薄く開いたままの目は、虚空の一点を見つめている。
母さんの目は、たぶん見えてない。
耳も、聞こえているか分からない。
でも、たとえ返事がなくとも、わたしは家に帰るたび、朝起きるたびに声をかけていた。
わたしは右手を、母さんの額に当てた。
アレクにかけた時の感覚を思い出しながら。
治癒魔法、起動。
疲れ果てた体から、一気に魔力が奪われていく。
血の気が引いて、後頭部が痛み始める。
寝ている母さんの顔がかすみ、集中が途切れそうになる。
かき集めているなけなしの力がこぼれそうで、魔法式を組み上げる魔力が尽きそうになる。
わたしは焦りと不安を押し殺し、起動することだけに集中した。
これまで、二回も成功しているのだ。
(今できないはずがないもん)
挫けそうな心を励まし、力が抜けていく身体を気力で支え、残り少ない魔力を搾り取る。
すると。
わたしの周りで、ふわりと風が舞い上がった。
右手の中に、力が湧き出てくる。
その力を逃すまいと、わたしは最後の力を振り絞る。
(もうひと息、もう少し、あとちょっと……)
必死に念じていると、母さんの額に当てた手のひらに。
淡い光が、灯った。
現れた緑の光が、ゆっくりと、母さんの中へと入っていく。
発現した治癒の力が、全身へと染みわたり、奇跡の力を発揮する。
やがて光が消えて、部屋は小さなランプの灯りだけになる。
わたしは母さんの顔を覗き込み。
歓喜のあまり、泣きそうになった。
魔法の、効果があったのだ。
白く染まっていた母さんの顔に、ほんのり赤みが差したのだ。
肩から胸にかけて広がっていた白の領域も、ほんの少しだけだけど、少なくなっていた。
「やった……できたよぅ……」
心地よい安堵に包まれたわたしは、目に浮かんだ涙をぬぐった。
これで、三回連続での成功だった。
成功を積み重ねられたおかげで、より良い方法が頭に浮かんでくる。
もっと効率的に魔力を使えれば、魔法式を使う範囲を広げて、治癒の効果を高められるのだ。
そうして少しずつ起動できる範囲を増やしていけば。
(いつか絶対、病気を完治させられるよねっ)
自信を深めたわたしは、ひとまず次の作業に移った。
水差しと小さな器と布袋を棚から引っ張り出すと、袋から黒っぽい丸薬を取り出して器に入れた。
爪の先ほどの小さな薬を入れた器に、水差しを使って、村のシスターからもらった聖水を注ぎ込む。
透明な水の中で薬が溶けていき、ほんのひと時も待てば母さんに飲ませる水薬が出来上がる。
手のひらサイズの器を慎重に、母さんの口元へと運んで傾ける……と。
母さんは喉を動かして、薬を飲んでくれた。
これは、減った魔力を補う薬。
ラングロワさんが考案して、病気の進行を遅らせることに成功した薬。
魔法と違って見た目は何の変化もないから、薬にどれくらい効果があるのかは分からない。
効果があることを信じて、毎日飲ませるしかなかった。
薬の道具を片付けたわたしはベッドの隅に座って、静かな息をしている母さんに話をした。
今日は、いっぱい話すことがあるのだ。
アレクに会ったこと、初めて父さんの魔法が使えたこと、セルザムのキャラバンから子供たちを救ったこと、アレクがとっても強いこと、村に連れてきた彼らと楽しくご飯を食べたこと……
静かに眠る母さんに、わたしは身振り手振りを交えていっぱい話した。
もちろん、相槌も反応もない。
でも、それでもよかった。
誰かが話しかけることで、母さんをこの世界に繋ぎとめられると、わたしは信じていた。
「……でね。アレクってば、女の子に囲まれてにやにやしてるの。わたしにあんなことを言ったくせに、ひっどいと思わない?」
わたしがブーブー文句を言っていた時。
ベッドの上で力なく横になり、どこか遠くを見つめていた母さんが。
微笑んでくれた、気がした。
見間違い、かもしれない。
気のせい、かもしれない。
期待しちゃダメ、と自分に言い聞かせ、高鳴る鼓動を押さえて母さんの顔を覗き込むと。
本当に、笑っていた。
それは、頬を緩ませる程度の、かすかな微笑み。
ほぼ一年ぶりの、感情の発露だった。
その笑顔はすぐに、なくなってしまった。
表情を失くし、口元も眉もピクリとも動かない。
でも、それでもよかった。
わずかな変化でも、魔法や薬の効果が出ている証、わたしの言葉が届いている証、だから。
それが分かるだけでも、十分だった。
「よかった……ほんとに……」
わたしは感激のあまり、涙を零してしまった。
やがて、母さんから安らかな息が聞こえてきたのを機に、わたしは立ち上がった。
まだ、完治にはほど遠い。
魔法の効果が、不十分だから。
わたしがその全てを、使えてないから。
(そうよ。まだ、なだけ)
とわたしは思った。
もっとたくさん勉強して、父さんの魔法を完璧に理解できれば、魔力をもっと上手く使えれば。
きっと、母さんの病気も治せる。
それがわたしと、亡くなった父さんの願いだった。
「絶対、治すから。待っててね」
と母さんの頬にキスをして、ランプを消して。
わたしは部屋を後にした。




