22.最悪の未来を変えるには
いきなり大声で怒鳴りつけられて、わたしは首をすくめた。
何事かと、みんなの視線が集まるくらいの大きさだった。
「俺は、お前に救われた! なのに……それなのに! 恩を仇で返すような真似をするはずがないだろう!」
顔を真っ赤にしたアレクは、本気で怒っていた。
怒りのあまり身体をわなわなと震わせて、握り締めた拳を何度も地面に叩きつけていた。
わたしを殴りつけてやりたいのを、必死で我慢しているようだった。
「ごめん……」
とわたしは謝った。
吐き出された彼の感情が、その矛先が、わたしに突き刺さっていた。
やけっぱちになって、何もかもを、自分の人生をも投げ出そうとしていたわたしに。
「……す、すまん。怒鳴りつけるつもりは……」
「ううん、いいんだよ。わたしが悪いんだから」
アレクには、謝って欲しくなかった。
一生懸命考えて出したはずの結論が、彼を怒らせて……
と言うより、傷付けてしまったのだから。
ヘクターのような最低な男と、アレクとを同列にしてしまったことに、今さらながら気付いた。
それに思い至って、最悪なアイデアを持ちかけてしまったことが、とても恥ずかしかった。
「でも、どうしてだ? なんで、俺の奴隷になんて考えたんだ?」
「……わたしだって、頑張って生きていれば、きっといいことがあるって思ってたんだよ」
ため息交じりに視線を落とし、座り込んだわたしは答えた。
お詫びの気持ちと、自分のことを聞いてほしいのとがあって、わたしはできるだけ話そうと思っていた。
「グリミナの運命なんて、生まれた時から決まっていると、誰かに言われたことがあるの」
誰からも逃げて孤独に暮らすか、誰かに囚われて奴隷になるか、その主人にも捨てられて、差別されながら極貧の暮らしをするか……そのどれかだと。
「それが嫌で嫌でしょうがなくて、わたしは何とかそれに抗おうと思ったし、実際、これまで勉強や訓練をしてきたんだ」
頑張って鍛錬を続けて、何事にも揺るぎない精神を築き上げれば、魔法に打ち勝てるかも……
【防護壁】があれば、魔法を跳ね返せるかも……
と期待していた。
「でも結局は、わたしの命と身体は、誰かのものでしかない。それを今日、知っちゃったの」
身体や精神をどんなに鍛えていても、抵抗なんてできなかった。
わたしを守る壁は、魂の変化は防げなかった。
そもそも、あの魔法は抗うとかいうものではなかった。別に作られたモノに入れ替えられるのだから、心の強さなんてまるで無意味だった。
「わたしが何かをしようとすれば、どこかで隷従魔法を使える人間に出会っちゃうでしょ? 今日はあなたがいてくれたけど、ずっとそうとは限らない」
今回だって、アレクが自分の命を削って助けてくれなければ、わたしはヘクターの奴隷に堕ちて自殺を強いられていただろう。
「どんなに頑張っても意味がないなら、自分の魂を誰かにゆだねるしかないじゃない。それが運命なんだから」
その現実は悲しくて、悲しすぎて。
涙がこぼれた。
頬を伝う雫をそのままに、わたしは口を閉ざした。
受け入れがたい運命を受け入れるのは、あまりにも辛すぎた。
「そんなことは、ない」
と、静かに泣き続けるわたしに向かって、アレクは断言した。
「どうして、そう思うの? あなたは、グリミナの運命を、変えられるの?」
「そ、それはっ……」
わたしが涙ながらにずいっと詰め寄ると、アレクは言葉に詰まった。
きっと彼は、嘘がつけないのだろう。
安易な慰めを口にできず、自分のできることを必死になって考えているみたいだった。
「すまん……」
結局、彼はうなだれてしまった。
自分の無力さに、打ちのめされたように。
「俺がお前の運命を変えられるかは、分からない。でも……」
「でも?」
「変えようとすることが、大切だと思う」
その事実に抗うように、アレクは顔を上げて、わたしを見つめ返した。
「お前にやりたいことがあるなら、俺もできる限り手伝う。だからお前は、お前だけは、そんなことを言わないでほしい」
「……か弱い、女の子に、それを求めるのは、ちょっと酷なんじゃない?」
わたしは彼をジト目で睨んだ。
楽な道に逃げずに、過酷な運命に立ち向かえなんて、厳しすぎないだろうか?
「お前なら……できる、と……思う」
わたしの視線に耐えられないのか、アレクはあさっての方を見ながら言った。
「だからどうして、そう思うの? わたしはそんなに強くないよ?」
戦闘だって治癒魔法だって、わたしよりもできる人は大勢いる。
心の強さは負けないつもりだったけど、今日あっさり打ち砕かれてしまった。
そんなわたしに対して、彼の自信はどこから来るのだろう?
「…………から……」
視線を逸らしたままのアレクは頬を染めて、消え入りそうな声で何かを囁いた。
わたしは無言で首を傾げ、彼の横顔をじっと見つめて。
もっとはっきり言うように促した。
静かな追及に耐えられなくなったのか、アレクはいきなり立ち上がって背中を向けた。
そして背を向けたまま、こう言った。
「お前は……俺の運命を! 変えてくれた奴……だからだ!」
とても恥ずかしそうに、それでもはっきり聞こえる声で。
「だから今度は! 俺がお前を手伝う! お前の運命を変えられるまで!」
色々吹っ切れたのか、アレクは開き直ったように、やけくそのように叫んだ。
そこまで言い切った彼はわたしへと向き直り、右手を差し出してきた。
「それが俺の我が儘なのは分かってる。だけど……俺はお前に、これからも精一杯生きて欲しいんだ」
その手は、怖くてうずくまったわたしを、引き上げてくれるものだった。
わたしはおっかなびっくり、手を伸ばしていった。
彼の手を取る勇気は、まだなかった。
王国の役人や貴族の考えは、ヘクターと大差ない。
グリミナに情けをかけたり、同情したりする奴なんて、誰一人としていない。
ひょっとしたら、今日よりも恐ろしい目に遭うかもしれない。
その恐怖が、わたしを押しとどめていた。
「ほんとに手伝うつもり? きっとわたしは、いっぱい無茶をするよ?」
「そんなのは、気にしなくていい。もう誰にも、お前を傷付けさせたりしない」
アレクは、何のためらいもなく断言した。
その力強い声は、わたしに前を向く力をくれた。
わたしはその声に背中を押され、彼の手を取って立ち上がった。
そして、その勢いのまま。
アレクに、抱き付いてしまった。
「なっ……あっ。うぁ……」
「ありがとう……そう言ってくれて、すっごく嬉しい……」
なぜか硬直した彼の耳元に、わたしはそっと囁いた。
そんなふうに言われたのは生まれて初めてで、わたしの中で何だか色々爆発してしまったのだ。
こんなに温かな気持ちになったのは何年ぶりだろう。
彼の言葉がとても嬉しくて、もっと言ってほしいと思……
「きゃーーーー!」
と、周囲から黄色い悲鳴が上がった。
ハッとなってあたりを見回すと、年かさの子供……特に女の子たちが歓声を上げていた。
アンジェラもわたし達を見ていて、同じように頬に両手を当てて喜んでいた。
もう少し幼い子は、何が起こったのか分からずぽかんとしてから、年上の子たちが喜んでいるのを見て、つられてニコニコ笑っていた。
(しまったぁーーー!)
と、我に返ったわたしは思った。
子供たちの存在を、すっかり忘れていた。
あんな大声を出せば、みんなの注目を浴びるのは当たり前なのに。
チラリとアレクを見上げると、彼はますます顔を赤くして、固まったままだった。
わたしを振り解くこともできず、ただ立ち尽くしているだけだった。
周囲から湧き上がる歓声と拍手を背に、わたしはまだ彼を抱擁していた。
(うーん……まっ、しょーがないか)
そう、割り切ることにしたのだ。
注目を集めるのは恥ずかしいけど、見られちゃったものはどうしようもないし……
わたしはこうするのが大好きだし……
彼に感謝しているのは、事実なのだから。




