10.防壁の指輪
「……来たぞ」
と言われて振り向くと、
地平線の向こうから、豆粒の集まりのような一団が近づいてきていた。
その小さな影は数を増し、少しずつ大きくなっていった。
馬車と荷車と徒歩の人間で構成された集団で、かなり大規模な集団だった。
そして、これまでのキャラバンと違うのは。
半透明な膜が、隊列全体を覆っていることだった。
半径数十メートルにも及ぶ球状の膜は、キャラバンを守るように、その歩みに合わせて移動していた。
膜の向こう側で、モヤにかすんだような草原の風景も、少しずつ動いている。
「封印結界が、張られてる、な」
アレクの言っているのは、あの透明の膜だった。
封印結界は軍隊が使う防護装置の一種で、遠距離からの魔法や銃撃などの攻撃を跳ね返せる。
しかも防ぐだけではなくて、侵入を試みる相手の位置を特定し、攻撃魔法【光輝砲】で反撃までしてくるのだ。
これが五回目の襲撃だから、向こうもさすがに警戒しているみたい。
「このまま突っ込んだら、危なくないか?」
「何よぅ。ビビったの?」
「そうじゃなくって、だ。やみくもに結界へ突っ込んでも死ぬだけだろう」
わたしの挑発をやんわりと受け流し、アレクは冷静に告げた。
「そんなに怖がらないでよ。そこまでの威力は……」
と、わたしが言ったところで。
結界の一角から、上に向けて光線が放たれた。
白光が青空へと一直線に伸びて、空を飛んでいた大型の鳥を貫通。
上空で甲高い鳥の鳴き声がしたかと思うと、ひらひらと無数の羽根が舞い落ちてきた。
結界に触れたモノに、【光輝砲】が発動したのだ。
鳥の肉体は一瞬で消し飛んで、跡形もなく消え去っていた。
「威力は……なんだって?」
アレクが呆れたように言うのも、もっともだった。
何の対策もなく、人が今の光に触れたら……
それこそ、灰も残さず蒸発するかもしれない。
「ま、まあ、パワーはともかくっ。撃たれなきゃどうってことないって」
わたしはバツの悪さを隠したくて、声に力を込めた。
ちょっぴり自信が揺らいだのを、知られたくなかったのだ。
「何か、策があるんだよな?」
「あったり前でしょー。じゃなきゃとっくに逃げ出してるよ」
少し声が震えてしまったのは、秘密にしたかったけど。
「リスクがあるなら、止めとけよ」
わたしの変化に感づいたらしいアレクが、心配そうに言ってきた。
「だからだいじょーぶだって。わたしにはこれがあるもの」
自分と彼の不安を振り払うように、わたしは【防護壁】を起動した。
「……そうか」
アレクは、わたしがしようとしていることに気付いたようだった。
「封印結界も、結局は魔法の一種だから……」
「そのとーり。だから、この魔法障壁を使えば、結界も抜けられるんだ」
母さんからこの指輪をもらった時、【防護壁】の使い方を教えてもらった。
【防壁の指輪】が生み出すのは、魔法を打ち消す壁だ。
それはあらゆる魔法に対して効果があり、その効力を緩和し、無効化できる。
だから。
封印結界であろうとも、消滅させられる……はずだった。
(試すのは、初めてだけどね)
というのは、心の中でだけつぶやいた。
原理的には間違っていないし、むやみに不安がらせるのも良くない。
そう思ったわたしは無言で防壁の範囲を広げて、アレクもその中に包み込んだ。
わたし達を守る不可視の壁を信じて、その場に伏せてとどまった。
隊列の動きに合わせて、ゆっくりと結界が近づいてくる。
不意に喉の渇きを覚え、つばを飲み込む。
速くなった心臓の音が聞こえる。
手にじっとりと汗をかき、背中が冷たくなってくる。
静寂が生み出す重圧が、わたしの肩にのしかかってくる。
わたしは伏せたままじっとして、結果が出るのを静かに待った。
さすがに緊張しているのか、隣のアレクも身を強張らせ、浅い呼吸を繰り返していた。
キャラバンと、接触するまでが、とても、長く感じた。
わたし達を守る壁に、結界に触れた瞬間。
何も、起きなかった。
何一つとして、起きなかった。
わたしは、ホッと胸を撫で下ろした。
迎撃の魔法が、働かなかったのだ。
滲んでいた景色の輪郭がくっきり明確になり、眼下に複数の馬車や荷車が進んでいるのが見えた。
わたしの展開した防壁が結界を中和して、球形の膜に穴が開いていた。
薄い膜の穴はわたし達のいる所を通り過ぎると瞬時に消え去り、薄くて強固な防御膜は、何事もなかったかのように元通りの形になった。
「何ボーッとしてるの? 仕掛けるよ」
わたしは、後ろで伏せたままのアレクを促した。




