第6話 我の名はアカガネ
「でも一緒に行くって、どこに行くんだ?」
赤犬の口ぶりは、どうも行き先がはっきりしない。
赤犬が石畳に落ちた玉を拾い上げたので、もう一度金の袋を開けてやる。玉をしまったあとは今度は裂け目から玉が落っこちないように、開け口を固く五色の紐で縛ったあと裂け目を上にして持つ。こうすればこぼれないよね。
それによくわからないけど、この袋は僕が持っていた方が良いみたいだ。
赤く長い紐はまとめて小さく結んでおいた。
「特には決まってはいない。俺が賜った神命は、弱っているあやかしや神たちを助けることだ。あやかしも神も、この国には津々浦々いたるところにいるからな。きまった期限があるわけでもなし」
どうやらあちこちフラフラ気ままに歩いて、出会ったあやかしを助けていくつもりだったようだ。なんとも気の長い話。
「じゃあ特にこれといった目的地は決まってないんだな。ならさ、僕が行き先を決めてもいい? 僕も各地を巡ってみたいなと思ってたとこだったんだ」
試しにそんなことを聞いてみたら、赤犬はあっさりと、
「別に構わん」
了承してくれた。やった。
なんだ、それだったら全国の気になった土地でシェアハウスを借りながら、リモートで仕事するっていう当初の目的とあんまり変わんないじゃないか。
あやかしとかいうのが視える妙な体質と、さらに奇妙な同行者ができちゃったけどさ。
「なら、まずはこの袋をどうにかしないとな。僕が持っておくにしても、せめて裂け目を縫っておかないといつまた零れ落ちちゃうかわかんないし。これって普通の糸と針で応急処置してもいいんだよな?」
さっき応急処置ならそれでできるみたいなことを赤犬が言っていたことを思い出して、尋ねる。
「ああ。いまはそれでしか処置できんからな。……豊受大御神に頼めば神糸を分けてもらえるかもしれんが、神命を受けたばかりで粗相をしたのがバレたら神命すらとりあげられかねない。それは誠に困るのだ……」
赤犬は最初の威勢のよさはどこへ行ったのか。巨体を狭めて肩を落とした。
内宮の敷地内でそんなことやらかしてたら神様たちにもうとっくにバレバレなんじゃないかという気もしないではないけど。
「針と糸なら、コンビニに行けば手に入るかな。……でも、せっかくここまで来たんだから内宮にお参り行ってみたいんだけど」
「なら、俺は内宮の入り口で待っているから行ってくるがいい。離れるからといって、逃げられるとは思うなよ?」
「思わないよ。火の玉みたいなのに追いかけれられるのは嫌だし。じゃあ、行ってくる」
内宮の方に足を向けて歩き出したら、後ろから「待て待て」と再び赤犬に声をかけられた。
「何?」
「その神袋は置いていけ。天照大御神に見られると厄介だからな」
「ああ、そうか」
赤犬のところへ戻って金色の袋を渡す。これ、神袋って言うのか。
赤犬は前歯で神袋を噛むと、器用にそのまま話してくる。
「ところで、お前。名前は何という」
「直樹。お前は何て呼べばいいんだ?」
「いろいろな名で呼ばれてきたが、……そうだな。アカガネと呼べ。ちなみに俺はオオカミだ。犬ではないぞ」
そんな僕の心を読んだようなことを言うと、赤犬……じゃなかった、赤狼のアカガネは立ち上がり、ひょいっと川を飛び越えて向こう岸の林に姿が見えなくなった。
アカガネを見送って、さて本来の目的だった内宮のお参りにやっと戻れるぞと参道に足を向けると、また何人かの参拝客がこちらを怪訝そうな目で見ていた。
まずい、完全に不審者だと思われてる。そうだよな、アカガネが視えない人にとっては僕が誰もいないところに向かって一人で話しているように見えただろうし。
僕もついさっきまでそっち側の人間だったのにな。妙なことになっちゃった。
小走りでその人たちの視線から逃れるように参道を行くと、すぐに天照大御神が祀られている正宮が見えてきた。
なんてお参りしようかと迷ったけれど、変なことを言って後で面倒なことになっても嫌だったので、とりあえずここでも旅の無事を祈った。
荒祭宮と風日祈宮もお参りして、来るときに渡った宇治橋を渡ると橋の向こうに大きな犬のようなものがちょこんと座って待っているのが視えた。アカガネだ。
橋の向こう側を塞ぐようにあんなに堂々と座っているのに、他の人たちには視えないらしい。もしかしたら伊勢神宮の関係者になら視えるのかもしれないけれど、いまアレをどうこうしようという人は近くにはいないようだった。
「お待たせ」
橋を渡ってアカガネのもとに行くと、アカガネは立ち上がって道路の方へと歩き出す。口にはあの神袋が咥えられたままだ。
「こんびに、とやらに行くんだろう?」
「うん。検索してみる」
アカガネと並んで歩きながらスマホで近隣のコンビニを探すと、内宮前にある『おはらい町』の先に一つコンビニを見つけた。ここが一番近いみたいだ。
それで『おはらい町』といわれる通りまでやって来てみたんだけど。
「うわぁ……」
石畳の通りには両側に伊勢特有の切妻、入母屋、妻入り様式の建物がずらっと並ぶ風情ある街並みが広がっている。
そのどれもが、おいしそうな食べ物屋さんやお土産やさんで、伊勢神宮のお参りを済ませた観光客で賑わっていた。
「すごい、おいしそう……」
たくさんの観光客。呼び込みの声。そして、漂ってくるいい香り。
香ばしい香りに釣られて香りの漂ってくる方に目を向ければ、すぐ近くで松坂牛の串焼きが売られていた。
その魅惑的な香りに、きゅるるるとお腹も鳴ってしまう。
そういえば、もうお昼ご飯の時間もとっくにすぎていた。
「ちょっと待ってて」
僕はアカガネにそう断ると、近くの店によって松坂牛の串焼きを二本買ってくる。
「はい、これお前の」
串焼きを一本差し出すと、神袋を咥えたままのアカガネは驚いたように目を丸くした。
「俺に、これをくれるというのか?」
「うん。そのつもりだったけど、……もしかして、こういうの食えない?」
「い、いやそうじゃないが」
咥えていた神袋を代わりに持ってやって串を差し出すと、アカガネは一口にパクリと食べてしまった。
「人間の食い物というのは久しぶりに食ったが、……これはなかなかいけるな」
「だろ? うまいよな。こういうの見ると、つい買っちゃうんだ」
笑って一口肉を頬張る。うん、柔らかくて肉のうまみがたっぷりで旨い。
ちなみにアカガネは通りのど真ん中に座っているのに、やっぱり通りをいく人たちはアカガネを怖がる素振りもない。全然視えていないみたいだ。でも、なんとなくアカガネのいる場所を避けるようにして通行人たちは通り過ぎていく。
再びコンビニ向かって歩いていると、ぽつりとアカガネが不思議そうに言った。
「お前は、おかしなやつだな。本当に俺が怖くはないのか?」
「え……? いや、怖くないわけじゃないよ」
それは嘘じゃない。こんな巨大な化け物とでもいうべき赤狼がずっとついてくるんだもの。怖くないわけないじゃないか。
「でも言葉は通じるし。今のところ、僕に危害を加えるそぶりもないし。一緒にいなきゃいけないんだったら、怖がっても仕方ないかなって」
そう言って肩をすくめると、アカガネはますます不思議なものを見るような目で僕を見てきた。
「……最近の人間は、よくわからんな」
ぽつりとそんな言葉が聞こえてきたので、ついクスリと笑ってしまった。