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第5話 赤犬の神命

 腕をもがれる!?


 って一瞬焦ったけれど、すぐに痛みがないことに気づく。

 赤犬の口が僕の手から離れると、そこにはもうあの玉はなかった。代わりに、赤犬の大きな舌の上にあの玉が乗っている。


 どうやら、僕の手から玉を取ってくれたらしい。


「あ、ありがとう」


 右手をグーパーしてみるけれど、とくに痛みも違和感のようなものもない。


 赤犬が頭を下げて前脚で自分の頭を撫でるような仕草をすると、地面にポトリと何かが落ちた。何かと思ったら、金色の袋だ。赤く長い紐がついているから、その紐で首から提げていたらしい。体毛と同じ色なのでいままで気づかなかった。


 赤犬は玉を口に含んだままその金色の袋を咥えて僕の方にポンと放った。


「うわっと」


 落としそうになりながらも、なんとか受け取る。受け取らないと、また何されるかわかんないんだもん。


「人間。その袋を開けろ」


「うん」


 袋は五色の紐で閉じられていた。それを開けると、袋の中にはあの七色に光るピンポン玉と同じものがいくつも入っている。


「うわ……」


 その袋の中に、赤犬はさっき僕の手の平から取ったあの玉もポンと入れた。


「よし。これで全部だな」


 やれやれといった様子で、赤犬は大きくため息をついた。

 五色の紐を引っ張って袋を閉じる。

 だけど、袋を閉じた途端に、袋の底から七色の玉がひとつ、ポロンと零れ落ちてしまった。


「……え?」


 あれ? なんで?

 金色の袋をよく見てみると、底のあたりに引っ掻いたような大きな裂け目がある。そこから玉が落ちたようだ。


 うっかり石畳に落ちたものを拾おうと手を伸ばしかけて、やめた。また手にくっついて取れなくなったら嫌だし。


 どうしようか?と赤犬を見上げると、赤犬は一瞬、しゅんと肩を落としたように見えた。


「……やはりだめか。さっきそこの杉の枝に引っ掛けて破いてしまったのだ。それでいくつか神饌が川に落ちた。豊受大御神に知られる前に回収できたのはよかったが……」


 いや、それ思いっきり自分のミスだろ。それをたまたま川で手を洗ってた僕が拾ったってだけじゃないか。


 そう思うと、さっきさんざん怖い思いさせられたことを思い出してムカッとしてくる。

 だけどその赤犬はおかまいなしに、ますます自分勝手なことを言ってきた。


「そうだ。人間。お前がその袋の裂け目を縫って、俺と一緒にこい。そうすれば問題解決だ」


「ちょ、ちょっと待ってよ。嫌だよ。なんで僕がお前についていかなきゃいけないんだよ」


 相手の自分勝手な言い分にふつふつとわき始めていた怒りが声の調子に出てしまった。それに赤犬は少し驚いたように目を見張ったあと、声をあげて笑った。


「ハハハッ。言うな、人間よ。俺が怖くないのか? 生意気言うと、とって食っちまうぞ」


 赤犬はそう言って凄んでくる。

 怖いよ。怖くないわけないだろ。小さな犬に吠えたてられただけでも怖いのに、こんな四トントラックくらいありそうな巨大な犬に歯を剥かれて怖くないはずがない。


それに赤犬の顔にはよく見ると目元に白い隈取(くまど)りがあり、(ひたい)にも白い模様が描かれている。


 稲荷神社のキツネの顔には白地に赤い模様が描かれてることが多いけど、ちょうどあれと赤白逆になったようなコントラストの模様だ。

 それがまた余計に恐怖心をそそる。


 でも、どうやらこいつは神様たちが怖いようだった。

 だったら神様の庭であるこの内宮で、酷いことはされないような気がしていたんだ。確証はなかったけれど、赤犬は歯を剥いて脅してくるだけでそれ以上攻撃してくることはなかった。


「それに、これくらいの穴。縫っちゃえば中のものが落っこちる心配もないんじゃないの?」


 そう提案してみたのだが、赤犬はゆるゆると大きな首を横に振った。


「それは神からの賜りもの。神の国の糸で縫われたものだ。同じ神の国の糸で縫わねば元通りにはならんのだ。人間の糸で縫っても玉は落ちなくなるだろうが、それでは俺がそれを持つと神饌(しんせん)から漏れる神気(しんき)を俺の身体が吸い取っちまう。それでは意味がない。だから、お前がそれを持って俺とともに来いと言ってるだろう」


「それって、僕が持ってても僕に何かしらの差しさわりが出るってことなんじゃ……」


 第一、なんで関係ない僕がそんなことしなきゃいけないんだよ。冗談じゃない。

 きっぱりここで断ろうと思ったのに、赤犬は両口端をあげてニヤリと不気味な笑みを浮かべた。


「差しさわりなら、もう出ているだろ?」

「え……?」


 嫌な予感がして、自分の身体を見てみるけれど、特段どこにも異常は見当たらなかった。


「何もな……」


 そう言おうと顔をあげたとき、赤犬が僕の顔を指さすようにその前脚をあげた。鋭く大きな爪を目の前につきつけられて、言おうとした言葉を息とともに飲み込む。


「俺が視えているだろう。それこそが、差しさわりよ」

「え?」

「お前、いままであやかしや神の類を視るたちだったか?」


 問われて、僕はぶんぶんと首を横に振った。二十九になるこの歳まで、そんなもの見たことなんて一度もない。


「なら、なぜいま俺が視えているんだ? 今ここで俺が視えているのは、お前だけだぞ?」


 そういえば、ここ御手洗場(みたらし)には自分以外にもたくさんの参拝客がいる。こんなに巨大な赤犬が出現すれば、ほかの人も怖がって逃げ出すだろう。パニックになっていてもおかしくない。

 なのに、悲鳴ひとつ聞こえてはこなかった。


 もしかして……目の前のコレが視えているのは、僕だけなのか……?

 おそるおそる周りを見てみると、遠巻きに僕の方を見ている女性グループがいた。ひそひそと何かを話しながらこちらを見ている。


 でも彼女たちの視線は赤犬ではなく、僕の方に向けられているようだった。

 それは変質者を見るような視線で……つまり、さっきから虚空に向かって話している僕の行動が不審だったようで……。


 恥ずかしさと申し訳なさでついぺこりと頭を下げると、彼女たちは急にこちらから目をそらしてそそくさとその場を立ち去っていった。……通報されたらどうしよう。

 そんな僕と彼女たちのやりとりを、赤犬は愉快そうに眺めていた。


「ハハハッ、どうだ。わかっただろう。いまやお前は俺たちの領域に半分足を突っ込んだのと同じことよ。俺らあやかしの類が視えるということは、あやかしの方からもお前を強く認知できるということ。悪い気を持つあやかしに気づかれれば、お前なんぞ八つ裂きにされ食われちまうだろうよ」


 まるで他人事のように笑う赤犬に、ますます怒りが湧いてくる。


「……お前のせいだろ。どうしてくれんだよ!」


 しかし赤犬はしれっと言う。


「だから、俺と来いと言っている。そうすれば、最低限守ってはやる。俺の従属としてな。俺はこれから伊勢を離れて、豊受大御神から承ったこの神饌をあちこちの弱ったあやかしや神たちに配りに行かねばならん。それが俺が授かった神命だからな」


「……あやかし? さっきからお前が言う、あやかしって……何なんだ?」


「妖怪やもののけ、といった呼び方もするがな。ほれ、あそこを視てみろ」


 赤犬は、五十鈴川の向こうにくいっと首を向けた。

 そちらに目をやると、川の対岸の木々の上を火の玉のようなものがふらふらと飛んで街の方へと飛んでいくのが視えた。


「……ひ、火の玉!?」


「あれは鬼火と呼ばれるものの一種よ。このあたりでは『いげぼ』なんて呼ばれたりもするがな。これでわかっただろう。お前はもう普通の人間とは違うのだ。神饌に触れてしまったがゆえに、あやかしを視、その声を聞く」


 赤犬はこちらに目を向けると、


「さあ、どうするね。俺と来て俺を手伝うか。もちろん、俺の申し出を無視する手もあるだろうよ。だが、そのままでふらふら歩けば、なんの力もないお前みたいな人間はあっという間に悪い気を持つあやかしにつかまっちまうだろうな。そうなっても俺は何も困らんがな」


 そう言って、あの不気味な笑みで笑うのだ。

 こいつこそ、その『悪い気をもつあやかし』なんじゃないかっていう気さえする。

 だけど、あの鬼火が去っていった林を見て、赤犬を見て、僕は嘆息した。

 選択の余地なんてないじゃないか。


「……わかったよ」


 幸い、仕事ならどこでもできる。もともと色んなところを旅しようと思っていたんだ。なんだか妙な役割がくっついてきてしまったけれど、なんとかなるんじゃないかって気もしていた。


 それにあんな鬼火みたいなのをこれからも視てしまうというなら、一人でいるのは不安このうえなかった。

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