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第37話 願いを込めて!

 僕の風邪はアカガネの上で三日間寝込んで、すっかりよくなった。

 アカガネの大きな身体の上はあたたかくて気持ちよかったのに、僕の風邪が治ったとたんすぐに普通の狼サイズに戻ってしまって、もう寝かせてはくれなかった。結構気に入っていたのに、残念。


 そして、あの大雨の日から一週間経った朝。

 ずっと寝たきりでぴくりとも動かなかったミナシが、目を開けてむくっと頭をもたげたんだ。


 ミナシは始めきょろきょろと頭を巡らせて、ここがどこかわからないようだった。


「やぁ、おはよう」


 僕がそう声をかけると、ミナシはぐるっと首を回して僕を見る。数度パチクリと瞬きをしてから、不思議そうに首を傾げた。


『……あれ? 直樹しゃん? ここは……?』


「ここは僕の部屋。お前はずっと寝てたんだよ」


『ずっと寝て………あ!』


 ミナシはバタバタと窓へ走りよると、ガラスに張り付くようにして飛びついた。


「待って待って。今開けるから」


 ミナシを少し下がらせて、僕はがたつくサッシの窓を開けてやる。


 とたんにむわっという熱気とともに、セミの鳴き声がワンと部屋の中に飛び込んできた。じりじりとした熱い日差しが照り付けてきて、僕は手を(ひたい)にかざしながら窓の外を見る。


 目の前の飛騨川にはさらさらと澄んだ水が穏やかに流れ、その水面は日差しを受けてキラキラと輝いていた。

 もう、あの濁流の面影はどこにもない。


「あのとき。ミナシが全部雨雲を食ってくれたおかげで梅雨も明けて、それ以来すっかり夏真っ盛りだよ」


 ミナシは窓枠に手をかけると、窓の外を食い入るように見つめる。


『川は……川は、大丈夫だったんですね』


「ああ。雨が止んだおかげでどこも氾濫したり決壊することはなかったよ。人里離れた山でちょっと土砂崩れがあったくらいで、それ以外の被害はどこにも出なかった」


 あんなにも記録的な豪雨だったのに、突然消えてしまった雨雲のおかげで、飛騨川だけでなく日本アルプスを源流とする川すべてが無事だったのだ。


『良かった……本当に、よかった…』」


 川を眺めるミナシの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「ミナシが守ってくれたおかげだよ」


 僕は心の底からそう思っていたのに、ミナシはゆるゆると頭を横に振る。


『あのとき。みんなの声がいっぱい聞こえてきたんです。がんばれ、負けるな、って。そうしたら急にぐんと力が湧いてきて。すべてはそのおかげです』


 と、ミナシはどこまでも謙虚だった。


 でも、これからもきっとこの心優しい龍は、この川とそこに住む人々をずっと守り続けていくんだろう。


 人と龍のつながり。そんな素敵な絆のあるこの地の人たちが、僕には少しうらやましくなった。


 と、そこへ玄関のほうからコツコツと足音が聞こえてくる。


「お。目を覚ましたか、龍の子」


 外にでかけていたアカガネだった。彼は口に何かチラシのようなものを咥えていて、僕に渡してくる。


 手に取ると、それは下呂温泉まつりのチラシだった。しかも、最近刷られたものらしい二色刷りの簡易版。大きく赤字で三日間の日付が書かれていた。


「延期していた祭り、やるらしいぞ」


「あ、今夜からだ!」


「演目の順番は多少前後してるみたいだけどな。今日は、花火大会だな」


 本来なら祭り最終日に行われる予定だった花火大会は、日程調整の関係なのか今日になっていた。


「やった! じゃあ、また温泉街に見に行こうよ。ミナシはどうする?」


 聞くまでもなく、ミナシは小さな両こぶしを握って顔を紅潮させウンウンと大きくうなずいていた。いや、本当のところいうと鱗に覆われた龍の顔色なんてわかるはずがないんだけど、それくらい行きたい気持ちが溢れていたんだ。


『花火、ボクも見たいです!』


「よし、決まりっ。また三人で見に行こう」


 そして、その日の晩。

 夕暮れどきに下呂温泉の温泉街へと僕らは向かった。


 花火が打ち上げられるのは、飛騨川の河原。だから、川の両側と下呂大橋あたりには花火を見るために多くの人が集まっていた。


 日が暮れると、いよいよ花火の打ち上げが始まる。

 音楽に合わせて、色とりどりの花火が打ち上げられていく様は、まるで花火が音楽に合わせて踊っているようだった。


 ミナシはその真っ黒い瞳に鮮やかな花火を映しこんで、音と花火の共演を夢中になって見入っていた。





 やがて夏も終わりを迎え、肌寒い風が吹き始めるころ。

 僕は次の目的地へと旅立つことを決める。


 これから紅葉で色づいていく飛騨の山々もきっと美しいんだろうなと後ろ髪引かれたけれど、いつまでも長居すると離れられなくなっちゃいそうな気がしたんだ。

 それにここに住み着いてしまっては、アカガネが神命を果たせなくなってしまう。


 そんなこともあって、僕は次の場所へ移ることにした。


 引っ越しの朝。

 いつものボストンバッグとボディバッグの二つをもって、僕はお世話になったシェアハウスをあとにする。


「ミナシのやつ、結局来なかったな」


 駅へ向かいながら、アカガネが残念そうに言う。

 ミナシには、僕たちが今日ここを経つことは伝えてあったのだけど。三日前に夕食を共にして以来、彼の姿を見ていない。


 ここを去るにあたって、一番の心残りはやはりミナシのことだった。

 家族をなくして独りぼっちだった龍の子。僕がここに滞在していた間、よく僕の部屋に遊びに来て、そのまま寝泊まりする日も少なくなかった。


 だからなんだか、彼だけをここに残して行ってしまうことに迷いがあった。

 何度、口から「僕たちと一緒に来る?」という言葉が出そうになったかわからない。でも、その言葉はグッと飲み込んだ。


 彼はきっと、ここから離れたりはしないだろう。

 だって、彼はこの川の守り神なのだから。


「……仕方ないよ」


 誰だって、別れは辛いもの。

 またいつでも会いにこれるって思っても、もういままでのように気軽に会えるわけでもない。だから、ミナシが僕たちに顔を見せたくない気持ちもよくわかっていた。


 駅のホームに、乗る予定の電車が滑り込んでくる。


「行こう。アカガネ」


 電車に乗り込むと、ボストンバッグを網棚にのせて席についた。

 窓の外には、悠然と飛騨の山々が横たわっている。


 電車がゆっくりとホームを離れて加速していくと、見慣れた景色がどんどん後方に流れていった。


 下呂温泉。沢山の思い出と、素敵な出会いをありがとう。

 ここでのことを思い出しながら、僕は窓の外を眺めていた。


 そして、飛騨川に沿って走る電車が鉄橋に差し掛かったときのことだった。

 飛騨川の河原にいる小さなモノを見かけて、僕は思わず立ち上がる。


「おい、あれ!」


 アカガネも気づいたようだ。


 河原に、ミナシがいた。

 しかも彼だけじゃなく、その周りにはぴょんぴょんと跳ねる(さとり)たちもいる。みんなで僕たちを見送りに来てくれたんだ。


 ミナシは、こちらに大きく手を振って叫んでいた。


『ナオキしゃんー! アカガネしゃんー! お元気でー! またいつか会える日を、ボク……楽しみにしてます!! だから、またきっと遊びにきてください!!』


 そう確かに彼の声が聞こえた。

 僕も窓に手をついて声を返す。


「ミナシ! 覚たち! また、絶対会いに来るから! それまで元気でな!」


 彼らに見えるように大きく両手を振り返した。

 彼らの姿を目に焼き付けるように、その姿が小さくなってやがて見えなくなってしまうまでずっと振っていた。


 もう会えないかと思っていたミナシに最後に会えて、胸の中がジンとあたたかなものでいっぱいになる。


 窓ははめ殺しだったから僕の声が彼らに聞こえたかどうかはわからない。でも、僕にはたしかに彼らの声が聞こえたから、きっと僕の声も届いたと信じている。

 見送りに来てくれて、ありがとう。心の中で彼らにそう何度も礼を言った。


 にじんでしまった目元を腕で拭うと、僕はもう一度自分の席に腰をおろす。

 また、そう遠くない未来に会いに来よう。そして、またいっしょにおいしいもの食べたり温泉を楽しもう。今度は覚たちもいっしょにできたらいいな。そんなことを考えるだけで楽しくなってくる。


 電車はどんどん僕たちを次の目的地へと運んでいた。

 隣の席ではアカガネが、ふわあと大きなあくびをして器用に座席の上で丸くなっていた。


「まだ乗り換えるのは当分先だから、寝てていいよ」


「次はどこへ行くんだ?」


 顔だけ上げてそう聞いてくるアカガネに、僕は小さく微笑みかけた。


「あれ。まだ行ってなかったっけ。次に行くのはね……」




 ボディバッグの中の神袋にはまだ沢山の神饌(しんせん)が詰まっている。アカガネが神命を果たして元の白狼に戻れる日はまだずいぶん先だろう。僕たちの旅も当分続きそうだ。


 いつしか僕にとってこの旅は、ただ観光地を巡りながらリモートワークをするだけにとどまらなくなっていた。


 妙な縁で一緒に旅をすることになってしまったアカガネだけど、今はとても心強く思ってもいる。


 次の土地では、どんなあやかしたちとの出会いがあるんだろうか。

 不安と期待の入り混じった気持ちで、僕は車窓を眺めた。

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