第36話 新たな龍神伝説
「あれ……ミナシ、だよな……?」
神饌を食べたあとのミナシは、せいぜい二十メートルくらいだったはずだ。
しかしいま空に浮かんでいる龍は、遥か上空にいるにもかかわらずはっきりと目視できるほどの大きさがあった。おそらく長さ数キロ、太さも直径数百メートルはありそうだった。
その巨大な龍が、ぽっかりと空いた雲の穴の中で、まるで大きな綿菓子にくらいつくようにバクバクと黒雲を食っていく。
それでも黒雲は次から次へと押し寄せて穴をふさごうとするけれど、それに負けじと龍は雲を食らい続けていた。
「何があったんだ。これほどの龍、俺も見たことがないぞ」
アカガネも唖然として唸る。
いったい何があったんだろう。
いままでいろんなあやかしたちに神饌を渡してきたけれど、それだけでここまで力を増したことなどなかった。
そのときふと、僕はさっき投稿したSNSのことを思い出してスマホを開いてみる。あの、ミナシが雲を食ったときにできた、まるでとぐろを巻く龍にもみえる渦巻き状の雲の写真。
その投稿画像を確認して、僕は思わず息をのんだ。
そこには、
『龍神、がんばれ!』
『本当に、竜っているんだな』
『たすけて、龍神様! もう川があふれそう!』
『いけ! 龍神!』
『おねがい。おねがい。このままじゃ家が浸水しちゃう』
『まるで奇跡!』
『やばい、あと少しで決壊する。頼む、龍神』
『こんな凄い雲、はじめてみた』
『すげぇ。やっぱ竜はいたんだ』
『竜は昔から、川の守護神。飛騨川を守りにきたにちがいない』
『雲外蒼天! 大丈夫、いける! その向こうには青空がある!』
『お願いします。龍神様。みんなを、街を守りください』
『え? なにこれ? わけわかんないけど、かっこよくない?』
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そんな応援のコメントが、何十、いや何百とついていた。
その写真は十万回以上拡散され、表示回数は軽く百万回を超えている。
ずっと下までコメントを目で追っていくと、日本語だけでなく、英語や中国語、韓国語、アラビア語、その他僕の知らない言語で書かれたものも沢山あった。
いつのまにかこの写真は世界中に拡散され、数えきれないほどの沢山の人の目に留まっていたんだ。
その一人一人の祈りや応援の心が、ミナシに力を与えていた。
あやかしや神が力をなくしたのも人が彼らを忘れたせいならば、逆に彼らに力を与えられるのも人の想いなんだ。
僕は空のミナシに向けて、スマホを高く掲げる。
「ミナシ! 世界中の人がお前を応援してるよ! ものすごく沢山の人がお前に願いを託してる! がんばれ、ミナシ!!! 雨雲を食い尽くせ!」
僕の声が天空の彼に聞こえたかはわからないけど、タイミングよくミナシが咆哮をあげる。
ビリビリと木々が振動するほどの、勇ましい咆哮。
ミナシは迫りくる厚い雲の中に勢いをつけて潜り込んでいき、やがて姿が見えなくなった。
「もっと広範囲の雲を食らいに行ったな」
空を見上げて、アカガネが言う。
「うん」
がんばれ、ミナシ。今のお前なら、この山を、川を、里の皆を救うことができる。それを見守る沢山の人の心がお前についているのだから。
そして、数時間後。
僕たちは奇跡を目の当たりにした。
あれだけ広範囲に連なっていた積乱雲が、ものの数時間でここ日本アルプスの上空からひとつ残らず消えてしまったのだ。
それはスマホで見ることのできるリアルタイムの雨量レーダーからも確認することができた。
さらに丸一日をかけて、梅雨前線上にあった積乱雲はすべて忽然と消えてしまう。
巨大な龍となったミナシが食べつくしてくれたおかげだった。
そのため各地に壊滅的な被害をもたらしてもおかしくなかった豪雨も消え、山地で数か所土砂崩れがあっただけで人的被害は一切でることはなかった。
氾濫寸前でいつどこが決壊してもおかしくなかった飛騨川も、雨が上がった後しばらく予断を許さない状態が続いていたけれど、半日後には水位が下がり始めて危機を脱することができた。
そして、日本列島には久しぶりのからっとした晴れ空が訪れる。
長かった今年の梅雨はようやく終わったんだ。
その後、ミナシがどうなったかというと。
彼はいま、僕の部屋の僕の布団の上で横になっている。
雨が止んだあと、自宅に戻っていた僕たちの前に再びあの白鷺が現れたんだ。
白鷺に導かれてアカガネとともについていくと、県境にある神社にたどりついた。
そこで僕たちは境内に植えられていた松の木にぐったりと気を失ってひっかかっているミナシを見つけて、部屋まで連れて帰ってきたんだ。
そのときにはもうミナシの身体は五十センチほどの元の大きさに戻っていた。きっと、すべての力を使い果たしてしまったんだろう。
ついでにいうと、僕もさんざん土砂降りの雨の中をアカガネに乗って走り回ったせいですっかり風邪を引いてしまった。
でも僕の布団は昏々と眠り続けるミナシに貸していたから、僕は近くの内科で薬をもらったあと、アカガネに最大サイズになってもらってその上で毛布をかぶってずっと寝ていたんだ。
このときばかりは、アカガネも文句ひとつ言わなかった。